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ラクな会話に見い出す生きやすさ

小さい頃、友だちとの会話に違和感を覚えることが多く、先生との方が会話が楽だなと思っていました。

田舎の小さな公立校出身ですので、学力も家柄もバラバラな子の集合体です。

私は昔からたぶん、「ことば」が得意でした。

辞書とか広辞苑を読み物として扱って、教科書も隅から隅までまさに熟読するような、ちょっと引かれる行動をしていたかと思います。

高校で受験をしたので、ある程度同じようなレベル感の人が揃いました。

そこで初めて気づいたのが、自分の発する言葉が、ちゃんとその意味まできちんと通じるってこんなに生きるのが楽なんだ、ということでした。

こう書くと「何を偉そうに」と言われそうですが、そういうことではなくて。

頭の中に描いているものを相手の頭の中でも同じように再現できないならば、それは通じたとは言えないと思っていて

相手によってその塩梅を見ながら話すのですが、ここに費やす時間がどれだけかによって自分の生きやすさは変わるのだなと思うのです。

私のこの話もきっと、わからない人には「こいつ何言ってんだ?」と評価されるでしょう。

別にそれでいいんですけども。

こういうこと考えていくと、同じレベル感、同じ背景知識を持った人たちとの会話はラクできるんだなと再認識します。

「生きづらさ」がフォーカスされる昨今ですが、反対の「生きやすさ」に気付けないと、何をもって「生きづらい」かもわからない。

そんなことに気づかせてくれたあの高校、その時の仲間には、本当に感謝しています。

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