見出し画像

対談 「詩を書く技術、詩を書く秘密」 池井昌樹 vs 松下育男

対談 池井昌樹 松下育男
「詩を書く技術、詩を書く秘密」 2019.08

松下 今日は、あの、池井さん、池井昌樹さん、みなさんご存知の詩人ですけど、対談でなんの話をしようかなって、全然打ち合わせしてないんですよね。だからまあ、どの方向に行くかわからないんですけど、僕は僕でね、こういうふうに話したいなっていうのを決めてきた。性格がこうだから。普通僕ね、この会でね30分から40分話をするんですけど、全部一言一句書いてきてるんです。で、今日も書いた。練習もしてきちゃったの。笑。だから、変な方向に行かないように、僕が期待するように話をしてもらいたい。笑。

池井 そうは行かない。笑

松下 練習してきちゃったから。笑

池井 それはずるいじゃないですか。笑

松下 でまあ、池井さんとしてはどんな感じで思っています?

池井 何をですか?

松下 今日の話どういうふうにやりたいか。

池井 いやもう、松下さんが何か問いかけてくれれば私が何か答えるという。

松下 ああ、それならいくらでもあるから大丈夫だ。

池井 僕から何か話しだしたら最初から横道にそれちゃう。

松下 そうですね。

池井 とめどなくなってしまう。

松下 こないだ新幹線で、帰り二人でお酒飲みながら帰ってきましたけど、ほとんどなんの話をしたんだか覚えてないですね。

池井 最後に、別れしなに松下さんが飲み物をこぼして、あとで僕は困ったというそれくらいですね。覚えているのは。笑

松下 それくらいのことですかね。まあ、あの、おいおい詩の話はせっかくだから、詩を書くヒントとか、これは詩の集まりなんでね、当然詩の集まりなんだけど、池井さんの秘密をちょっと、詩を書くヒントとかそのへんを訊いてみたいと思うんですけど、ちょっと思い出話をその前に、先にしようかなと思って。それで終わりにしないようにしますけども、えーと、池井さんってどんな人って、まあご存知の方は多いと思うんですけど、万が一知らない人がいるかもしれないんで。ここにね、ハルキ文庫の中に年譜が入ってますよ。13歳で詩を書いている。僕より三つ年下ですね。まあ、中学生か高校生くらいの時から有名な詩人で、僕にとっては有名な詩人で、おいおい話してゆきたいと思うんですけど、1977年に『理科系の路地から』を出している。こんなに分厚い詩集でしたよね。

池井 そうです。

松下 第一詩集が。箱入りでしたっけね。

池井 箱入り。

松下 すごかったよね。衝撃的な詩集、すばらしい詩集だったですけども、初期の詩もいっぱい載っていて、それが出て、それからもう2年置きぐらいにずーっと詩集出しています。19冊ですか。今年また出したんで19冊になりますかね。その間、まあこれを言うと本人はいやがるだろうけどいろんな賞をもらっているんですよ。歴程賞、文部大臣新人賞、花椿賞、詩歌文学館賞、もう読むの疲れてきましたけど三好達治賞、現代詩人賞、ほかになにかあります?

池井 ありません。

松下 そんなに貰っているんです。まあ若い頃から旺盛に詩を書いていて16歳で千篇書いている。

池井 よく読んでいますね。

松下 今日会うっていうんで。

池井 16歳で千篇書いたと自分で数えているっていうのも異常でしょ。僕は16歳まで、というか今でもそうだけれどもずっと大学ノートに清書するんです。で、そこに作品ナンバーをかつては書いていた。

松下 モーツアルトだね

池井 そりゃあ違うんだけど、だから千篇を超えた時は高校一年くらいの時かな。一千篇を超えたという実感としてありましたね。

松下 ちなみに廿楽さんは16歳で何篇くらい書いていました? 

廿楽 16歳,高校一年生。高校一年生の時に、そんなに書いてないですよね。

松下 書いてないよね。

池井 いや、ろくな詩がないんですよ僕。ほんとにろくな詩がなくて、要するに作品番号を記したくて書いたみたいなところがあって。

松下 それって、そのノートまだあるんですか?

池井 もちろん、ぜんぶ。

松下 それ、死んだら誰に渡すんですか。

池井 どうしよう。

松下 僕にもらえますか。

池井 いやいや。笑

松下 いや、僕にちょうだいよって、僕の方が先に死ぬかも知れないね。笑。三歳年上なんだから。

池井 その大学ノートの第一冊目から、ビニールでできたブックカバーがあるじゃないですか。あれをつけてね、ずーっと番号順に並べてるの。バカでしょ、ほんとにね。

松下 いや、ご自分で異常だって言ってたけど、異常だね。笑。僕も若い頃から詩を書いていたんだけど、ぼくは結構まっとうなほうで、でもだんだん高校生くらいになって、大学入った頃くらいになって、あ、僕みたいに子供の頃から詩を書いている人がいるんだって驚いた人が二人いるんだ。池井さんと荒川洋治だね。あ、同じように若い頃から詩だけのことを考えて、そこに集中して生きている人が僕以外にもいるんだと思ってほっとしたような気がした。

池井 ただこの、ひとつちょっと話を、水をさすようだけど松下さんと荒川さん、ごく幼い頃から、少年期から詩を書いておられた、僕から見れば先輩ですよね。僕も、少年期から詩を書いていたんだけども、ぜんぜん違うところがあるんだね。荒川さんも松下さんも、つまり文学から詩は始まっている。僕はそれまでに小説も詩も何も読んだことがなかったんだ。だから僕の詩は、例えばあこがれの詩人がいたり憧れの小説家の作品のここがものすごく、たまらず忘れ難く、それが詩のきっかけになったということがないんです。そこが全然違うところですね。

松下 ちょっとぼくは最初に話訊こうと思ったのと違ったんだけど、せっかくそれ言ってくれたんだから訊こうかなと思っているのは、池井さん、たとえば親戚とか、お父さんお母さん、叔父さんに文学系の人がもともとおられたんですか。

池井 いやいない。母が油絵を描いていて、趣味で、祖父はいつも宗匠帽っていうんですか、お茶の、あれをかぶって、一茶さんとか芭蕉ハンとか蕪村ハンとか言って、日常生活の中でそういった俳句とか、まあ発句と言っていましたけど、そういうものを楽しんでいた。だから、文学者とかそんな人はまったくいない。

松下 そうすると、どうして池井少年は東京に出てきてひとりで巣鴨刑務所の前の小さなアパートで詩だけを書いていれば僕はいいんだって、そこまで思わせるものって何だったんですかね。

池井 なんだったんですかね。ただその話を溯れば中学一年の時に美術の授業がありましてね、その美術の先生が変った先生でね、シンミョウ先生っていうんですけど、今でもお名前を漢字で書けないんだけど、男の先生で、頭のぼさぼさの面白い先生だったんですよ。その先生がね、第一回目の授業の時に、なんでもいいから一番恐いと思っているお化けの絵を描いてみろってみんなに言ったんですよ。で、夢中でお化けの絵を描いたらシンミョウ先生がものすごく褒めてくれたのね、お前のお化けはすごいって。あれが、思い返せば僕の詩の第一歩だったのかもしれないですね。

松下 表現することの。

池井 うん。僕のお化けっていうのは、日記もロクに書けなかったような少年だったから。

松下 ああそうなの

池井 そうなんだよ。それを話しだしたらまた長くなるから、話さないけど、だから授業その他で褒められたことがなかった。だから初めてその美術のシンミョウ先生に褒められて、黒板に僕の絵が貼りだされたりして、ほんとに嬉しかったんですよね。それで僕の絵はね、死ぬのがいやだったから、死ぬのが恐かったんだね。そこんところだけたいへん早熟だったんですよ。

