前期破水して4日後に娘を出産した話②

①の続き。
出産前は珍しいこともあったが、出産については変わったことは特にしていないと思う。
娘は産後GCUに入院した。GCU通い等の産後入院中の過ごし方についても少し書く。

<①のあらすじ>
前期破水して入院、本陣痛を待っていたがなかなか来ず、感染症にもならなかったため、スタッフが揃う平日の分娩にそなえていた。


2 出産当日

(1)陣痛

出産前日の連休最終日に誘発剤(促進剤?)使用の同意書を書いたが、死産時の陣痛が思い出されて内心恐怖だった。助産師さんから説明されるときに自分の顔が引き攣るのを感じた。

当日、出産待機室で誘発剤を入れる前から若干本陣痛は始まっていたかもしれない。前回手足が痺れながら激痛に耐えた経験からびびっていたが、とりあえず出産界隈で有名なサンシャイン池崎さんと同じように息を吐くことを意識することにしていた。どのようになるかは前回のことからわかっていたため、誘発剤を入れる直前に夫に連絡して、これから産むまで連絡は取れなくなり、私はしばらく池崎さんのことしか考えない旨を伝えて出産に臨んだ。夫からの最後のメッセージは「君は生き延びることができるか」だった。当然ながら永井一郎ボイスで聞こえた。
前回の息子分娩時のことは以下の記事に書いている。


陣痛は相変わらず辛いものの、池崎さんのおかげか前回ほどではなかった。娘の心拍をずっと確認できて安心しながら陣痛に耐えていたのもあるかもしれない。ここまでの監視下で死ぬことはそんなにないだろう、とも思った。その代わり、娘が生き延びるために自分が頑張らなくてはならないことを強制されている気分だった。
何度も陣痛の波がくるのに子宮口は開かなかった。陣痛に耐えながらまだかー、と思うのは前回と同じだった。

気を紛らわせるためか助産師さんが雑談しようとしてくれた。職業を聞かれて答えたが、話を広げて深く質問をされても一般の人に多くを答えられない職業であることが明らかだったので、助産師さんも何を喋ればいいのだろう、という感じで一瞬黙ってしまった。当然この話は続かなかった。
次回があるのであれば、陣痛中にどんな話をしたいかバースプランに書いた方が良いだろうか。

また、出産待機室にいた別の妊婦さんが急に「破水しちゃった!どうしよう!」とパニックになっていたことがあった。こっちは4日前から破水しとるけど大丈夫、と励ましたい気もしたけれど自分もそれどころではないのでやめた。

途中色々あったものの、ずっと単調な陣痛の波に耐えていた。連日の寝不足のためか、陣痛の合間には何回か寝てしまった。それでも何かが身体の中を降りてくる感覚が前回と同じように突然きた。ただ、なぜか今回の私はこの感覚に対して「怖い怖い怖い」と言っていた。ぞわぞわした感覚があり、この不快さを早く取り除きたかった。このとき助産師さんにお尻を押してもらうことで少しだけ恐怖感が減り安心感が出た。

(2)分娩

誘発剤を入れ始めて3時間半ほどだったと思うが、分娩台に移動になった。そういえば息子のときも誘発剤を入れ始めて3〜4時間で分娩台に移動することになった気がする。
陣痛の合間に自分の脚で移動することにビビり倒していたが、案外いけるもので(息子のときもやったというのに)、分娩台に乗り安堵した。

あとは数回いきむことになるのだが、息を吐き続けていた私は急に息を止めて力を入れることに身体をシフトできなかった。そもそも破水から4日間も寝不足な期間を過ごし、元々体力が削られていたことも原因かもしれない。何回かいきんで、少し会陰切開をされ、何回目かで力を入れていた途中でいつの間にか産まれて、いつの間にか泣いているのが聞こえた。本陣痛が始まってから半日も経っていない。その瞬間は現実のように感じられなかった。娘の体重測定でGCUに入院することが決まった瞬間に現実だとわかった。娘は少し小さかったのでGCUに入院することになった。大したことではないが、その理由等はまた別の記事で書くかもしれない。
胎盤が出てくるときが激痛だったという実母の経験談を聞いたことがあったが、幸いなことに、胎盤はスルッと出てきて全く痛みがなかった。
あとは写真を撮って、娘はGCUに運ばれ、GCU入院について説明を聞きに病院に来るよう夫に連絡をした。この間に切開された部分を麻酔されて縫われた。それほど痛いとは思わなかった。

結果的に、陣痛から分娩までについては、ほぼ事前のイメージ通りに進み、問題が起こることはなかった。

(3)当日の産後

その後しばらく分娩台に放置され休まされるのだが、アドレナリンジャンキー状態の私はとりあえず今できることは今やっておこうと思い、目ギンギンな状態で上司に報告、感謝、関係者への伝言を書いたメールを送信し、その後一応実母に一報入れた(他の記事に書いているが息子死産の原因の張本人であると私は思っている。)。その後やることがなくなってしまい、ぼーっと妊娠アプリを見て妊娠中のことを振り返っていた。
しばらくして居室に戻ることになり、支えもなく自分の脚で歩いて自室のベッドまで辿り着き、助産師さんに驚かれた。

