2024年7月20日(土)単純な詩から、さまざまな詩へ。

昨日は、しばらく会っていない姉からメールが来ました。「朝日新聞見たよ」と。

それから何年も会っていない友人(詩人)からもメールが来ました。「松下さんを朝日新聞に発見」と。

なので、ちょっと違う朝でした。

ネットや雑誌にどれだけ文章を書いても、親戚や友人からメールが来るなんてことはないわけで、新聞というものの伝達力というのはさすがにすごいものがあるなと、感じていました。

ところで、ぼくは子どもの頃に詩が好きになったので、子どもにも分かる詩から、詩に魅入られました。

ですから、単純な詩、余計なことの書かれていない詩、詩の中に風が通っているような明解な詩が好きだったし、自然と、自分の書くものも、そういった詩になっていったのだと思います。

高校生になっても、大人になっても、年寄りになっても、子どもの書くような単純な詩を書いていました。

そうしようと頑なに守っていたのではなく、それしか書けなかったのです。

詩にしろ文章にしろ、個性というものは揺るぎなく決まってしまうもので、その中で、書きたいことを存分に書いてゆくしかないのだと思います。そして、どんな個性であっても、書けることは無限にあるのだとも思います。

それで、書き始めてからもう60年も経ちました。書くものは相変わらず単純なままですが、ぼくはそののち、単純な詩だけではなく、さまざまな詩を読み、その都度、感動して生きて来ました。

そして今夜から「隣町珈琲」で「詩の教室」を始めます。

参加者の詩も、実にさまざまです。

人それぞれの詩ですから、さまざまなのはあたりまえです。

それでいいのです。それがいいのです。

どんな詩も、その詩の個性を伸びやかに育てることのできる、そんな教室にしたいと思っています。

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