見出し画像

正月に入院した話2

こんばんわ☕
せいたろうです

大寒波がやってくるそうです。
年末年始は天気も良く暖かい日が続いてたんですけどねー
防寒対策しっかりして風邪ひかないようにしましょうね。

今回も先日の正月に入院した話の続きです。
もう手術は終わったので前回ほど重くないです。

入院3日目午前(朝ごはん)

6時起床。眠れるか心配だったんですが、意外と寝れましたね
久しぶりにスマホを確認すると後輩と妻からLINE来てました。返信したとこでまた眠気が襲ってきたのでまた寝ました。
机の上には充電ケーブルとドーナツが置いてありました。前日に妻に家に忘れた充電ケーブルを持ってきてもらったものです。妻が僕の大好きなオールドファッションも買って一緒に入れてくれてたみたいです。本当にありがとうね、すごく嬉しかった。
8時に朝ごはんが運ばれてきました。メニューは食パン、ジャム&マーガリン、蒸しソーセージ、ホウレン草バター炒め、さつま芋レモン煮、野菜スープ、牛乳でした。食パンも牛乳も大好きですが、食べるのが大変で滅茶苦茶時間かかりました。
なぜなら鼻にパンパンに綿が詰まってて口をふさぐと息ができないし、物を飲み込むと鼓膜がベコッとなって頭痛がするからです。
それと涙道が塞がってるからだと思うんですが何か食べると大量に涙が出てしまうし、口を開けて食べるしかないので汚い咀嚼音も出てました。人里離れた場所で一匹で育った野獣が初めての手作り料理に泣きながら喰らいついてるのを想像してください。そんな感じです。
結局、野菜スープと牛乳はほとんど手を付けられませんでしたが、他は意地と根性で食べきりました。早く元気になりたかったので。
ドーナツはまだ食べれませんでした。

入院3日目午前(健診)

10時に健診に呼ばれて耳鼻咽喉科の先生に鼻の診察を受けました。もう少し我慢してくださいねー明日取れますからねーと言われました。何のことかわからず尿カテーテルを指さしてこれですか?と尋ねたら、「え、なんでまだついてんだろw意味わからんw看護師さんに取ってほしいって言ってみてw」と言われました。殺意が湧きましたが堪えました。明日取れるのは鼻の綿でした。
部屋に戻って待っていると11時に看護師さんがやってきて点滴を変えてくれました。そのとき尿カテーテルを取ってほしい旨を伝えました。
数十分後に別の看護師さんが来てズボンを下すように言われました。言われた通りズボンを下すとTパンツを押しのけて倅がこんにちはしました。しかし看護師さんは何か道具を忘れたらしく、ナース室に戻っていきました。僕はひとり開脚したまま数分間窓の外のどこまでも続く青空を眺めてました。
戻ってきた看護師さんが道具を使って準備を始めましたちょっと違和感ありますよーと言われましたが違和感ありすぎでした。ぶっといチューブがみるみる抜かれていくので。しかも長いんですよ。途中我慢できず「痛ァッ!」と声が漏れてしまいました。とても情けないです。てきぱきと手際よくビニール袋にごみを詰めて看護師さんは退出していきました。
残された僕は疲れ果てた息子をウエットティッシュで優しく拭いた後、疲れて数分間そのままの状態でまた窓の外を眺めてました。
そして新しいトランクスを履いてパジャマのズボンを履いてベッドに横になりました。一つ枷が取れただけで羽が生えたように体が軽くなった気がしました。
因みに若い異性の看護師さん相手に羞恥心とか性欲とか湧かないのかと考える人もいるかと思いますが、1ミリも湧きません。「痛い」の感情が全部を搔き消すし、プライドを捨てて患者に徹するほうが楽だからです。体は汗臭いし、パジャマだし、点滴付けてもらってるので、自己を現すに相応しい言葉はそう、「患者」です。