松下 うん

池井 死ぬっていうのはさ、父ちゃん母ちゃんと爺ちゃんばあちゃんと、もうずーっと会えなくなることなのかなと。例えば、夜寝たらもう会えないんだけど、目が覚めたら会えるでしょ。でも死ぬっていうのはずーっと目が醒めないということかなと、そうしたらもう、カアチャンには絶対にもう会えないと思ったらもう寝られなくなるよね。で、そういったもろもろの死への恐怖っていうのがありましてね、そういう恐怖っていうのかな、そういうものを要するにお化けの絵として、言って見れば想像力、イマジネーションですわな。でもほかのクラスメート達はみんな、蜥蜴の絵とか八本脚の蜘蛛とかああいう現存する気持ちの悪い形態の動物を下敷きにして絵を描くんですよ、お化けの絵を。でも僕の絵はその下敷きがないんだ。

松下 具体的には何を描いたんですか

池井 いやわかんないんだ。動物の蜘蛛じゃなくって、要するに自分の中にある記憶以前の記憶っていうのかな、死の中に入っている恐怖感、例えばさっき言った死ぬ事への幼い恐怖とか、そういうものから出てきたものだったのかもしれない。それをシンミョウ先生がものすごく褒めて下さったのね。

松下 それは見抜いたんですね。僕が今、池井さんの話で面白いなと思ったのは、死ぬことへの恐怖って、だれしも少年少女の時に一回ふと、自分も死ぬんだって思うと眠れなくなっちゃう日っていうのは、通過してきますよね。でも、普通自分がいなくなるんだっていうことに対する恐怖が先立っているんだけど、池井さんの場合はその前に父ちゃん母ちゃんに会えなくなるんだっていう言葉が出てくるっていうところが面白いな。

池井 それが一番の恐怖、でした。

松下 それって、僕も後で訊こうと思っていたんだけど、池井さんの十九冊の壮大な詩集を読んでいると、一貫して家族のことを書いている。そこにやっぱり繋がっているなと。ファミリーファーストっていったら変だけどさ、やっぱり自分より先に家族がいるって、だいたい詩を書く者って家族のことを書くんだけど、やっぱり家族のことを書いても、一つのテーマ、自分自身のその次、やっぱり吾を吾をっていう人が多い中で、池井さんの家族の詩が目立つというのは、やっぱり自分より先に家族がいるっていうことなのかなって、今話聴いてね、思ったんですよね。

池井 だから家族がいるっていうことは家族との別れが必ず自分の中に意識されている。ごく幼い頃からそういうところがありました。死の話が、日常交わされていた。

松下 幸せだったんだね。

池井 幸せだったんだ。貧しかったけれども、10人家族で大変貧しかったけれども、でもどの家もみんな貧しくて大家族だったんですよ。貧しくて大家族でみんな幸せだったんだ、かつて。それで今松下さんの話でちょっと思い出したんだけど、夜寝ようと思ったら、自分が死んだらっていうことが込み上げてくるでしょ。恐くて眠れなくなってくるんだよね。僕は幼い頃から。そうしたら夏の夜なんか、まわり一面田んぼだったから夕方くらいから一斉に蛙の声が沸き起こるんですよ。

松下 香川県ですよね。

池井 そう、香川県。まわりずーっと水田だったから、そうしたらあの蛙の声を聞いていたら、蛙の声がね、「そうじゃない、そうじゃない、そうじゃない」って言っているみたいに聴こえる。たとえ話じゃなくって。死ぬっていうのは、自分があとかたもなくなるっていうことか、そうじゃない、そうじゃない、そうじゃないってね。これ、喩えじゃないんだよ。ほんとにそういうふうに聴こえてくるんですよ。そうしたらね、安心して眠れるんだね。あの一斉に沸き起こる蛙の声って、あれ全然、あんな大音量でも騒音に感じられないんだよね。不思議ですね。あの、なんて言うのかな、こういう気づきがいたるところに満ちあふれていた時代っていうのがありましたね。みんなほら、生きている人が神様を信じていたんだな。皆さん、神様を信じています?そんなもの信じていないですよね。科学が万能だから。

松下 その話するとちょっと収拾つかなくなるから。笑。それで最初に書いた詩ってなんなんですか。第一番は。

池井 第一番はね、「夏の夜」っていうんだけど、まあ第一番じゃないんだけど第百番ぐらいに「祭りのにおい」っていうのがある、これがたぶん第一番と思ってもいいでしょうね。

松下 あのー、今言った「祭りのにおい」って僕も読んでるのかな。あのころってなんかそういうにおいとか、感覚とかこう霧がかかっているような、例えば風邪を引いてボワーンとした中での情景であったり、埃が舞っているようなそういう雰囲気の中での感覚っていう詩を書いてましたよね、最初の頃。

池井 ちょっと「祭りのにおい」を言いましょうか。

松下 どうぞ

池井 短い詩なんですけどね。

松下 ちゃんと録音とっているから。間違えないように。

池井 急に緊張したね。笑

池井 

ゆっくりとあずきのにおい 
かびくさい歴史のにおう部屋 
古くなったかけじく 
祭りのある日は 
祭りだけのにおい 
祭りだけのふんいき 
家中のだれもかれも 
まるでいつもとちがったように動いている 
祭りは
古い歴史の不気味さおそろしさ楽しさが 
一度にやって来たような感じ 
祭りのある日は 
祭りだけのにおい 
祭りだけのふんいき 

という詩なんですけどね。これ、体言止めがものすごく多いでしょ。

(拍手)

これ、体言止めがものすごく多くて、今になって気がつくんだけど、この詩を、一番最初に投稿したこの詩を選んでくださったのが山本太郎先生。

松下 「詩学」ですか。

池井 「詩学」じゃなくって「中二コース」。で、だったんだけどその、後年山本太郎さんが私の詩に対して、まだ若い池井君がどうしてその、祭りのにおいとか湿った黴のにおいとか畳みのにおいとか、タンスの引き出しのうめきとか、そういった古い因習にまつわるような感覚にとらわれてしまうのか僕は不思議だっていう選評をしてくださったことがあるんだけど、不思議な気がしたんですよ。さっき私が言った体言止めばっかりでしょって、「ゆっくりと小豆のにおい」とかね、なんで体言止めかって、体言止めが列記されているかっていうと、全部感動なんですよ。僕が生まれたその時の、生まれて初めて畳に転がり出た時の、一番最初の手触りとか肌触りとかにおいとか、だから僕にとっては湿ったにおいとか黴臭さというのは、あれは決して大人が感じるような気持ちの悪いにおいじゃなくて芳香なんですよ。

松下 うん。

池井 僕にとっては生まれて初めてこの世に現された時の感動のにおいなんだ。体言止めが多いっていうのはあれ全部感動だけを書いているんです。僕はこれに感動した、感動した感動したって。だから僕はあれは思い出を書いてるんじゃないんだ。一回生まれた時に立ち戻っているんです。だから僕はその時からずーっと感動だけを書いていて、「わたくし」の事をかいたことは一度もないんです。それで一回大学時代から大学を卒業した頃にそういうことがわかんなくて、自分の詩がわかんなくて迷って、「わたくし」のことばっかり書こうとしたことがあるの。

松下 うん。

池井 わたくしは、わたくしは、わたくしはって、それでへぼ筋に入って、それで数年詩が書けなかったことがある。でやっと詩はわたくしのことを書くんじゃなくって感動のことを書くんだ、だれのものでもない感動をとりだすだけなんだっていうことが分ったのがここ数年。

