【日記】京都と花と小説と ④霊鑑寺の椿の庭を見てきた!
別れの春、霊鑑寺の椿の庭へ
久しぶりのブログ更新、仕事が忙しかった。
いや、実は悲しい出来事がいろいろあった。春は別れの季節だからしょうがない、よくあることだよ。そう言い聞かせてSuperflyのライヴに行ったけど、志帆ちゃんがバラードでしんみりしたMCをするから、ひとり暗いスタンド席で声を殺して泣く羽目に。隣の人、気づいてなかったかなぁ。恥ずかしい…。
そこで、わたしは考えた!新しい友だちを作ろう!うじうじしている場合じゃない!
病気だったし、仕事で閉じこもっていることが多いしで、よく考えたら京都に友だちらしい友だちがいなかった。ネット検索で浮上した友だち募集に飛びつきメッセージを送る。なんという早い反応か。秒で返事が帰ってきた。
Sさんはわたしより少し歳上の独身女性。花好き、神社仏閣好き、カフェ好きの似たもの同士。「霊鑑寺へ椿を見に行こう」というSさんの提案で、雨の中、傘をさし左京区の鹿ヶ谷まで出かけた。哲学の道のさらに東、山に近いところだ。
市バスを降り、肩で息をしながらうっすらけぶる寺までの坂道を上る。Sさんから「もう寺の前にいる」というメッセージがきて、焦って足を早める。
寺の門までの長い石段の前、目印だと聞いていた黒のキルトダウンの女性が見えた。わたしも水色のスカートと伝えてあったので、近づくとSさんの方から声をかけてくれた。
霊鑑寺は「椿の寺」として知られる尼門跡寺院。春の特別拝観の時期しか100種類もの椿が咲き誇る庭園や書院には入れない。そんな寺があるとはつゆ知らず、Sさんにくっついて寺の中を見てまわった。
「今年は寒いのでまだそんなに咲いていないんです」
寺の方が残念そうにそう説明してくださる。確かに花をたくさんつけている樹は数本で、あとはひとつふたつ花が咲いているだけの樹がほとんどだった。だけど、見ただけでも色かたちの違う椿がいくつも咲いていて、椿ってこんなにバリーエーションがあったんだ!とひそかに驚いた。
外国人の方も多く訪れていて、地元の人でもあまり知らない名所なのにと感心した。だけど、わたしたち大和撫子のふたりは脇目もふらず椿の写真を撮り続け、彼らの行手を遮っている。
ごめんなさい。頭を下げて道を譲るけど、また背後から人がやってくる。庭園の小径で傘を傾けたり、前へ後ろへとぬかるみを避けつつ移動したりして、Sさんと庭園をひと通りめぐった。
順路通りに、寺の縁台から靴を脱いで中に上がり、書院を見学する。皇女が尼として入門された寺なので、貴重な調度品やかるた、雛人形などが贈られていた。
わたしが嬉しかったのは、狩野永徳の筆で描かれた障壁画が間近で観られたことだ。狩野派を代表する超有名な江戸時代の絵師なのだけど、こんなに近距離で絵を観たのは初めてだった。思いがけない眼福である。
寺を訪れたのは平日だった。Sさんは平日が仕事のお休みだそうで、わたしが仕事の時間をやりくりして一緒に椿を見に行ったのだった。帰り際にバス停へ向かうとき、仕事のメールが入っているにもかかわらず、名残惜しく道端でおしゃべりする。
Sさんは5年前に関東から引っ越してきたそうだ。引っ越してすぐ飼っていた愛犬を亡くした、と淋しそうに話してくれた。
「偶然ですね、わたしも5年前に越してきたんです!」
運命じゃない⁉︎
「また、ふたりでお花を見に行きましょう!」
「平安神宮で夜桜コンサートがあるんですけど」
「東寺の夜桜ライトアップに行きません?」
などとひとしきり盛り上がり、お互いの下の名前を明かしてLINEを交換した。
Sさんはわたしと別れたあとも、寺の近くを散策されたようだった。
わたしはと言うと、バスの中で急いで仕事の依頼に返事をし、帰ったら息つく暇もなくノートパソコンに向かった。
Sさんには、こんな素敵な花の名所を案内してくれてありがとう、とLINEした。それからもSさんとはやり取りを続けている。
気の合う友だちができてちょっと元気は出たのだけど、わたしは3月いっぱいめそめそしっぱなしだった。この季節は草木の若芽が少しずつ萌え出てくるように、時間をかけて心に育ってしまった痛みの棘が、心の内側をひっかく。
自分はなんて周囲に配慮の足りない人間なんだ。謙虚さのかけらもない。わたしは知人に会うたび、そう愚痴って過ごした。
それでも刻々と春は過ぎゆく。ありがとう、さようなら。春の訪れと一緒に去って行った人たち。
♪今日の1曲
春はグラデーション/Superfly
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?