見出し画像

風呂と十六文キック

以前、学生寮のことをチラっと書いたが今日は寮の風呂について書こうと思う。

60人弱の学生が暮らす寮に中途半端なサイズの共同浴場がたった1つ。
浴場の中央に決して広くはない円形の湯船が1つ。小さなマーライオンから温度も勢いも安定しない湯が流れ出る湯船だ。

浴場の壁に沿い「コ」の字型にカランが並んでいる。カランは15台。
しかし隣りの人に湯が跳ねないよう1つずつ間隔を空けて使用していたため、1度に使えるカランはたったの8台ということになる。

授業が終わる夕方から21:30までに入浴を済ませなければならない。
かなり忙しない入浴である。

順番を待たずに入浴できる日はほとんど無く、ひどいときは浴場の外の廊下まで長い列が出来ることもあった。
順番を待つ間、3年生は床に座っていても良いが我々1年生は立っていなければならなかった。

ちなみに1年生は湯船に浸かることも禁じられていた。理由は知らない。
たとえ許されていたとしても、3年生がオッサンのような唸り声をあげてくつろいでいる湯船に「失礼♡」と割って入れるようなメンタルを私は持ち合わせていなかったためそれに関しては特に問題ない。

脱衣所も浴場同様に狭かった。
順番待ちで床に座っている上級生の目の前でパンツをおろすのは相当に勇気がいった。
前と後ろ、どちらを見せても失礼にあたる気がする。
しかし恥ずかしがっている時間はない。
上級生を待たせている以上、さっさと入りさっさと出てこなければいけない。
私は勢いよくすっぽんぽんの助になり浴場のガラス戸を開ける。

「失礼します!!○回生の○○です。
お風呂いただきまぁぁぁす!!」

ここで元気よく名前を名乗り挨拶だ。
素っ裸で小脇に洗面器を抱えた人間が現れたら誰もが「ああ、風呂に入るんだな」と分かりそうなものであるが、わざわざ宣言をしなければならない。

浴場でのお喋りは禁じられているため黙々と全身を洗い始める。

しばらくするとガラス戸が開き、同級生が入ってきた。
山形出身の米農家の娘で背が高い。
と、次の瞬間彼女が足を滑らせシャンプーやリンスを豪快にばらまきながら転倒する姿が鏡に映った。
長身の彼女が倒れる瞬間はまるで十六文キックのようであり、私は笑いをこらえながら足の指の間を一心不乱に洗った。
気を抜いたら爆笑してしまいそうだった。
爆笑する前に早く上がってしまおう。

「お先に失礼します。ありがとうございました!!!」

何への感謝なのかは分からないが、とにかく元気に挨拶をして浴室を後にする。
順番待ちの上級生に「お待たせしました。カラン1台あきました。」と素っ裸で頭を下げて挨拶をする。
そしてまた大勢の観客の前で生着替えだ。

……非常に疲れる。

入浴には疲労回復とリラックスの効果があると言うが、この寮の風呂には疲労増強と過緊張の効果がある。

看護学校を卒業し、看護師寮に入るときには「やっとのびのびゆっくりと入浴できる…」と心から嬉しかった。

ところがクジ引きで決まった私の看護師寮はまさかの共同風呂であり、そこから数年の間またもや他人と一緒に風呂に入る生活を送るはめになった。
さすがに素っ裸での大声挨拶からは解放されたので、それだけは救いであった。

ちなみに風呂場でド派手に転倒する人を見たのも学生時代の十六文キックが最後となってしまった。貴重な経験である。