2024年1月23日(火)詩から離れるということ
火曜日の朝です。点ちゃんは元気です。ぼくもそこそこ元気です。昨日は、少し詩を読んで、少し感想を書きました。悪い日ではありませんでした。
ところで、ぼくは長いあいだ詩から遠ざかっていました。それで、たまに人から、「詩をやめていたあいだ、詩を読むこともやめていたのですか?」と聞かれることがありました。
はい、詩を読むこともやめていました。持っていた詩集のほとんどを捨ててしまいましたから、読むこともありませんでした。
ぼくにとっては、詩を読むことは、書くことと同じものでした。書かないのに読むのは、僕にとっては、苦しみでしかありませんでした。
それはなんというか、「あなたが好きです」と打ち明けて、「恋人でなく、お友達でいましょ」と言われた時のようなものなのです。
好きな人と、どうしてお友達なんかでいられるでしょうか。
だからぼくは、捨て鉢になって、詩に完全に背を向けて、詩から遠ざかった場所で、ぼくなりに暮らしてゆこうと思いました。
そして、詩から遠ざかったところで一生懸命に生きていても、それなりの幸せを見つけることができました。それは、詩を書くことと同じほどの意味があるのだと、知ることができました。
ぼくは長いあいだ詩から離れていて、さて、歳をとってから、また詩を書き始めました。
詩から離れる前のぼくと、後のぼくは、もちろん同じ人です。けれど、同じ人ではなくなってもいました。
詩から離れる前のぼくが書いた詩と、後のぼくが書いた詩は、違います。表面的には同じように見えるかもしれませんが、やはり違います。
自分が書いた詩を、許すことができるようになります。
詩を書くことの恐ろしさと、書かないことの恐ろしさの、両方を知っているわけですから、恋人でなくても、詩とずっと、よいお友達にもなれるのです。
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