松下 なるほど。あのー、やっぱりさっきの自分が死ぬんだっていうことと関連して、やっぱり幸せだったんだね、やっぱり手放したくないんだ、生きているこの生を手放したくないんだっていう気持ちから来ている詩だから、やっぱり行き着くところは生きる喜びなのかなと思うんですよ。

池井 そうかな。

松下 生きる喜びを追求した詩だからみんなの中に入ってゆくし、もう一つ池井さんが言っていた「初めての感動」っていう意味では、今回第19詩集『遺品』っていう詩集を今年出されまして、もうでたのかな。

池井 まだ出ていない。

松下 その『遺品』っていう詩集の中から十数篇、こないだ荻窪の詩の教室、池井さん、荻窪で詩の教室をやっていて、ぼくはちょっと遊びに行って、

池井 松下さん来てくださって。大盛況。笑

松下 そんなことはなくて。池井さん、僕と同じで大げさに言う癖があって。笑。その時に読んだ詩も、ノートとったんだけど、初めのところに目をすえている、池井さんって常にもとにもどっているっていうの、僕は池井さんのことを褒めると、褒めているんだか貶しているんだかわからないってよく言われるんだけど、積み重ねがない、そこがすごいの。ついつい文芸の世界って、うまくなりたい、昨日よりさらによくなりたい。でも池井さんはそうじゃない。もとに戻りたい、書き始めにもぐりこみたい。第19番目の詩集にしてそうなんですよ。やっぱりそこって、池井さんがどこまで意識されているのかわかんないけど、さっき池井さんがその、自分が自分がっていう所に行ったら書けなくなっちゃったって言ってたけど、やっぱり詩を書くって常にもとに戻ることなのかなって。僕が一篇目はなんでしたって訊いたのは、やっぱり一作目が出てきたことの驚き、その一作目を繰り返し繰り返し書いてゆくのが詩なのかなっていう雰囲気がね。まあいろんな意見はあるけどね、そこがひとつの真実なのかなって思ったんです。それでちょっと話を進めていいですか。それで池井さんと僕って初めて会ったのは一九七〇年代。

池井 焼き肉屋でしたよね

松下 じゃないと思うんだよね

池井 焼き肉屋だった。一番最初は。

松下 音楽喫茶じゃない?

池井 いや、焼き肉屋だった。笑。松下さん、ビールを召し上がっていた。

松下 じゃあ焼き肉屋と喫茶店の中間くらいなお店。

池井 そんなのある?

松下 え?焼き肉屋?

池井 焼き肉屋だったと思うよ

松下 園下勘治。

池井 園下勘治が焼き肉が好きで、ほら、焼き肉屋だったと思う

松下 園下勘治っていう詩人がいたんです。

池井 松下さんを紹介してくれたのが園下勘治だったの。

松下 あの頃に、だから焼き肉屋か喫茶店で会ってんですよ。どっちかで。まあどっちでもいいや。僕が覚えているのは、音楽喫茶、なんていったかな「ランブル」、渋谷の。

池井 よく覚えてないんだな。

松下 覚えてない?あれ、池井さんだったと思うけどな。違う人だったらごめん。焼き肉屋行った?

池井 焼き肉だ。たしか焼き肉屋行ったと思うの。

松下 どの辺の?

池井 いやだからぜんぜん覚えてないんだ。渋谷は渋谷だったと思うんだ。松下さんと会うには必ず渋谷だった。

松下 たぶん喫茶店行ったあとに焼き肉屋行ったのかも知れない。でそれが一九七五年くらいかな。池井さんが20代前半で僕が半ばくらいだったと思うんですよ。まだ『理科系の路地まで』が出る前だったと思います。それでもう、もちろん池井さんの名前は存じ上げていて、なんかねえ、名曲喫茶って今でもあるのかもしれないけど、席が向かい合わせじゃないんだよ。教室形式で、正面にでっかいスピーカーかなんかがあってみんな音楽を聴くためにそっちを向いているの。それで喋ると叱られるんだよね。なんでそんなところで引きあわされたのかっていうのが不思議でしょうがないんだ。しゃべると叱られるようなところで池井さんと二人でこう並んで座っていた記憶があるんだよね。
で、あの当時に、雑誌も一緒にやっていて「VIE」ヴイ?

池井 ヴィー。生きるってフランス語ですかね。

松下 生命とか生きるとか、あれも園下さんがやっていた。その頃に、だから接触しているんです。僕は池井さんとね。それ以来ずーっと会っていなくて、60代でまた会った。

池井 うん。そう。

松下 っていうことなんですよね。

池井 ひょんなところで。

松下 だからあの。

池井 いや松下さんが、前年の三好達治賞の時に上手宰さんが受賞されたんですよ。でその上手宰さんの人物なり作品なりの紹介で松下さんがお見えになったんです。その話を聴いて僕はびっくり仰天したんだよ。この人はまったく嘘をつかない人だって、おそろしい人だって思った。その時が再会ですね。

松下 ちょこっと会っていることは会っていることは会っているんだけどね。吉祥寺のあそこに一回だけ。

池井 ああそうだ。桃の忌。

松下 廿楽さんも行ったことあると思うんだけど「桃の木」でちょこっと会っているけどね。まあでも、きちっと話をしたのはあの時ね。新幹線で。楽しかったね。

池井 楽しかった。

松下 今日は別に楽しかったねという話をするためにきたわけじゃない。で、ちょっと真面目な話をさせてもらうと、その四十年間池井さんと会っていなかったんだけど、僕がずーっと思っていたのは、自慢気に言うわけじゃないけど、僕は真面目に詩を書いてこなかった。それに対してって言ったらなんだけれども、池井さんはずーっともうひたすら詩を書いていた。詩人として生きていた。それで、僕にとっての詩というか多くの人にとっての詩というのは、その都度、これから先、詩を書き続けてゆくか、あるいは詩はやめようかっていうのを選びながら毎年毎年、毎日毎日生きているんだけど、池井さんって特別なのかなって、なんかあらかじめ詩を書くように、詩の方に選ばれているのかな、我々は詩を選んでいるけど、池井さんは詩に選ばれているのかなっていう感じがする。その辺はどうなんですか。

池井 いや違うんだ。あのね、それはもう誤解を招くから申し上げておきますが、ええかっこして言うんでもなんでもなくて、ほんとは大変恥ずべき行為なんですよ。

松下 恥ずべき行為じゃないですよ。

池井 恥ずべき行為なんです。僕にとってね。詩を書くということは、つまり、僕はごく幼い頃からね、チックっていうあれがあったの。音声チックとか行動チックとか、両方あったの。でもまあごく幼い頃ってだれもそういう一時期ってある。私もそういう一時期だったんだろうと思うんだけど、こうしなければ止められないものがあるんだな。それはその音声の方にして、ヴン、ヴン、ヴン(喉から発する低い音)って言いだすのね。それがだんだんエスカレートしてウウーン、ウウーン(語尾が上がる)ってなってくるんですよ。

松下 わかります。

池井 それをね、例えば家族の中でだと父は近くにいたら、大変神経質な父だったから、「またやってる」って言うんだナ。そしたら尚更言いたくなる。

松下 我慢できなくなってくるんだね。

池井 できなくなるんだ。なんでそのチックのことを言い出したかっていうと、そのチックは乗り越えなければ一日が過ぎないんだ。僕にとって詩はそのチックに非常に似ているところがあるんだ。その、詩がやってこなければ、それをとりだしてあげなければ、その日が越せないんですよ。だれのためでもないの。自分の生理のためだけという浅ましい見下げはてた行いとして詩を書くということがありますよ。書かなければ、だから一番つらいのはやってこない時期なんだ。

松下 それが普通なんじゃない。

池井 詩がやってこなくて、それがとりだせない時って、死に絶えてるみたいな刻々なんだよね。だからなんて言うかな今松下さんが言ってくださったようなね、そんなものじゃないんですよ。

松下 ただその、僕も池井さんほどじゃなかったけどやっぱり若い頃ずーっと詩を書いていて、自分はもう詩を書いて生きていくっていうふうに思っていた。それでまあいろんな仕事はするだろうけど、詩を書かない自分っていうのは想像できなかった時期がある。でもある時、まあいろんな事情があって、僕にも歴史があって、書かなくなったの。でも詩を書かなくなったらロクな人生じゃないって自分は思っていたんだけど、そうでもなかった。

池井 それ、ものすごくよくわかる。

松下 でも池井さんの場合はそういう時期ってなかったんじゃない?

