2024年7月5日(金)わたしにはわたし分の命がある

なぜか午前4時に目が覚めてしまった。暑さのせいだろうか。水を飲んでまた布団に入ったけど、眠れない。

そう言えば昨日はとんでもない暑さだった。どうなってしまうのだろう、という暑さだ。



ところで、詩の教室をやっていれば、多くの若い詩人と接することになる。そして何年か経てば、それまでに心を込めて書き上げた詩をまとめて、詩集を作ろうとする人も出てくる。

縁があれば、応援をしたいという人もいる。ぼくにできることがあるのなら、そしてそれがその人の望みであるのなら、できることはやってあげたいと思う。

それも、詩に関わる大切なおこないの一つなのだろう。

さて、本日は高円寺の「バー鳥渡」で、さとう三千魚さんと、詩の話と朗読の会がある。

小さな「お話と朗読の会」は、以前に峯澤典子さんと、豪徳寺の七月堂で「詩を楽しむ会」をやっていた時に、最終回でやったことがある。

今度はどうなるのだろう。楽しんでやってこよう。

たまにそんなふうなのも、やってゆきたいという思いはある。

気の合う誰かとやるのでもいいし、自分ひとりでボソボソと詩の話をしながら、ボソボソと詩を読む。そんなのもいいかもしれない。

それも、詩に関わる大切なおこないの一つなのだろう。



ここに、ひと一人分の命がある。わたしにはわたし分の命がある。

たったひとつの命だもの。この命をどんなふうに使ったところで、この世の中、何がどうなるものではない。

けれど、与えられたこの命だもの。その端っこまで、使えるところまで、ぜんぶ使い切りたい。

何ができるとか、できないとか、ではない。どう見られるか、見られないか、ではない。

誰のものでもなく、わたしの命だもの。人のふりを見て、当たりをつけて生きて行くのはやめたい。

下手くそな生き方でも、不器用な生き方でも、ただもくもくと、わたし分の命を、わたしと、わたしのような人のために、使い切りたい。

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