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5年ぶりに帰省してきました

虐待の根源である存在を華麗に回避し5年ぶりに帰省してきました。親戚回りもフルコースで行ったため、けっこう疲労がたまり、夜はぐっすりと眠ることができました。ベッドが自分の家のより固かった…

ちゃんと親戚の家を回るのはおそらく10年以上ぶりだと思うので、親戚の人たちの周りの環境も変わっているわけですが、大学生の間に企業したりしている人や、プロのサッカー選手を目指すためにポルトガルに留学に行くような人(大学生)もいて、自由な人たちが多い印象でした。家の中でも頑なに帽子をかぶったままの人もいました。誰もそれには触れなかったけど…

前会った時3歳だった子とかも中学生になっていたりするわけで、向こうからしたら誰? 状態なのは当たり前なわけですが、遠く離れた親戚のおじさんの感慨というものを味わった気がしました。

昔の自分(6歳くらいかな?)が写っている親戚の集合写真が飾られている家もあったりして、「探してみ、いるんじゃない?」「あ、これ俺っすわ」みたいな会話もあって楽しかったです。そんな歳の自分を自分が発見できることが意外でした。

戦争の時代を生きた人の話をきいたりしました。昔話とか、自分が10年前だったら今みたいに聞けなかったと思います。やっぱりこの10年間でも何回か死のうと思ったことはあったわけですから、死に直面した時の話など、昔に比べたら、想像できる範囲が広がったかなあと思います。生きている今の瞬間が、当たり前ではないのだなという感覚は、自分が本当に死ぬかもしれないと思った経験をして(本当に死なずに)それを乗り越えないと、共感できない気もします。

中学生の時葬式に行った親戚の家にも行きました。私より年上ですが、当時大学生だった親戚のお兄さんが、居眠り運転で事故死しました。壁に激突しおそらく即死だろうということでした。お年寄りのおじいさんが亡くなった時のお葬式などは、長生きしたねとか話す声もあったり、空気にもゆるみがありましたが、その時の空気感はまだ肌で覚えているものがあります。

当時と同じところに座りました。当時周りにいた人の様子もぼんやり思い出していました。当時の重々しさは、表現するなら悲痛というしかないものでした。救いがない場でした。優秀で、顔立ちも端正で、前途有望と周囲から言われていたお兄さんでした。研究室に深夜を超えた時間までいて、帰る時に自分で運転していたそうなのです。研究熱心で、連日遅くまで残っていました。そんな時の突然の事故でした。

仏壇から目線を上げると落ち着いた、しかしはっきりと目の光のある顔つきをした当時の姿の遺影があります。交通事故は本当に怖いと思います。同時に、人間いつ死ぬかわからない。今の生きている時間を大切に。そして死ぬなら相当の覚悟をもって…いや死ぬ時はそんなことを考えてもいなかったりするのでしょう。

田舎に行くと死にたくなくなりますね。みんないい人たちです。後ろから刺される心配などしたことがない人たちなんでしょうか。時間がゆっくりと感じられました。

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