池井 あった。

松下 あったの?

池井 これはね、これは大きな私にとっての私的試金石だったと思う。つまり大学卒業まではありあまる時間っていうのが日々与えられていたじゃないですか。自分の自由にできる時間っていうのが。でも就職したらそうは行かないでしょ。で私は書店員として35年間奉職したけれども、つまりその書店員として働いている時に、宮沢賢治みたいに首から金色のペンシルをぶら下げて、詩がやってきたら書くなんてそんなこと許されないでしょ。でもね、最初苦しかったんですよ。詩がやってきて「あっ来たな」と思った時に、店員さんって呼ばれるでしょ。いらっしゃいませーって。そうしたらそのやってきた詩を忘れちゃうんですよ。ああ何だったかなって思い出そうとする。

松下 つらいよね、それね。

池井 でも思い出せないんだな。ところがまたお客さんから呼ばれたり。でもね、またおんなじ詩がやってくるんだな。でまた呼ばれるでしょ、店員さんって。でまた忘れるでしょ。でも三度目に来た時にはもう忘れないんだな。もう中に刻まれているんだ。絶対に忘れない。詩が放してくれないんだな。でそういう時期がありましてね、でさっきの松下さんの話だけど、だんだんそのなんて言うのかな、自由でない時間、就業時間が私の詩を浄化するみたいなそういう年月があったんですよ。要するにやってきて書きたいからすぐ書くっていうことができない年月っていうのがずーっとあって、その間僕はなにをしていたかっていうと仕事をしながらつまらんことばかり考えていたんだな。お金がないとかね。今死んだらどうしようとかね。

松下 仕事のことは考えなかったんですか。笑。

池井 つまらないことばかり考えてたの。つまりその目先のつまらないことばかり考えていた時の僕っていうのはたぶん生きていたと思うんだ。

松下 僕もそう思います。

池井 生きている自分を決して詩は見逃さない。

松下 僕もそう思います。

池井 ほんとにやってくるんです。でね、自由な時間にいっぱいいくらでもやってくる詩っていうのは全部ワタクシ的なうわ言とたわ言。これはねあの一晩寝て翌朝見たら金貨が木の葉に変っていますから。笑。ほんとにそうです。それをね思い知らされたのが三十数年間の書店員の時間でしたよね。

松下 たぶん池井さんの書けないっていうのはそういう一日の時間単位なんだけど、僕の場合は十年二十年単位なんですよ。

池井 それは長いですね。

松下 でもまったく同じことが言えるんですよ。やっぱり十年間書いていないっていうのが、次に書いた時に役に立っているんですよ。やっぱり「けんけんぱ」だと思うの。いきなりずーっと詩のことばかり考えて書いた詩っていうのは詩の中のことでしか書けないんだけど、一回詩から出てそれから詩に戻るっていうその膜を一回通過してもう一回戻ることってやっぱり大切なことなのかなと思って。池井さんは十年間書かなかったわけじゃないけど一日の間に何度も何度もそれを繰り返している。
でちょっと話をその話でつなげると、さっきその仕事をしていると詩がわっとやってきたって。で、こないだ荻窪の方でも面白いなと思ってこの『遺品』の詩を生徒に読ませて、池井さんが解説していたんだけど、「これはね、扉を開けた時にわっときたんですよ、詩が書けると思った」って、どこの扉でしたっけ?

池井 トイレ。

松下 トイレの扉を開けた時にわっときて、これは書けると思ったって、そのわっと来たものって何なのかをみんなに教えてもらいたい。その時に僕はそれは言葉ですかって、ひとつの言葉が来たから書けると思ったのかって訊いたらそうじゃないって言った。わっと来たものってなんなんですか。

池井 あったかい兆しとしてやってくる。

松下 わかんないです。もっとわかりやすく。

池井 だから、松下さんはその時に執拗に食い下がって。例えばひとつの言葉として出てくるのかとかいろいろ言うんですけど、でもそうじゃないんだ。必ず幸せな兆しとしてやってくるんだ。

松下 形でいうとどんなですか。

池井 雲みたいの。空行く雲みたいな感じで。

松下 なぜわっと来るんですか。なにもないところから。

池井 つまり、「遺品」の詩の成立に関してだけ言えば、その時に何か堪らなくくさくさした思いがあって、悩みがあったんだな。これはどうしようかなと思って、トイレのドアを開けた途端に、この「遺品」っていうのはわっとやってきたんだ。あったかい兆しとして。

松下 全体でくるの?

池井 全体でくる。

松下 ということは、最後の行までできているんですか、それともできてはいないんですか。

池井 だからその、言葉としてじゃなくって、あったかい兆しとして全体がやってくるんだな。で、やってきて胚胎したら、これはもう決してのがなさい。

松下 それって、できたら、うわっとできたらこれはもう詩ができるって確信があるんですか。

池井 ある。うん、しあわせな瞬間ですね。

松下 それは文字にしないと詩にならないですよね。その転換はどうやって、それじゃあ今わっと来たものをうわっとどうやって書いているのかっていう、そこの仕組みはどうなっているんですか。

池井 うーん

松下 一行目は、このわっときたものはどうやって引きずり出すんですか。

池井 そこの記憶がないんだ。だって、自分でも解らない感動を取出しているんだから。最後の一行に、思いがけない表題が解答みたいに現れたりする。笑。

松下 参考にならないね。笑。

池井 ひとつ言えることは、だから言葉じゃなくってもいいんですよ。

松下 それはわかります。

池井 絵の具でもいいし、なんでもいいの。新作を持ってきてるんでそれを読んだらよく分ると思うの。

松下 その前にひとつ、せっかくだから遺品を読みますので、その後で。この「遺品」って今年の詩集の後に書いた詩を池井さんにも読んでもらいます。

松下 では、「遺品」を読んでみます。

「遺品」 池井昌樹  

髪の毛すこし
歯がすこし
金冠も
銀冠もない
カネにはならない
カネならおれのかくしのなかに
錆びた小銭がなんまいか
それだけだ
なにかのたしにするがいい
なんのたしにもなるもんか
はきすてるようその子がいった
そのときからだ
かくされてきた
遺品がかがやきはじめたのは
それがなにかはしれなかったが
どこにあるかもしれなかったが
なにもほしいとおもわなかった
そのときからだ
ひめられてきた
遺品がかがやきつづけたのは
どこのだれともしれなかったが
だれのものともしれなかったが

という詩です。「遺品」というのは結局自分の子供だったっていう詩ですね。あの、文字でもう一回読んでみてください。何度読んでもいい詩です。それでは池井さん、最近の詩を。

池井 これ、できたてのほやほやで。

松下 いつですか。

池井 きのう。

松下 きのう書いたんですか。じゃあ第二十詩集に載るだろうという。

池井 どんな、僕の書いたものよりも、新作が一番かわいい。

松下 そういうもんだよね。

池井 新しいほうがね、かわいい。

松下 では「遺品」はもうどうでもいいの?

