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兄の置かれた位置に少しだけ近づけたのか?

余命宣告6ケ月を受けた兄の事で、いざ解決の糸口を探そうと、歩みだした時、出会った現実のすざましさに狼狽え、絶望的な己の無力さを知り、愕然としています。
その点、兄は誰にも不快感を与えない、完璧な所作で、周りに自分の想いを伝えています。
信じられない強さだと思います。

突然話が飛びます。
今の私について話します。

今月の朝、顎関節が腫れたのか、口が開かず、食パン一枚も差し込めない状態になりました。
初めての経験でした。
それを見ていた妻が、普段はそんな事絶対しないのですが、何処かに電話をして何か予約を取っていました。
ご想像通り歯医者の予約でした。私が大の医者嫌い、別な言い方なら弱虫なので、相談はしないと最初から決めていたらしかったです。

歯医者に行きました。
現状を話しました。
レントゲンを撮りました。
何か影が写っていると言われました。
ここでは分からないので、設備のある総合病院に行けと指示されました。
何もそこの歯医者では処置せず、総合病院に行きました。

手術をしますと言われました。
下顎に嚢胞が有る。
それが悪者だと大変。

これは医者が悪い事だけを言ったのでなく、この手の経験がない私が、ほんの僅かの悪い印象を持たせる言葉だけが頭に残り、それを誇大に膨らませ自分を追い込んだと暫くして悔やみました。
勿論その筋書きも僅かながら可能性は有るのでしょうが、兄の現状に比べれば何と恥ずべき行為だと、深く反省しました。


医者の本文は、甘やかす事ではなく、現実を直視させ、解決に向わせるのが仕事なのでしょう。
強い言葉が、専門用語の意味を理解していない自分の未熟さと相まって、全て負の要因として聞こえてしまったのだろうと反省しました。
兄に比べれば、私のは病気ではないでしょう。
生きる最後の日が決められてないのですから。
たとえそれが実際は後5年でも、20年生存の可能性を信じられる人と残りが決まっている人とでは、苦しみの深さが全然違うのだろうと思う。
いえ、そんな事分かった顔をする事自体、許されない行為だと思う。
では、私はどうすれば良いのだろう。
これだけの先進医療の技術を持つ日本でもまだまだ克服出来ない分野は沢山ある。
これは永遠に続く事なのだろう。
命の終わりは諦められないが、残された日々の質を最高なものに引き上げる。
これしかないのだろう。
我々も与えられた命に感謝し、毎日、今が最後と思い、最高の努力する。
これは簡単そうで中々出来ない。
しかし、この方法しか兄と同じ位置に自分を置く事が出来ないのだろう

人間なんて、ともすると自分の事が優先になってしまう、弱く、我が儘な存在だ。
私がこの数ヶ月自分に負けたら、大きな悔いを残すだろう。
2度と来ない最高の試練の場にごまかし無しで生きる決意です

頑張れよ!

拙い文ですが、溢れ出る思いを、人に伝えたいと願っています。日常にある小さな出来事ばかりですが、その視点により皆が幸せになれると嬉しいです。何より読んで欲しいと切望しています。宜しくお願いしますね!