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2024年4月9日(火) 劣等感があるから詩が書ける

昨日はバスに乗って横浜市立中央図書館へ行ってきた。

この間まで、コートにくるまれて重く歩いていたのに、もうセーターでも暑いくらいだ。

で、来月の対談の準備をしていてどうしても手に入らない(あるいは高額で購入をはばかられる)本を2冊借りてきた。

ところで、詩を書く人の多くは劣等感を持っている人なのではないだろうか。むろん、詩を書かない人でもなんらかの劣等感はあるのだろうけど、やはり、激しい劣等感を持っている人が、詩を書く人には多いように思う。

ぼくも少年の頃は、劣等感だらけだった。(今だってそうだ)。体格が貧弱だったことは、その一つだ。ひ弱な体の男は、自然とひがみっぽくなるものだし、世間を下から斜めに見るようになる。

その視線の角度で、世界を見てきたし、そこから見えたものを、詩に書いてきた気がする。

ところが、不思議なもので、その劣等感が、ぼくをここまで生かしてくれたのかもしれないと、今は思っている。

劣っているところには、ぼくそのものがある。

自分が劣っているから、思い上がることもなく謙虚になれたし、さらに人にも完璧を求めることがないし、許せる。

歳をとってくれば、このように生まれてきてしまったのだから、せいぜい自分を好きになってあげてもいいのではないかとも、思えてくる。

どこかに、明るくて、人付き合いもよくて、欠けたところのない、もう一人の完璧な自分がいたとしても、その人を羨ましいとは思わない。

欠けたところがあるぼくは、そのへこみに流し込むような詩を書いてゆこう。

ぼくが死ぬ直前に、ぼくの劣等感がぼくのところにやってきて、「頑張ってきたじゃないか」と、言ってくれるかどうか。

それはわからない。



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