入院3日目午後

12時に昼食が運ばれてきました。昼食はロールパン、はちみつ、ビーフシチュー、トマトサラダ、イチゴ味フルーチェ(みかん入り)でした。これは頑張って全部食べたと思います。美味しかったです。
14時、口腔リハに行ってきました。手術中に口に呼吸を助ける機材を入れたりするので歯に異常がないか確認ですね。歯の異常はありませんでした。それと歯もきれいにしてもらいました。
15時、薬剤師さんが部屋で薬の説明をしてくれました。朝から10種類ぐらい飲んでいたのですが、何も覚えてません。出されたものを言われるがまま飲んでました。すみません。
机の上に読みかけの「グレート・ギャッツビー」(村上春樹翻訳版)を置いてたんですが、薬剤師の方も「私も読んでます!」と興奮気味に教えてくれました。彼はデカプリオが出てる2013年の映画「華麗なるギャッツビー」からはまったそうです。僕見てないんですよね、本読み終わったら絶対見ます!
それからはグレート・ギャッツビーを読みながら過ごしました。
18時に夕食が運ばれてきました。メニューは白米、カレイピカタ、醤油、インゲンカレーマヨ炒め、春雨サラダ、マヨネーズ、カリフラワースープでした。
カリフラワースープはブイヨンベースのスープにカリフラワーが入っているだけのシンプルなものですが、そうかこれでいいのか!という発見がありました。すぐ作れると思うし、美味しいんです。
あと、隣に爺さんが入ってきたんですが、ご飯の前に何かぶつぶつ言ってるようでした。「いただきます」の長いバージョンっぽくて何かの神に感謝を述べているみたいでした。聞き耳立ててすんません。気になっちゃって。

入院4日目午前

夜はほぼ眠れませんでした。鼻の痛みと2日も風呂に入ることを禁止されているので頭は痒いし体は汗まみれで寝苦しく、口呼吸なので口内が乾燥して目が覚め水飲む、というのを10回以上繰り返しました。目が覚めては体を起こし、窓の外の世界を望んで、信号機が赤から青になるさまを眺めたり、隣の病院のエレベーターが降りるのを目で追ったりしました。窓の外は数多のREDの灯が煌めいていて、あれは何の灯だっただろうとか考えてました。
6時になると建物が朝日を浴びて輪郭を形成し始めました。夜中に病院の奥に獣の目のように此方を睨む2つの赤い灯が気になっていて、何だったかなあと考えていたんですが、それはでかい2棟のマンションの屋上の灯でした。そのとき初めてそこにマンションがあることを意識しました。
8時になって朝食を食べました。メニューは白米、ブリの煮つけ、ホウレン草の炒め物、白花豆煮、みそ汁、牛乳でした。日本食って疲れているときに食べると体に染みますよね。
9時半に鼻に詰めていたガーゼを抜きました。滅茶苦茶痛かったです。抜いた後も30分ぐらいずっと痛かったですが、枷がまた一つ外れたことが嬉しかったです。一番嬉しかったのは水を喉を鳴らしながら飲めるようになったことです。喉の渇きに体力を奪われていたので精一杯水を飲みました。
それからは綿球を渡されて鼻の入り口に詰めるようになりました。鼻を乾燥させないことが大事なんだそうです。これをやると北島三郎みたいな顔になります。

入院4日目午後

12時、昼ごはんが運ばれてきました。メニューはうどん(具:豚肉、ネギ、ナス、だいこん、カボチャ)、こんにゃくのクルミ和え、きなこのきなマンジェでした。緬はうどんですが具は「ほうとう」っぽかったですね。
ごはんを食べ終わったらコンビニにハナクリーンを買いに行きました。お医者さんにそれを買って毎日2回洗浄してくださいと言われたので。ついでにマウントレーニアも買ってきました。点滴スタンドを持って移動するのもだいぶ慣れました。
妻が買ってきてくれたオールドファッションドーナツをマウントレーニアと一緒にいただきました。久しぶりに嗜好品を体に入れたのでちょと元気になりました。
14時ごろに担当のお医者さんから説明を受けて、次回の診察日を決めました。最初は毎週一回、隔週に一回といった具合に診察を受け、それが月一とかに間隔があきながら5年~10年続くと説明を受けました。長いですが、ガン化する可能性を考えると診てもらうしかないですね。
それからは夕飯までグレート・ギャッツビーを読んで過ごしました。
18時夕食が運ばれてきました。メニューは白米、かに玉、白菜とエビの炒めもの、クラゲときゅうりの中華和えでした。洋風、和風が続いていたので「あ、初めての中華風だ」と思いながら食べました。
ご飯食べた後はハナクリーンしました。鼻に洗浄剤入りの水を入れて口から出すんですが、鼓膜が痛まないようにエーと声を出しながらやるのがちょっと恥ずかしかったです。
19時に久々の入浴をしました。二日ぶりに体も髪も洗ってサッパリしました。明日は服を洗わねばなあと思いながらテレビカードを買って部屋に戻りました(共同の洗濯機、乾燥機はテレビカードで支払います)。
その日の金ローはハウルの動く城だったので見ようと思って21時から見始めたんですが、22時消灯なので途中までしか見れませんでした。まあ、何度も見たんですが。
ハウル見てるときに手首の輸血用の管を看護師さんに取ってもらいました。これで完全にすべての管が体から取り外されました。

