「小さな動悸」ー清岡卓行さんのこと

「小さな動悸」

2006年の、とある月曜日、勤めから帰ってきて夕刊を開き、にわかに一つの訃報に目が行きました。清岡卓行氏の死去を告げていました。清岡氏はわたしにとって特別な詩人でした。私を戦後の現代詩に導いてくれた、二人の特別な詩人のうちの一人でした。黒田三郎、清岡卓行という名を思うたびに、未だに小さな動悸がわたしを襲います。その動悸は、十代の頃に中原中也や萩原朔太郎などの近代詩人しか知らなかったわたしに与えられた、戦後詩という新しくも美しい動悸そのものでした。

清岡さんの詩はどの詩もあふれる思いをそのままに作品に仕上げてゆく直接的な手法でした。比喩はまさしく比喩であり、詠嘆は詠嘆そのものでした。鋭い刃物で削り取ったように浮き上がる詩の文字はどれも、私にとって戦後というものが詩を可能にする時代であるという、強い宣言に見えました。

さらに言うなら、清岡さんはすぐれた戦後詩の解説者でもありました。当時、清岡卓行著、新潮選書『抒情の前線』(新潮社)によって学んだものは、はかり知ることができません。それまでの「詩」という概念を踏み外して、戦後一気に広がっていった詩人たちの奔放な叙情を、この本なしに、わたしは十全に理解することはできなかったであろうと思います。

「戦後詩十人の本質」と副題にあるように、解説を試みられたのは、吉野弘、黒田三郎、谷川俊太郎、那珂太郎、富岡多恵子、石垣りん、大岡信、吉岡実、飯島耕一、吉本隆明の十人です。

この多様な言葉の表れをいちどきに鑑賞することの困難さは、詩を読むものにとっては容易に理解することができます。そしてまたこの時の多様性こそが、日本の詩をこれまで引っ張ってきた原動力となりえたのかもしれません。ここに並んだ十人の詩人の世界に、そののちにさらに感受性の間口を広げようとする試みは、容易にはなされないだろうと思います。

「序」の文章にあるように、「荒地」と「列島」の詩人たちが格闘した「コトバの芸術」と「意味の文学」の振り子の両端は、いまでもほとんどそのままの形で継承され、個別の場所で悩まれているように思います。

詩人になるとは、今に至っても、「吉岡実」になりたいのか、「谷川俊太郎」になりたいのか、そのどちらでしかありえないような。



石膏   清岡卓行

氷りつくように白い裸像が
ぼくの夢に吊されていた

その形を刻んだ鑿の跡が
ぼくの夢の風に吹かれていた

悲しみにあふれたぼくの眼に
その顔は見おぼえがあった

ああ
きみに肉体があるとはふしぎだ

(後略)

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