池井 もうどうでもいい。笑。ちょっと二つ読ませてください。最初はね、「なおらない」っていうんだけど、すべてひらがな表記です。

なおらない   池井昌樹

めがわるい
めをなおした
みみがわるい
みみをなおした
はながわるい
はなをなおした
けれどどこかが
まだわるい
どこだろう
ひとがわるい
くちがわるい
あたまがわるい
おあいにくさま
そのわるさでない
どこかがわるい
なおらない
たえがたい
うちあけようにも
うちあけられない
どこだろう
どこかしらない
どこかがいまも
ふかぶかと
ぎんがみたいに
うずきだすのだ

「銀河みたい」が急に出たとこがいいでしょ。

松下 いや、別に自分でどこがいいのか言わなくてもいいので。

池井 それまでは、病気の悩みみたいなんだけど、この銀河みたいにっていうんでかっと変るんだ。

松下 いや、勝手に読みますから解説は結構です。笑。

池井 では、もう一篇だけ。

松下 はい。

池井 「ぼくの詩は」っていうんですがね。

松下 死?

池井 いや、ポエジー。これは四行ずつの六連で一行おいて最後が二行。結びの二行があります。

ぼくの詩は   池井昌樹

ぼくの詩は
ひとつの手段であればいい
なんの手段かしらないけれど
目的じゃない

ぼくの詩は
ひとつのうたであればいい
なんのうたかはしらないけれど
作品じゃない

ぼくの詩は
ひとつのゆめであればいい
なんのゆめかはしらないけれど
空想じゃない

ぼくの詩は
手段であったり
うたであったり
ゆめであったり

けれどあるとききえてしまった
きえてしまったぼくもろとも
手段もうたもきえてしまった
ゆめが残った

そのゆめだけが
つむぎはじめる
ひそやかにまた
ひとつのうたを

だれの詩だろう
ぼくの死は

最後の「し」だけはdeath。

(拍手)

松下 池井さんって朗読が嫌いだって何かに書いていたけど、現代詩手帖のアンケートだったかな。

池井 だい嫌いなんだ。

松下 でも、結構好きそうだね。笑。なんか今聴いてると。

池井 いや、ほんとにだい嫌いだったんだけど、学校の講座でね、若い生徒さんたちに、要するに授業をそっちのけにしてね、毎週新作を三、四篇聴かしているんですよ。朗読で。それで、◎、○、×でね評価してもらう。それがね、ものすごく面白いんだ。ずたずたにするヤツもいるかと思えば、ほんとに泣くほどいい感想をよせてくるヤツもいてね、それで最初あきれ返るかと思ったら、あきれないんだな。そいでね、要するにその新作の発表の時にはいてね、新作の発表の時間が終わったら二,三人席を立つんだ。それでね、これはちょっとねいいぞと思って。その時からね、何となくね、俺の朗読は捨てたもんじゃないんじゃないかって。

松下 なんだ、ぼくは池井さんは朗読嫌いだって思っていたから、シンパシーを感じていたのに、もう向こうの人に行っちゃったんだね。僕はだから、こないだ藤井さんと三人で話した時に「朗読嫌いの朗読会」って二人で朗読会しようかって話したけど、それはもうできないね。

池井 いや、基本的にはね嫌いですよ。笑。でもね、今ね、嫌いとか何とか言ってる場合じゃない。ほんとにね、詩はどんな方法でもね、とにかくいいものだから、なんていうの、さっき、自分としては大変汚らしい口外できないものだなんて言ったけれども、結果としてとりだしてしまった詩っていうのは、ほんとにいいものだから、これは朗読であれ黙読であれ、とにかく知ってもらいたいと思うんだ。わけのわからないようなね仲間内だけで頷きあっているようなあんな詩はもういらないんだよ。ほんとにね、僕が詩に赴いたみたいに、詩っていう言葉さえ知らなかったそういう人たちが、詩ってものはこれはなんかものすごい力があるぞって思ってくれるもんだから、やりましょうよ。

松下 じゃあ、「朗読嫌いの朗読会」やりましょう。みなさんも来てください。年末やりましょう。

池井 やりましょう。

松下 それで今、朗読してもらって、これはもう何度も池井さんいろんなところで訊かれているかと思うんですけど、僕のきちんと訊きたいなと思ったのは、ひとつは、ひらがなになんでそんなにこだわるんですかっていうのが、たぶん、僕ずーっとこの現代詩文庫とハルキ文庫を読んでて思ったの。「晴夜」くらいから、第十詩集くらいから、かなりひらがなに傾いてきているよ。

池井 そうなの。

松下 それで、ここのところの四、五冊ってほとんどひらがななの。なんで、かくもひらがなに傾いてしまったんですか。

池井 いや、わかんないんだこれが。

松下 ぜんぜん参考にならないね。笑

池井 僕の持っている講座で、要するに手書きのレジュメを用意するんですよ。作品抄をね。で、なんで手書きにするかって言ったら

松下 質問と違うんだけど。笑。

池井 ワープロとか、インターネットが使えないからじゃないんだ。これ、自分の詩もそうなんだけど、たとえば他者の本を読んで、ここはもう忘れ難いな、感動したっていう箇所は、自分でね、手書きしないと気が済まないんだよ。しかもね、ただの手書きじゃなくて、一言一句ですよ、全く気を抜かずに手書きをするんですよ。これね、生徒へのレジュメのために手書きをするんじゃなくってね、自分の中の自分のどこかに刻んでいるんじゃないかと思うんだな。あのね、これねみなさん、お試しになったらいいと思いますよ。例えばトルストイでもなんでもいいんだけど、重要だったら重要、ものすごくいいところがあったら、ほんとに一字入魂のつもりでね、手書きにしてみてくださいよ。そうしたら百回読むより、どこか肝心なところに刻まれるから。まあそういうことがあってね。

松下 僕の質問に答えてない。笑。

池井 ごめんなさい。それで、手書きにしてるんだ。なんだっけ?

松下 ちなみにこれ、こないだの荻窪の詩の教室でみんなに配っていたの、ぜんぶ池井さんの手書きで。

池井 ああ、ひらがなだ。手書きのレジュメをずっと春学期、3月から7月まででしたっけ?ずーっと生徒に回しているんだけど、今松下さんがおっしゃったように、刻々ひらがな表記が増えてくるんですよ。それがわからないんだ、僕は。それで生徒からの質問がいっぱいあるんだ。なぜひらがな表記でなければいけないのかと。わからないんだな。で、それをね春学期のレポートの対象にしてなぜひらがな表記かっていうのを出してみたんです質問を。

松下 うん

池井 でも、腑に落ちる解答がないんだな。でもね、一番最初の『理科系の路地まで』から、山本太郎先生の序文の中にもあるように「ひらがながこれほど似合う詩人はあるまい」。

松下 あったあった。確かにね、最初の頃からあった。ただそれが侵食してきた。

池井 そうなんです。だからそれがね、なぜ侵食してきたのか、ある詩集から一気にというんじゃないんですよ。

松下 徐々に徐々に。

池井 じわじわじわっと侵食してきて、それがね、わからない。教えていただきたい。

松下 なんで僕が教えなきゃいけないんですかね。笑。

池井 松下さん、頼んだよ。

松下 それに関して言うんであれば、もうひとつ池井さんの特徴は七五調。ね、まさに朗読聴いているとわかると思うんだけど、五七調、七五調がかなりね、あるんです。あれも、なぜですか。もう、わからないはだめ。笑。

