息子死産後の娘妊娠出産

死産(後期流産を含む)後に次の妊娠を考えている人へ

娘出産時のことも書くので、そんなことを知りたくない人は無理に読まないで。


背景

死産後、あの妊娠期間はなんだったのか、と思っていた。つわりが重く毎日吐き、点滴に通い、仕事を休むことになり、生きている状態で産むこともできず、さらに産後休暇もとり、なんの生産性もなかったのではないか、と。また、多少ポジティブに考えようとしても、妊娠前の私はハードワーカーだったので息子が私を休ませようとしたのではないか、というどうにもならないことしか考えることができなかった。
しかし、娘の妊娠と出産を経て息子を妊娠したことに意味を見出せた。また、死産時と明らかに違うことが事前に具体的にわかっていたら、次の妊娠と出産をイメージしやすく、もっと気楽に妊娠生活を送れたのではないかと娘の産後に思った。
似た境遇で次の妊娠を考えている人への後押しとなれば、と思い私の経験を書く。

息子のときと娘のときで "同じだったこと" と "違ったこと" と並べた方がわかりやすいのかもしれないが、母体が同じでも子供によって妊娠出産は違うことだらけなので、"息子のときの経験が役に立ったこと" と "大きく違った事" と整理する。

息子と娘の妊娠

息子のときの経験が役に立ったこと

娘妊娠時も相変わらずつわりが辛かった。それでも、もう初めて経験することではないので、事前に身構えることができたし、職場への調整も先回りして行うことができた。つわりがひどくなる前にテレワークをできるようにしたり、自分がやるべき仕事を最低限に厳選して、つわり等で全く動けなくなる前になんとか終わらせることができるように計画を立てた。息子の時は職場でもトイレに駆け込んでいたが、そうなる前に職場出勤を回避できた。
後にあるかもしれない産休、育休等の手続きについては、息子妊娠時にどういったものが必要か調べていたので、その手間を省くことができた。また、先の見えない妊娠中に出産前後の予定を検討するのはとても億劫なのだが、2回目にもなると比較的淡々と考えることができた。
上記の煩わしい作業を緩和することができたためか、つわりは同じようにひどくても、娘の時は少しだけ楽に妊娠生活を過ごすことができたと思う。

さらに、つわりへの対処にも慣れたもので、私の場合は、吐くことはわかっていても食べなければさらに辛くなることがわかっていたので、どうせ吐くのなら "何なら食べられるか" ではなく "何なら吐きやすいか" を考えて食事をした。結果、つわりでの体重の減りを抑えることができた。

大きく違ったこと

職場の私への対応がより慎重になった。息子のときも娘のときも、妊娠初期段階で妊娠を伝えたのは上司、テレワークの手続き、妊娠出産関係の手続きの担当者に限っていた。彼らから2回目の妊娠時の方がより気を遣われることになった。正直なことを言うと今度こそ無事に生まなくては、と少しプレッシャーだった。しかし、仕事より子供を優先してもらえているのが心強くも感じた。

妊娠の経過について1回目と全く同じわけではもちろんなかった。初期に卵巣が腫れていると言われたのだった。大体の場合は腫れはひく、と先生は言ってくれたものの、聞かなければいいのに私は腫れたままの場合どうなるかを聞いてしまい、激痛であると回答され、来るかもわからない激痛に怯える生活になった。結局腫れはひいたのだが、今度は元々あった子宮筋腫が大きくなっており、帝王切開になるかも、と言われ、さらに子宮筋腫の変性痛にまで怯えることになった。息子妊娠時は流産するのだろうか、ということばかり意識していたが、娘の時は流産死産の恐れに加えていつ激痛がくるのか常にビクビクしていた。結果的には激痛も帝王切開もなかったのだが。
人それぞれ、その時々で妊娠は違うものだと再認識した。

息子と娘の出産

息子のときの経験が役に立ったこと

気持ちに余裕のある状態で臨めた。人生2回目の出産はそれほど怖くない。反省点は全て改善するつもりで臨んだ。
イメトレがしやすかった。とにかく息を吐いて、陣痛の合間は少し休憩して、違和感があったら助産師さんに伝えて、分娩台に辿り着いて産むという単純なイメージだけれど。死産のときと違う病院だったので詳細までは考えていなかったが、ほとんどイメトレ通りの出産になった。
娘出産時はちゃんと呼吸ができたから手足の痺れはなく、娘も酸素に困らなかったらしく、真っ赤な状態で産まれて泣いていた。供給された酸素が少ないと赤ちゃんは白い状態で産まれるそうだ。私自身の出血もほとんどなかったらしい。助産師さんに、こんないい状態で産まれる子は珍しい、と言われた。
さらに私自身も産後は並より元気で、出産後の分娩室から居室までの移動は支えなしに自分の足で歩いた。助産師さんにまた驚かれることになった。

大きく違ったこと

当然ながら娘が生きている状態で陣痛がきていることが違った。お腹に装置をつけられて、心拍やお腹の張りをモニターされていた。
陣痛が辛くなってきて気づいたのが、息子出産のほうが実は気楽だったことだ。息子は死んでいるし自分も死んでいい、と思っていたのが今回は違う。息子のときもきっと自分は頑張っていたと思うけれど、娘のときは絶対に頑張らなくてはいけないと強制されているような気分だった。
娘が降りてきた感覚があったとき、なんとも言い難い恐怖があり、いまだになんだったのかわからない。息子のときは、ようやく終わりに近づいたことに安心したのだが。
ようやく分娩台に移動になり、今回もすぐ産めるのかと思ったら何回かいきむことになった。直前まで息を吐くことを意識しすぎて、いきみ方がわからず、「息止めて力入れて」と言われることになった。そもそも降りてきたらいきむのを我慢する状態が発生することを色々な読み物で事前に情報収集していたが、全く発生せずに「いきんで」と言われた時、今から⁉︎ とかなり驚愕した。
それでも、早く出てきてもらうよりも酸素を供給する方が大事だと思うので、息を吐く方を意識していて良かったと思う。

まとめ

結果、違いはあるものの娘の時の方が妊娠中も出産時も楽だったし、息子のときの経験により娘にとっても出産はだいぶ楽だったようだ。私は産後も並の人よりだいぶ元気だった。娘の妊娠出産において息子の経験は有益になった。
また、息子のときの話をここで書くことによって誰かの役に立てば彼が少しだけでも生きていたことにさらに意味を感じられると思う。

補足

本記事で書いた娘の出産経験はざっくりしたものなので、今後、出産日の数日前から入院することになった話も含めて詳しく書くかもしれない。
息子のときの話は以下に詳しく書いている。

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