2024年1月27日(土)ぼくは失敗でできている

土曜日の朝だ。昨日も、詩とは関係のない作業をしていた。それから夕方に、長嶋南子さんの詩の素晴らしさについての文章を、noteにアップした。

このところぼくが話をしてきたのは、阿部恭久さん、阿瀧康さん、長嶋南子さんで、3人に共通するのは、とんでもなく素敵な詩を書いている人だと、「ぼく」が純粋に感じている詩人たちだということだ。これからも、なんの政治も思惑もないところで、詩を読み、紹介してゆきたいと思う。

ところで、ぼくは若い頃に、大きな失敗をしたことがある。いろいろあったけど、例えば、

(1)大きな会場での重要な詩のスピーチの時に、頭が真っ白になって、しどろもどろな話をして、逃げるようにして壇上から去ったことがある。

(2)人に受け入れられることばかり気にして詩を書き、真に書きたいことから離れてしまい、詩が見事にダメになったことがある。

これらのことは、ぼくにとっては致命的な失敗であり、一度しかない人生でとり返しのつかないものだった。情けなかった。

だからずっと書かなかったし、人前で詩の話はしなかった。

でも、せめて歳をとってからは、失敗の上に立って生きてゆこうと思った。

もう、そのようなことがないように、ぼくは、

(1)どんなスピーチでも、事前に細かく準備し、繰り返し口に出して練習をするようにした。

(2)まずは自分が書きたいことを書きたいように書く、ということを優先にした。その詩が人に受け入れられるかは、その次の問題だと考えるようにした。

考えてみれば、ぼくが今やっていることは、これまでの失敗の上に立ってのことばかりだ。ぼくはほとんど失敗でできている。

好きこのんで失敗をする人はいない。けれど、ぼくのように肝心なところで失敗ばかりしてきたからこそ、歳をとって書ける詩もある。言える言葉もある。

せめてそんなふうに、自分を納得させている。

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