2024年7月3日(水)秋吉久美子が立っていた

「自分は大学を卒業していないのではないか」という夢を、これまでずいぶん見てきた。

夢の中で、どうしよう、それがバレたら困る、とひどく悩んでいる。

そんな夢を繰り返し見たのは、おそらく、大学生の頃に、ほとんど何も思い出がなかったからなのだろう。

若い頃の充実した日々、なんてものからは、ほど遠かった。

70年安保の頃のことであり、フランス語の授業に行けば、必ず革マルの何人かが扉を開けて入ってきて、授業は中止になる。

試験の日には、それなりに準備をして行っても、校門には、朝からバリケードが築かれていて、入れない。試験は中止になる。

卒業式なんてもちろんなかった。だから大隈講堂に入ったこともないかもしれない。思い出せば、卒業証書は、ある日にぶらっと大学の事務所に行って、ひっそりと受け取ってきた。

友人も、見事にひとりもいなかった。

だから仕方なく、中止になった授業の帰りは、ぶらぶら高田馬場駅まで歩き、高田馬場パール座という名画座の暗闇に入って、観たくもない映画を観ながらずっと考えごとをして過ごした。

さすがにこんな映画はいやだ、という時には、飯田橋の「佳作座」や、銀座の「並木座」にまで行っていた。

そういえば、「並木座」で、ある夜、たぶん藤田敏八か斎藤耕一の映画を観に行った時に、狭い通路に、秋吉久美子が立っていた。当時のぼくは、「旅の重さ」の頃から、秋吉久美子のファンだったから、見た瞬間、息がとまった。

並木座の暗さの中で、秋吉久美子は真っ白なコートをゴージャスに着ていた。だれかと来ていたようで、そのまま帰って行った。ぼくはずっと後ろ姿に見とれていた。

そんな日があった。もう半世紀も前のことだ。

だから最近、「ココア共和国」を開いて、やけにどきどきするのは、詩のためだけではない。

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