死産の分娩前の確認事項

死産(後期流産を含む)でこれから分娩の人へ
特に出産予定までまだ余裕があったのに急に分娩することになった人へ

やることは生きている子の分娩と同じはずなのに準備する気なんて起きないと思う。自分なんてどうなってもいいと思っているかもしれない。分娩のイメトレをしていないかもしれないし、今から調べようにも、出産関係の情報はどう調べてもキラキラした雰囲気を見せてくるし、そう推測しているからわざわざ調べたくない。
もし何もすることがなくて、どうしてこうなってしまったのか、同じようになった人はどうだったかを調べてここに辿り着いた人に読んでほしい。



陣痛中にやるべきこと

陣痛中この2つを意識して。
1 息を吐ききる。
2 何かが降りてきたらすぐに言う。

1について
陣痛の時とりあえず息を吐いて。吸うことはあまり考えなくていいから毎回吐ききって。
吐ききったら勝手に吸えるから。逆に吸うことを意識しないで。
わかる人はサンシャイン池崎さんのイメージで。知らなくても、わざわざ今サンシャイン池崎さんを調べなくてもいい。この芸名にふさわしいくらい大袈裟に息を吐ききって。

2について
身体の中で何かが降りてくる感覚がくるから、すぐに助産師さんに言うか助産師さんが近くにいなければナースコール。

何をするにしてもできるだけダメージを負わないに越したことはない。これから臨む全ての人がダメージ最小限で乗り切ることを心から願っている。

息子分娩時の話

以下は私のときはどうだったかを参考にしたいもしくは気になる人だけ読んでほしい。
うろ覚えだからざっくりと。

ラミナリアから入院まで

子宮内胎児死亡判明翌日から3日間病院に行きラミナリアを入れかえた。最後の3日目にそのまま入院して翌日の朝から誘発剤を使用し始めた。病院によっては最初のラミナリアを入れる日から入院することもあるらしい。
コロナ禍でなかったら家族の付き添いが可能かもしれないけれど、当時は不可で夫の付き添いはなし。
ラミナリアは入れる時の一瞬だけ痛い。入っているのに違和感があるけれど生活できるレベルで、どうせ安静にしているので問題なかった。

陣痛から分娩まで

分娩前日の夜、激しい腹痛が数回あった。後で助産師さんに聞いてみるとおそらく陣痛だったらしい。子宮口を広げているからか誘発剤を入れていなくても陣痛が来るらしい。
誘発剤を入れ始めたら陣痛が始まって定期的な激痛が来た。当時全くイメトレをしていなかった私はとにかく痛みに耐えて、どのくらいまだかかりそうかの目安にするため、なんとなく知識があった陣痛カウントをしていた。そのうち陣痛カウントをする余裕がないくらい痛くて、気づいたら手足が痺れていた。助産師さんに手足の痺れを伝えたところ、酸素が手足に行き渡っていないからと言われ、息を吸わねば、と思った。ところが上手く息を吸えず、なぜ、と思った。それでも、自分の当時のメンタルでは、子供も死んでるし自分も死んでもいいか、という感じだったためかパニックにはならなかった。なんなら自分死ぬんだな、と思い、前日に書いた息子の棺に入れる手紙を助産師さんに陣痛中に説明して渡そうとしたくらいで、自分で入れるんだよ、と諭された。あの時の正解は、とりあえず息を吐くことだった。たしか付き添ってくれていた助産師さんにも息を吐くように言われていたのだけれど、如何せんそんなに頭も回っていないから吸う方を意識していた。
1分半くらいの周期で立て続けに陣痛が来ているのに、息子が降りてくる気配もなく、死んだ方がマシと思っていたけれど、終わりは来るもので、急に身体の中に何か降りてきた感覚があり、その瞬間助産師さんに伝えて進捗を確認してもらったらすぐに分娩台に移動して、体感ほんの数秒で息子が出てきた。破水せず胎嚢に包まれた状態だったのか、ツルッと出てきたのが一瞬見えた。
出てきた瞬間に陣痛がなくなり一気に楽になったけれど、自分自身はぐったりしていたのを覚えている。

分娩後

その後は麻酔を入れられたこともあり記憶が曖昧すぎるので詳細はわからないけれど、寝て、起きて軽食を食べて、息子と面会して、迎えにきた夫とタクシーで帰った。普通に自分の脚で歩いていたのだけれど、病院で夫と対面する時に後ろから助産師さんが車椅子を押しながらついてきていたことを夫に聞いた。しばらく歩けなくなる人もいるらしい。大変な思いをしながら息子を産んだが、実は私はそこまで身体的にダメージがなく済んだ。
出産育児一時金は当然ながら余剰分がそこそこあった。息子がくれたボーナスだと思っている。しばらく生きていようと思った。

余談

●ラミナリアとは
調べたらわかるのでここでは端的に書くが、ラミナリアは昆布だそうだ。知ったのはメンタルがやられているときだったが、びっくりしすぎて夫に「昆布使うんだって!」と言ったところ夫も「は? 昆布?」と驚いていた。

●息子が出てきた時に思ったこと
胎嚢に包まれた息子が一瞬見えたとき、映画 ”風の谷のナウシカ” 作中のペジテで掘り出された巨神兵が初めて登場したときの状態に似ている、と思った。この巨神兵は最初はどこが人の形をしているように見えるのかわからないが、後で周りの袋のようなものが透けている状態で登場し、なるほどそういうことか、と納得する。それでもやはり袋に入っている巨神兵は人の形に見えないと以前は思っていた。今では初登場時の巨神兵に不自然さを感じなくなった。
後で調べてみると、あの巨神兵は人工子宮に入っているという設定らしく、あながちあの瞬間に自分が感じたものは間違っていなかったらしい。

●夫の上司の話
後日談として、夫の上司が夫に対して、歩けないくらい大変だったでしょ、といった内容で労ってくれたそうだが、「迎えに行ったら普通に歩いて出てきたので引きました」と夫は答え、それに対して上司は引いていたそう。

本記事の背景

本当は背景は始めに書きたいのだが、ここでは最後に書きたい。こんな御託から始まったら本当に読んでもらいたい人達を余計に疲れさせてしまうかもしれないと思うからだ。
母の流産死産経験があったため、私は自分の妊娠がわかった時からいつ流産してしまうのか、それともしないのか、といつも気にしていた。そのため妊娠12週を境に分娩に違いがあることを調べて知っていた。起こりうる最悪な結末として死産のことを私の過去も含めて妊娠中に夫に説明していたほどだった。だから子宮内胎児死亡を宣告されて、数日以内に分娩することもすぐにわかったし、めっちゃ痛いんだろうな、と思い身構えていた。それでも実際の分娩は想定を大きく越えて、とりあえず痛かったというのが率直な感想だった。
娘妊娠時は出産予定日の3か月ほど前から出産の予習を始めた。予習しながら息子のときも事前にやっておけば、と思ったが、あのときの自分に予習は間違いなく無理だった。もし予習したとしても、精神的にさらに辛くなって大事なことは頭に入らなかったと思う。このような息子分娩前の私と同じ状況になっている人の気が少しでも楽になってくれたら書いた甲斐がある。
本記事に書いた2項目は母体ができるだけ楽になるように、医師と助産師の管理下で赤ちゃんが出てこられるように、何が起こるかを想定しやすいように、ということを意図している。
繰り返しになるが、これから臨む全ての人がダメージ最小限で乗り切ることを心から願っている。

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