池井 あれはなんだろうね。

松下 なんなんだろうね。僕ね、最初に会った時はひとつはもうほんとにくだらない理由なんだけども、最初に僕、池井さんに会った時は、この人、なにか戦前の詩人の匂いがするなと思ったところがあるわけ。その当時書いていた、なんか、春の埃の幻想とかのあのへんの詩だとかって結構、宮沢賢治の感じであったり、中原中也の感じであったりっていうのを引きずっている人だから、だからいまだにその、まあ彼らはべつに五七にこだわっていたかどうかというのは微妙なんだけど、そういう日本の古い時代の韻文っていうものをどこかに残しているのかなって。

池井 いや、そこは多分違う。あのー、ほとんど近代詩人からのものではないと。

松下 ということは、おそらく池井さんが作りあげた調べがたまたま五七調に近かったと、いうことなのかな。

池井 あの、七五調が基本にあるにせよ、七五調でもないんですよ。

松下 破れているところもありますよね。

池井 七七七五五七とかね

松下 だから結果的に、朗読嫌いなのに、朗読しやすいようなリズムが入っているんですよね。あれはやっぱりね、しあわせだからだと思う。

池井 そうかな。

松下 しあわせな気持ちがリズムを、スキップ踏んでるようなものであってさ、詩の中にも入ってきているのかな。やっぱり、キーワードはしあわせだよね。

池井 だってしあわせのものでないと、なんで書くの?しあわせでなければ書いたってしょうがないと僕は思う。

松下 でも池井さんみたいな人ばっかりではなくて。

池井 それはそうだ。

松下 うん。だからそういう人をいちいちここで。

池井 まあいいじゃないですか。

松下 まあ、言う必要はないんで。だめだよそんなふうに甘えたってだめなんだよ。笑。

池井 きびしいですね。笑

松下 要は、さっきから話を聴いていると、やっぱり自分が死ぬっていう時に家族を失うっていうことが恐かったって、もうそれはなんで、失うことが恐いっていうことは、今、家族をどれだけ愛しているか、どれだけ心地よい人生を送っているかって、子供の時に。じゃあ結婚しましたと。もう奥さんのことをこんなに書いている詩人っていないよね、はっきり言ってね。奥さんをこれだけきれいに書いている人ってさ。きれいっていうのはなんていうか、綺羅星のように書いているんじゃなくって、ほんとにもう、ほつれたパジャマだったりなんなりだったり、その愛情がさ、もうどこまで愛するんだっていうくらいにさ、人に読ませるかよっていうくらいにさ、奥さんのことをさ書いているじゃない。

池井 これは、いじめですよ。笑

松下 いやいやいや

池井 そんなことを言われたって、僕は返す言葉がない。

松下 だからもうね、ひとつはね、しあわせなんだよ。だから仕事したって詩が書きたくてしょうがないっていうのは、しあわせでしょうがないからさ。不幸だったことってあるの?

池井 いや、そうじゃなくってさ、そうじゃないですよ。

松下 そうじゃない?

池井 うん、さっき誤解を招いちゃあれだから言うけど、しあわせだから書いているわけではなくてさ、しあわせとして詩を、しあわせ以外の何ものでもないものとして詩を需要しているというかな。

松下 なるほど。

池井 松下さんのお話でね、ちょっと今、気がついたんだけど、中学生の頃ずっと読んだ近代詩人の七五調を下敷きにしたわけじゃないんだけど、強いて言えばなんて言うのかな、ほんとにごく幼かった頃に、耳元で誰かが唄ってくれた子守歌とか、あるいはお話とか、そういうものの方からの影響の方が強いのかもしれない。

松下 ああ、音とにおいっていうのは、結構池井さんの詩にとっては重要な部分ではありますよね。ちょっとまた話を、そんなに時間がないから話を変えますけれども、さっきの話と繋がってくるんだけど、池井さんって詩ができてしょうがないんだけど(とは言ってなかったけれども)、できた時に書けないっていうのが苦しいっていう話をしていて、例えば〆切がありますと、その時に、書けなくてどうしようっていうことはありました?

池井 僕は注文生産って、これまで、生まれてこの方、一度もやったことがないから。

松下 だって、例えば「現代詩手帖」から来るでしょ。

池井 いやだからそれまでに、ありあまるほど。 笑

松下 全然参考にならない 笑

池井 だから、大切なことだから申し上げとくけども、注文生産が出来るのは、プロの詩人だから。僕は断じてプロじゃないですからね、自分のために書いているわけだから、注文が来て書いたことなんて一回もないですから。来やしないしさ。

松下 池井さんに来ないんなら、みんなに来ないよ。それじゃあもう在庫の中から?

池井 今、注文生産で思い出したことがあるんだけど、みなさんご存知だったかな、モーツァルトはね、36歳で亡くなったでしょ、生涯注文生産だった。で、晩年は謎なんだけど、あれだけ注文があって、もう極貧だったんですよ。ところがそのことに対する愚痴は書簡にひと言ももらしていないのね。ずーっと注文生産で生きてきた人でしょ、慌ただしい注文生産の中で。でもモーツァルトの楽曲を聴いて注文生産だって思います?汲めど尽きせぬ泉みたいな音楽でしょ。あれ何でかなと思っていたんだよ。だって安い稿料でどんどん注文が王侯貴族から舞い込んで、それにほんとにもう、それを受けるような日々でしょ。たいした生活費にもならないような原稿料でね。下僕ですよ。ところが、あんな楽曲が残せる。なんでだろうとずっと考えていたの。モーツアルト、たぶん生きていたんだと思うんだな。音楽家、音楽だけで生きていていい気なもんだっていう世の中の人たちを尻目にね、極貧の中でね音楽だけ書きながら、たぶん人一倍生きていたんじゃないかと思うんだ。だから、注文生産であんなに泉のような音楽が書けたんじゃないかと思うんだ。あの、谷川俊太郎さんが注文生産しかしていないんだ、自分から書いたことがないとおっしゃる。で、幼児向けの雑誌から、高齢者向けの雑誌からどんな注文が来ても自分はマタドールみたいなね、ぱーっとあしらって、どんなふうにも書けるって冗談めかして書いておられるけども、谷川さんの詩はあれ注文に追われて書いた詩だと思います?思えないでしょ。たぶん谷川さんは生きているんだな。生きているから書けるんだな。俺そう思う。

松下 ちなみにこれ「森羅」の最新号に谷川さんが書いています。池井さんが注文して。

池井 それとなく。でも、忘れた頃に谷川さんぽっと送ってこられたの。ビックリした。生きている人じゃなければできないことですよ、これは。

松下 今の、「生きている」っていう言葉からぼくちょっと繋がって話したいなと思うのが、僕これ書いてきたんだけど、池井さんの詩のキーワードもまさに「生きているんです」っていう一行かひと言なのかなって思ったんです。これはね、「晴夜」っていう詩集の中の題名にもなってます、「いきてるんです」。

ぼくによくにたその少年は
よびとめられてふりかえるなり
いきてるんです
たしかなこえで
こたえたような気がしたからだ
いきてるんです

少年を呼び止めたら振り返って、「生きているんです」ってその少年が応えた。まさにこれ、池井さんの詩のキーワードなのかなって。もちろん池井さんっていろんなテーマの詩を書いているんだけど、そのいろんなテーマの奥をじーっと見ていると「僕は生きているんです」っていう恥ずかしげに小さい声で言っている池井さんが見えてくるんですよ。それ、今モーツアルトや谷川さんにたとえて言っているけれども、まさにそれ池井さんなんですよ。生きているんです、生きているんですっていう詩集が19冊出ているんです。だから池井さんの詩集を読んでいると、つい頷いてしまうの。

