2024年6月30日(日)そっとしておいてくれた

昨日は、7/5の、さとう三千魚さんとの朗読会のことを考えていた。さとうさんの詩集『貨幣について』(書肆山田)と『山崎方代に捧げる詩』(らんか社)を読んでいた。

どんな会になるだろう。朗読会とは言っても、二人でぼそぼそ詩を読みながら、ぼそぼそ話をすることになるのだろう。とにかく気楽に話がしたい。場所が「バー鳥渡(ちょっと)」というのだから、終わったら少しウヰスキーでも飲んで帰ろう。

ところで、昨夜の夢に清水哲男さんが出てきた。たぶん、さとうさんの詩から鈴木志郎康さんのことを思い、その連想から清水さんが出てきたのだろう。

どこから出てこようが、清水さんに会えたのは嬉しかった。夢の中でも、久しぶりに会ったことがわかっていた。

清水さんが生きているとかいないとか、考えていなかった。とにかく会えて嬉しかった。

「ああ、清水さん、お久しぶりです」とぼくは恥ずかしげな笑みを湛えて近づいて行った。

すでに5人ほどの人が清水さんの席のまわりにいて、みんなで何冊かの本を眺めている。居酒屋のようだ。

そうしたら清水さんがぼくの方を見て、「今年は松下くんの詩集も出たからお祝いしようじゃないか」と言って、みんなで乾杯をしてくれた。

でも、机の上に乗っているぼくの詩集に、ぼくは見覚えがない。本の帯には清水さんの推薦文が載っているのに。

そう言えば、夢の外で、ぼくはこれまで、詩を何度か捨てて、それからしばらくして、また詩の世界に戻ってきたことがある。

もどってきた時に、清水さんに久しぶりに会うと、何も聞かずに、またいつものように話をしてくれた。

そっとしておいてくれた。

いつも何も聞かずに、そっとしておいてくれた。

昨夜の夢の中では、清水さんはいつものように、みんなの話を黙って聞いていた。

ぼくは遠い席から、みんなの話を聞きながら、清水さんのことを見ていた。

もうこの世にはいない人だなんて、夢の中だからそんな意識はなかった。でも、せっかく会ったのだから、その時間を大切にしなければ、しっかり見ておかなければと、そんなことを思っていた。

たぶん、やっぱりどこかで、もう清水さんは亡くなったんだと、知っていたのかもしれない。

それでも、目が覚めてからも、会った時の喜びがまだ残っていた。

もうどこにもいない人にも、しっかり会うことができた。

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