2023年12月25日(月) 幸せを感じる才能をもつ
昨日は大掃除をしていた。ぼくは洗面所を「激おちくん」で丹念に磨き上げていた。とてもきれいになった。
ところで、この間ふと思い出したのだけど、ぼくは子供の頃、「自分はなんと幸せに生まれてきたのだろう」と感じていた。子供なのに、しみじみとそう感じていた
裕福な家に生まれたわけではない。秀でた能力を持っていたわけでない。それなのに、あれほど幸せだと感じていたのは、やはり、よい家族に囲まれていたからなのだろう。
父と母と姉3人と弟が1人の7人家族だった。その頃は、そよの家族のことは知らなかったから、みんなこんなものかと思っていたのだけど、大人になって、ぼくの家族が、全員がおとなしい性格だったことがわかってきたし、世間にはそうでない家族もあるのだと知るようになった。
たしかに我が家は、家族全員がおとなしい性格だった。それと、家族でありながらも、人の心を傷つけないように、常にお互いに気を配っていたように思う。テレビを観れば、みんなでとても楽しめた。夜、「お菓子を買ってこようか」と姉が言い出せば、誰かが全員の分のお菓子を買ってきて、みんなで喜んで食べた。それだけのことだったけれど、そんな日々の連続が、なんとも幸せだった。
家族に溶け込んでいるだけで、幸せだった。
ところが、人生というのはそんなに容易なものではなくて、ぼくは人生の途中で、取り返しのつかない失敗をし、自分に絶望した。自分の鈍感さに呆れて、ずっと立ち直れなかった。
それでも、なんとかやってゆこうと決意し、ここまで生きてこられたのは、たぶん、子供の頃の、家族からもらったありふれた幸せのおかげだったのかもしれない。
普通におとなしい人でありたい。自分が傷ついても、人を傷つけない人でありたい。
だからぼくの詩は、どんなに深刻なことを書いていても、目を凝らせば、その根底には、家族からもらった幸せが、常にほそぼそと流れているのだと、思う。
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