池井 松下育男は…。

松下 ちょっと待って。笑。池井さんの詩集を読んでいると、黙って読めないんだよ、そうだよねって、生きているんだよね、生きているからどうしても詩が書けちゃうんだよね、生きているからどうしてもこういう詩を読みたくなるんだよねって、まさにこう池井さんが言ってくれたからそれで引きずったんだけど、「生きているんです」っていうのが池井さんの詩なんだと思う。そこはやっぱり、みんな詩を書いていく上で、やっぱりつかんどいた方がいいと思う。

池井 うれしい。これは、僕が接した僕評の中で一番嬉しかったな。今、松下さんの話で思い出したのが、モーツアルトは、「僕のこと好き?」っていうのが口癖だったんですって。モーツアルトってほら、幼い頃から父のレオポルドにつれられてヨーロッパ中をいろいろ演奏旅行をして回ったでしょ。就活ですよ。それで知らない王侯貴族に謁見するわけですよ。で、必ず「僕のこと好き?僕のこと好き?」って言うの。モーツアルトの楽曲すべてが「僕のこと好き?」って囁きが秘められている気がするんだね。その裏から「ああ好きだよ」って声が聴こえてくるんだな。もちろん人の声じゃないですよ。「ああ好きだよ」って。

松下 それもなんか、モーツアルトの話をしているようでいて、自分の話をしているような。笑。自分の詩を読んだ後で、「ここいいでしょ、ここ好きでしょ」ってさ。笑

池井 松下さんの、長い「続・初心者のための詩の書き方」っていう。

松下 今度、「森羅」に書いたの。

池井 170行でしたっけ?それがね、「森羅」の19号か、出しているんだけど、「自己愛の強い人は詩は書けない」って書いてある。あれ、きっと私のことを書いたんだ。笑。

松下 いや。笑。詩は書けないっていう人がこんなに詩を書いているっていう。で、まあいろいろまだまだ話したいことあるんだけど、訊きたいこともいっぱいあるんだけど、一応僕としては言っておきたいことは言っておこうかなと思って。というのは、僕が黙ると池井さんが勝手にいろんな話をしちゃうから。もう一つ僕、池井さんにとっての重要な所ってやっぱり「家族」だと思う。さっきあの、ちょっとあの、奥さんの話をね、ほかの話でくっつけて言っちゃって申し訳ないなと思ったんだけど、話の初めから池井さんにとっての家族っていうのは並大抵のものではなくて、生きるそのものであるようなところが詩集を読んでいればわかるわけですよね。で、池井さんの詩って、さっきの「生きてるんです」じゃないけど、だれが読んでもどうしようもなく人間のことを書いていますよね。人間なんですよ、これまさにね、人間のことを書いているんだけど、人間のことばっかり書いているんだけど、なぜかここにあるのは人間じゃないなっていう気が僕はしてくるんです、読んでいるとね。人間じゃなくって、人間以前のものを書いているのかなって気がしてくるの。例えば家族を書いているにしても、自分と、奥さんと、息子二人の、人間4人を書いているというよりも、その4人がかたまって、ひとつの、なんか、人間じゃないいきもののような気がする。なんて名付けていいんだかわからないんだけど人間になる前のもの。原初のものたち。身の寄せ合いみたいなもの。あえて言うんだったら人間っていうよりも「身の寄せ合い」っていう名前の動物がここにあるんだなってね、そういう気がしてしょうがないんだ。池井さんに訊きたいのはだから「家族」ってなんなんですかっていうこと。

池井 …。

松下 むずかしい?

池井 何だろうな。

松下 かなりの分量を書いてますよね。僕が面白いなと思ったのは、ちょっとひとつ言うなら、このハルキ文庫。これは最初の頃の詩集は載っていないんだけど、中ごろの10冊位を、20年間ぐらいの詩集を10冊載せているんです。で、もちろん10冊全部を載せるわけにいかないから選んで載せている。普通ね、こういう選詩集ですよね、今まで書いたものから選んで10冊の詩集から載せると、普通の人って言ったら変だけど多くの詩人は、その間に、ここで大きく変ったり、ここでまた戻ったりっていうのを、朔太郎にしたって誰にしたってみんなそうなんだけど、池井さんのこの選詩集って、このために作った一冊の詩集みたいなの。

池井 ああ。

松下 これが僕にとって驚きだったの。というのは、この20年間、ずーっと家族に目を注いでいるし、人間に目を注いでいるし、生きているっていうことに目を注いでいるの。ぶれていない。まったくぶれていないの。だから、20年間の中から選んでこの一冊にしても、あたかも単行詩集のようにして読めるんです。これってね、なんかすごいなと思ったの。

池井 いや、松下さんの話の方がすごいよ。笑。感動しちゃったな。笑。

松下 いや、感動してもらうために来たわけじゃなくて。笑。いや、これすごいよね。

池井 いや自分ではぜんぜんそう思わないんだ。甘い甘い詩集だなと。

松下 あの、まあそんなに時間ないから、もう幾つか。「歴程」っていう雑誌があるんです。それで、池井さん詩集19冊出しているけど、もちろん詩人だから詩の雑誌もやっている。そのへんもちょっと訊きたいなと思っていたのは、僕が知っている池井さんが同人になっているって思っていたのは、「歴程」と「森羅」。ほかに何かあります?

池井 いや、僕はね、ないね。

松下 「歴程」っていくつくらいの時?もうかなり若い頃?

池井 19歳。

松下 19歳で入って、「歴程」ってみなさんご存知だと思うけど、ほんとに錚錚たる詩人がいっぱいいて、夏のセミナーやったり、「歴程賞」なんていうのもね、池井さんも獲られているけれども、有名な詩人がいっぱいいる中で、僕にとっては「歴程」って代名詞みたいに池井昌樹がいるなって、そんな池井さんがもうやめられたんですよね。

池井 ええ、やめたんです。

松下 何十年いたんですか?

池井 半世紀いましたからね。「歴程」はね、やっぱりね大変な同人誌ですよ。「歴程」はねほんとにいい。

松下 いい。

池井 いいね。

松下 やっぱり好きなんだ。

池井 好きだね。僕はね今でも「歴程」の、心は「歴程」の同人ですよ。

松下 やめちゃったのはなんで?

池井 なんかもう歳とったしね、迷惑になるんじゃないかなと思って。

松下 最近は若い人入っているの?

池井 よく知らないんだ。

松下 ああそうなんだ。なんか、半世紀入っていて、急にやめたっていうの、じゃあそんなに何か出来事があったからとかいうんじゃなくって?