ジジイの思い出

突然ですがここでこれまでに出会った記憶に残ったジジイを紹介させてください。いろんな人がいるなあと思って読んでください。ぼーっと病室で寝転がっていると色んな声が耳に入ってくるんですよ。
①看護師さんの事を猫ちゃんと呼ぶジジイ
退院していくジジイが、看護師さんに感謝を述べていたんですが、猫ちゃんのお陰だよっていっててキモかったです。
②コミックを買ってきてもらうジジイ
売店でコミックを売ってないので看護師さんが家に帰るときに買ってきて渡してほしいと頼んでました。何やらその日に発売のコミックらしい。図々しんじゃ。大人なんやから我慢せえ。
③お昼ご飯に他人の髪の毛が入っててキレるジジイ
お昼食べてると突然「オイ!」とでかい声が隣から聞こえました。びっくりして喉にご飯詰まりそうになりました。ナースコールで看護師さんを呼び出して今度は柔らかい声で配膳を変えてほしいとお願いしてました。そのジジイ、珍しくちゃんとアンガーマネジメントできてるんですよね。怒りのすべてをその無機質な他人の髪の毛に向けてんですね。看護師にも配膳の方にも怒りの矛先を向けずに。偉い!

入院5日目

6時に起床しました。この日はぐっすり眠れました。
それからは本読んだりスマホ見たりして過ごしました。
8時に朝食が運ばれました。この日は1月7日なので七草がゆでした。あとはひき肉入り野菜炒め、あんかけ枝豆豆腐、さつま芋煮、みそ汁、牛乳でした。手術後いちばん体調が良かったので、七草がゆは物足りなかったですね。風情はありますけどね。
9時にハナクリーンして伸びっぱなしだった髭を剃って洗濯機を回しました。昔通ってた予備校の男子寮に置いてあった共同洗濯機と同じものだったので懐かしかったです。乾燥機が終ったのはお昼過ぎでした。
10時に診察を受けました。まだ少し息をのむと耳がツンとしてたんですが先生に掃除をしてもらったら楽になりました。
それからポケモンをやりながら時間をつぶしました。特性マイペースのイワンコをゲットしたので、夕方まで待ってレベルアップさせて黄昏ルガルガンに進化させました。
12時に昼食を食べました。メニューはコーン入りご飯、鮭カレームニエル、アスパラ、醤油、ポトフ風スープ、ピクルス(だいこん、きゅうり、パプリカ)、みかんでした。パプリカの天ぷらやパプリカのピクルスなどこの数日でパプリカ料理を2種類も食べました。いろんな調理法があるものですねえ。
午後はハナクリーンしてNHKの大河の特番を見たり本読んだりポケモンやったりしてるといつのまにか暗くなってました。
18時に夕食を食べました。メニューは白米、すき焼き、ぬた、冬瓜煮、すまし汁(焼き麩、三つ葉)でした。
夜はハナクリーンしてお風呂に入ってコンビニで買った宝島社が出してる大河ドラマの雑誌を買ってそれを読んで過ごしました。テレビカードも微妙に残ってるので明日の朝のテレ朝でフィニッシュさせたいなーと考えながらテレビを見ました。

入院6日目(退院)

6時半に起きました。片方の綿球が落ちてどこかに消えてました。片方の鼻が乾燥してしまったので急いで新しい綿球を詰めました。
隣のジジイの足がむくんで辛いと看護師さんに訴えてました。看護師さんがマッサージした後にナース室に帰っていくと「畏み畏み申す…」と言ってるようでした。ごはん前の祝詞もアマテラスとか言ってたので何かしらの神道のひとかなーと思います。
8時に朝食を食べました。最後の朝食は白米、親子丼の具、ヒジキと大豆の炒め煮、カボチャ煮いりごま、みそ汁、牛乳でした。
ご飯を食べ終わったら早速パジャマから普段着に着替え、荷造りをしました。10時に健診に行って看護師さんに手続きをしてもらって晴れて退院となりました。
病院の外に出ると澄んだ風が顔をかすめました。久しぶりのシャバの空気を全力で肺に流し込んで僕は帰路につきました。

これにて入院体験記は終幕です。
ジジイばかりの空間で過ごし、点滴を付け、鼻にガーゼを詰めて過ごす時間は地獄の様でしたが、窓際のベッドで外を眺め、あと何日で出れる、出たら何をしたい、何しなきゃなんて考えながら過ごしてたので、出れたときはとても清々しい気持ちでした。

地獄でなぜ悪い

星野源さんが2013年に発表した曲です。星野源さんがくも膜下出血で入院した時に書いた歌詞だそうな。これを退院後に聴きました。この曲を聴いて思ったことを少し書いて終わりたいと思います。

