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見えた、天国への道

Kさんの葬儀に参列した。
カトリックの流れにより式は進められた。
神父さんは仰った。
この死は悲しいものではない

神の元へ旅立たれたのだ。
Kさんがそこで温かく迎えられ、安らぎを得るのが今日の祈りの大切な目的なのです。
 


これ以降は私の勝手な宗教観で有り、関係者が読まれたら、大笑いされるかも知れません。その節は、許しを乞いたい。

その素晴らしい世界から、神は人々に見える姿をした「キリスト」を我々の元へ送られ、数々の奇跡と、手本を示された。

それを見て、信じる者、教えを自ら受け入れ、実践する者は永遠の安らぎを得る事が出来る。

この為に人間は生きているのかも知れません。
一日に何故か、3度食事し、トイレに行き、年老いて行く。
病気したり、筋肉の衰えを感じ、絶望するのも、この日の為なのかも知れません。 
肉体から魂を遊離し、浄化し天に登る
魂が成熟しないうちは、道が見えてこない

今の私にはやっと理解が出来そうです。

私は70歳位から禊(みそぎ)を始めた。
不完全だった過去の自分を見つめ直し、修正する事だ。

その修正は中々、捗らないが、少しずつ気持ちが素直になり生きる事に対するブレが無くなった様な気がする。

有難う、Kさん。天に旅立ってまでこんな教えを残して下さるとは。

お世話になりました。
安らかに!

拙い文ですが、溢れ出る思いを、人に伝えたいと願っています。日常にある小さな出来事ばかりですが、その視点により皆が幸せになれると嬉しいです。何より読んで欲しいと切望しています。宜しくお願いしますね!