池井 いや、なんにもない。

松下 たぶんご自身が気づかないところで何かがあるんだろうなって気がするんだよね。

池井 いや何もないですよ。だってなんて言うのかね、自分の書いている詩の中に、自分の書いている詩が「歴程」であればいいじゃないですか。

松下 うん。

池井 そう思うんだよね。「歴程」はね、僕が入ったばかりの頃、心平さんは。

松下 そのへん、聴きたかったの。

池井 心平さんは酔っぱらうでしょ。

松下 草野心平ね。

池井 民謡を唄いだすんだ、心平さんが。で、酔っておられるから何を唄っているのか分らないんだ。心平さんが真四角な顔でわーっと歌いだすでしょ、そうしたら静々とね会田さんが舞い始めるの、あの大男が。そうしたらその後ろから太郎さんが出てきて、大男がね、また静々と舞い始めるんだ。それで電気があたってその影がね壁に映るんだ、原始時代みたいに。笑。それ見てたらね、なんかね、炎を囲む原始人がね、あれは美しかったよね。「歴程」っていうところはね、すごいところだと思って。それで一人一人の書く詩がね、やっぱりね、すさまじかったよね。

松下 そうだよね。

池井 ものすごいものがありましたね。僕はずいぶん「歴程」で教わりましたよ。

松下 その「歴程」ともう一つ、「森羅」。僕「森羅」についてはここでも話をしたんだけど。これって、こないだも話したんだけど全部ね、池井さんの手書きなんだよね。さっきも手書きの話ちょっと池井さんしてくれたけど、これって全部で何部くらいなの?

池井 百部。

松下 百部。たった百人にしか送ってないのに、送ってもらっている人がいるんだよね。どういう基準で?

池井 僕の知っている人。笑

松下 知っている人?なんかあんまり僕が期待している答えとは違う。僕が練習してきた受け答えとは。笑

池井 そんなに重きはなんにもないですよ。

松下 これ全部、池井さん作っているの?

池井 そう。あのね、要するに僕がこれでやりたかったのは、まあ粕谷さんと一緒にやるということがそうなんだけど、もう一つはね、全工程を一人でやりたかったの。あの、紙選びから、折りから、印刷から、全部一人でやりたかったの。メチエですわ。

松下 そこ面白いね。

池井 手職ですわね。手ワザ。あのね、メチエっていいですよ。手職はね、あれどこがいいかっていうと、全工程を一人でやるからいいんだ。今もう全部分断されて、一人一人が工場でも商店でも一人一人は何の仕事をやっているんだかわからないような分業でしょ。分業じゃない、操業っていうんだあれ。あんなんで人間が満足できるはずがないんだよ。それでとにかくね、百部って僕の体力的にも精神力的にも限界だから百までしか作れないんだけど、これも生徒相手のレジュメと同じように、自分で全工程をやりたかったんだ。だから粕谷さんがね、被害者ですよ。つき合わされてね。大変ね申し訳ないと思っています。

松下 これ、第一号はいつごろでした?

池井 これはね、二ヶ月一冊の割合で出て、今18号だから、2年くらい前ですかね。

松下 いや3年くらい前か。

池井 3年前だ。

松下 じゃあ、もう欠かさず2ヶ月に一回。

池井 そうなっちゃったのね。

松下 すごいね。

池井 それもひと月も前に出ちゃうんだな。

松下 やっぱり自分の出しているものが2ヶ月に1回あるっていうのはすごく大きいですよね。それってやっぱり詩が残ってゆく。もちろん池井さんの中では蓄えがあるけれどもこうやって公表して行くっていうことの重要さって。

池井 あのね、残す気は毛頭ないんだけど、本阿弥光悦っていう人がいたじゃないですか、あの人は相剣師だった。相剣師の家の人なんですよね、光悦さんは。それでね、もうごく幼い頃から自分の手の裏からね屈指の名刀の輝きが現れ出るのを幼い頃から見続けてきた人なんだ。だから後年の書画の造詣の深さっていうのが出てきたんですよ。自分の手の裏からね、名刀の輝きがね直接出てくるって、これ名刀の輝きじゃないけど、それに近いところがあるじゃない。

松下 そうですね。

池井 自分が彫ってプリントしたらそのまま出てくるじゃないですか。で、自分でこうやって試せる。そこがいいんだな。

松下 要は、僕が今回詩を送って、「池井さん、長すぎたら後ろを削ってください」って言ったら、「いやなんとかします。」手書きだから、割り付けなんとでもなっちゃうっていう、ここがすごいところだよね。

池井 松下さんの詩は絶対に切れないしね。

松下 じゃあもっと長いの送ってみようか。笑。

池井 のぞむところです。笑

松下 あと、もう時間がなくなってきたんで、二つ質問しますんで。答えたくなければ答えなくてもいいです。

池井 はい。

松下 ひとつは、池井昌樹っていう詩人はこれからどうなっていくんでしょうかっていう質問です。

池井 明日のことは分んないね。笑。

松下 もうちょっと考えてもらいたいんだけど、答える前に。笑。書き続けるでしょうね。

池井 うん。さっき死ぬのが恐くて、で死ぬっていうのは、愛する人ともう二度と会えなくなる。それで死ぬのが恐かったのはね、もちろん恐いですよ未知だから、誰も知らないしね、死んだ人いないんだから。でも子供の頃の死っていうのが、なんかだんだんこのトシになってきて隣接してるっていうかな、いつも隣に触れあっていて、それでまったく未知なんだけど決して恐がるものじゃないって、最近そう感じているんですよ。そう感じさせてくれたのが、きっとずーっと書き続けてきた僕の詩だろうと思う。

松下 なるほど。

池井 僕がいろんな所で働いたり学んだりした。それとはまったく関係なく僕が書き続けてきた詩が、それだけきっと教えてくれたんだろうと思う。

松下 なるほど。

池井 死にたくないですけどね。

松下 わかりました。では最後の質問。もうひとつ僕、池井さんの詩を読んでいて感じるのは、なんて言うかな、詩の状況とは別に、池井昌樹の詩の状況があるって。もちろんそうじゃないんだと思うの。池井さんって、ほかの人の詩について書いている文章なんかもすばらしいし鋭いし、日本の現代詩っていうものをじかに受け止めているっていうのは僕は分っているんだけど、でもいざ池井さんの詩を読んでいると、そういうのとはまったく別にして、詩の状況なんかそよ風のように受け止めてひたすら自分の詩を書いて生き続けた人なんだなっていう、違っているかも知れないけど気持ちは。そういう池井さんにとって日本の現代詩の状況であったり、これから日本の現代詩はどうなって行くんでしょうかっていう、とっても大きい質問を最後にしようかと。

池井 いや、大きいっていうよりもそれはあの、そうですね、やっぱり最も基本的なことは、変らずあることっていうのは、最初に話した、やってきた感動でしょ。

松下 うん。

池井 ワタクシを書いているんじゃないんだ。やってきた感動をとりだすだけの作業だと思うんで、それはつまりその詩っていうものにまったく携わったことのない幼い人たちの方が、もっとよく感じることができるんだと思いますよ。

松下 なるほど。

池井 現代詩批判っていうそういう高等なことは僕はできないんだけど。それともう一つね、僕のもっとも尊敬する入沢康夫さん、お亡くなりになりましたね。あの方の詩にね、僕の大好きな詩でね、「心せられよ」っていう詩があるんですよ。

しかりしかうして諸君よ
心せられよ
心せられよ
それそれ
ここから
まさにここのところから
詩が
詩ではなくなる
詩でなくなって
演説になる
演説に…

そこからまた続くんですけどね。演説と詩ってぜんぜん違うもんですよね。詩は演説しない。言ってみれば不言実行の方でしょ。今、演説が多すぎるんだ。演説が多すぎるっていうことはつまり、ワタクシをあまりに人前に出しすぎているんじゃないかって気がしなくもないですね。

松下 なるほどね。

池井 感動を、だれのものでもない感動をとりだす作業は詩の要にあるっていうことは忘れないようにしたい。自戒を込めて。

松下 わかりました。じゃあ、もうそろそろ一時間半経っちゃったんで

池井 いや、面白かったですよ。

松下 面白かったですね。

松下 池井さん、どうもありがとうございました。

池井 ありがとうございました。

(拍手)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?