病室 夜が心をそろそろを蝕む
唸る隣の部屋が 開始の合図だ
いつも夢の中で 痛みから逃げてる
あの娘の裸とか 単純な温もりだけを
思い出す

地獄でなぜ悪い 作詞:星野源 作曲:星野源

僕は星野源さんほどの重い病気ではありませんでしたが、夜はどうしてもセンチメンタルな気持ちになります。周りはジジイばかりで夜中も咳や唸り声で重い気分になります。目を閉じてジジイを頭から押し出すことで現実逃避を謀りました。スケベな夢を力ずくで見ようと僕も何度もそのイメージをしました。でもまたジジイの唸り声が聞こえて地獄に連れ戻されます。

無駄だ ここは元から楽しい地獄だ
生れ落ちた時から 出口は無いんだ
いつも窓の外の 憧れを眺めて
希望に似た花が 女のように笑うさまに
手を伸ばした

地獄でなぜ悪い 作詞:星野源 作曲:星野源

僕は浄土真宗東大谷派のお寺の教えを小さいころから聞いて育ったのでそれをベースに生きているのですが、生れ落ちた時から死ぬまで楽しい地獄という言葉はしっくりきます。ニュース見ててもクソったれみたいな事件が毎日流れてきます。それを無視してこの世は平和とは言いたくありません。自分にも病気とか降りかかってきます。この世は地獄です。でも思い返せば楽しいこともたくさんありました。苦しいだけの地獄ではないのかなと思うんです。花を摘むように細やかな幸せを手に入れてきました。そして病室の窓の外(自分の目に見える世界の外、未知の世界)にもしかしたら希望の花があるかもしれません。それを探して歩き続ける人生を僕は肯定します。

嘘でなにが悪いか 目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ

地獄でなぜ悪い 作詞:星野源 作曲:星野源

僕の宗教観だと南無阿弥陀仏を唱えて生きていると亡くなった時に極楽(浄土)に必ず迎えられることになってます。まあ科学的に考えても本当にそうとは決して信じてません。だからと言ってそれが嘘とも思ってません。そういうことにしておけば亡くなった時に極楽に行けるそうなので。なんか気が楽じゃないですか。だから前を向いてゴールを目指してこの地獄を進むことができるんだと思います。嘘で何が悪いかってことです。星野源さんがそんなつもりで書いたかどうかは知りません。

教室 群れをはぐれた 重い空を行く
生れ落ちた時から 居場所などないさ
いつも窓の外の 標識を眺めて
非道に咲く花が 女のように笑うさまに
手を伸ばした
作り物で悪いか 目の前を染めて広がる
動けない場所からいつか 明日を掴んで立つ
明日を掴んで立つ

地獄でなぜ悪い 作詞:星野源 作曲:星野源

これは星野源さんの子供の時の話でしょう。共感する人も多いかもしれません。僕は群れの中にいたので多くは語れません。解説は他の誰かに任せます。動けない場所というのは子供のときの彼の状況と読み取れるんですが、これもまた病室とかかってますね。彼は昔は地獄で動けずにいたんですが今は進んでる(1番の歌詞)と解釈しました。

幾千もの 幾千もの 星のような 雲のような
「どこまでも」が いつの間にか 音を立てて 崩れるさま

地獄でなぜ悪い 作詞:星野源 作曲:星野源

「どこまでも」はここまでの歌詞を読むと地獄(≒病室)のことだと思います。夜空や雲というのはどこまでも続く暗闇ですが、それが崩れたら太陽(≒希望)が顔を出すんじゃないでしょうか。だったらいいなという事じゃないでしょうか。2015年に星野源さんが発表したSUNの歌詞を借りれば「Baby壊れそうな夜が明けて空は晴れたよう」ですし「何か楽しいことが起きるような幻想が弾ける」だと思います。『「どこまでも」がいつの間にか音を立てて崩れるさま』はうたかたの幻想でしょう。でも、これが次の歌詞に繋がります。

嘘でできた世界が 目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ
作り物だ世界は 目の前を染めて広がる
動けない場所から君を 同じ地獄で待つ
同じ地獄で待つ

地獄でなぜ悪い 作詞:星野源 作曲:星野源

やっぱりこの世は地獄です。死ぬまで地獄です。でももしかしたら外の世界があるかもしれない。あればいいな。そんな感じで生きてていいんじゃないかな。そんな感じでこの地獄を進む僕が動けない場所の君を同じ地獄で待つと星野源は歌ってます。優しい。でも歩み寄るんではなく進んだ先で待ってるんですよね。ここまで歩いて来いと。いいですねえ。

長くなりましたね。半分星野源になってしまいました。でも書きたいこと書けたので満足です。
ここまで読んでくれてありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?