さすがに身体の疲れがあり、娘本人も疲れているだろうと思い、当日に娘に会いに行くことはしなかった。誕生3時間後の娘にGCUで会った夫と連絡をとり娘の入院について確認した(産科は外部との面会禁止だが、小児科は可)。
私の方が娘より先に退院することになりそうだと知り、行くことを諦めていた好きな漫画家の原画展にワンチャン行けるのでは! と期待したが、既に終了しており残念だった。それに懲りず、もしかしたら某夢の国に行けるかも、とも思い、軽く計画を立てたが、結果的には娘の退院が想定よりも少し早くなったので行っていない。
とにかく疲れ果てているはずなのに元気だった。

死産の時は息子と離れてしまって寂しくてたまらない産後だったが、娘のときはようやく分離できたという爽快感がある産後だった。

3 産後入院

産前の記憶が強烈すぎて産後の記憶の方がぼやっとしている。ざっくりと書く。

(1)産後の体調

妊娠中は常に体調不良だった私は、妊娠中よりも出産直後の方がだいぶ身体の調子が良かった。数ヶ月ぶりによく寝ることができて感動した。
会陰切開したところが痛く、出産当日と翌日は鎮痛薬をもらった。また、円座クッションを借りてどこに行くにも持っていった。

(2)GCU通い

娘のGCU入院により母子同室はできなかった。
出産翌日から1日3回、決められた時間にGCUまで娘に会いに行っていた。
初めてGCUへ行くときに、同じ日に出産して、赤ちゃんがNICUに入院した方と一緒に案内してもらったのだが、その方は車椅子で移動していたので出産が相当大変だったのだな、と推測している。
GCUではオムツ交換、入浴、授乳をGCUの看護師さんに教えてもらいながらやることができた。
産後の娘はGCUに入ったものの、小さかっただけで特に問題なく元気だったので、心配することはなかった。
GCUで娘に会うのが楽しくて、GCUに行くときは無意識に軽くスキップをしていた。さすがに自分がスキップをしていることに気付いたときにやめていたが、今思うとかなりイカれていたと思う。

(3)母子同室の様子

私より後に出産した人が同じ大部屋で母子同室をしていた。赤ちゃんが深夜に急に泣いて授乳に行っていたので大変だな、と思っていた。自分は夜はゆっくり寝ることができたので、娘がGCU入院になって良かったことの1つだと思っている。
ちなみに、赤ちゃんが深夜に泣いているのを聞いても全く嫌な思いはしなかった。急いで授乳室に向かう音が聞こえたが、気にせずゆっくりしてほしいと思っていた。

(4)搾乳

出産数日後に母乳がだいぶ出るようになっていた。胸が痛いくらい張るようになった。GCUに行くタイミングが限られているので、産科病棟にある電動搾乳機で搾乳することになった。あまりにも痛すぎて消灯後に搾乳したこともある。搾乳した母乳は産科病棟のスタッフに渡して、GCUの娘にあげることができた。
退院後は自宅で搾乳してGCUに届けることになるので、入院中にネットで搾乳機を購入することになった。退院後すぐには自宅に届かなかったので、2日ほど苦しむことになった。
また、とても喉が渇くので大量の水を飲んでいた。入院時に水をたくさん持っていき、夫にも少し差し入れをしてもらった。用意した分は退院までに全て飲み干したので、あればあるだけ飲んでいたと思う。

4 全体を通して

9泊10日入院した。
窓際のベッドだったが、外には一切出ないので外界の様子に興味を持たなかった。後に夫に聞いたところ、そこそこ天気が荒れており、娘の出産日、荒天の中、夫はGCUの説明を聞くために病院に向かったらしい。退院して病院の外に出たときは軽く浦島太郎状態だった。

何はともあれ、予定日より前に家で前期破水をしてしまったけれど危なげない出産をすることができた。結果的に、私の場合は家からすぐ近くでGCUのある病院を選んでいて本当に良かった。

以下余談であるが、体力が必要だと思い、入院中の食事はほぼ全て食べていた。私は先天的に腎臓が弱く、夫も塩辛いのが苦手なので、普段食べている食事が普通の人よりかなり塩分控えめである。病院の食事を食べながら、濃いな、とは思っていたものの、食べられないわけではないので食べていた。ちなみに、産科は普通の病院食ではなく分娩食であり、そこそこな量があった。その結果、長い入院期間で顔がパンパンに浮腫んでしまった。退院日に夫と再会した瞬間に驚かれることになった。

得られた教訓

・単調な陣痛でも進捗はある。いつかは終わるはず。
・破水してもあわてない(再出)。
・いきむのに体力が必要なので産前に疲れるのはNG。
・アドレナリンはすごい。
・NICUもしくはGCU入院が決まったら早めに搾乳機、母乳パックを検討して、母乳が出ることがわかればすぐに用意すべし。
・とにかく大量の水分を用意すべし。

最後に

出産が楽しいという人がたまにいるらしい。私は楽しいというほどではなかったが、出産を再度やってもいいと思える人だった。ただ、出産よりも妊娠中の方が断然辛いし長いので、出産をするには妊娠をしなくてはいけないということに憂鬱になってしまうのだが。

妊娠は何が起こるかわからないと改めて思い知った。娘の出産は少しレアケースだと思うが、可能性の1つと考えて参考にしてもらえれば嬉しい。

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