2023年12月16日(土)等身大の表現をめざす
本日は午後から「Zoomによる詩の教室」です。うまくやれるといいなと、思っています。幾度やっても直前になると不安になります。でも、この歳になっても、できるだろうかと不安になれることがあるって、幸せなことだとも思うんです。ともかくも全力で。
ところで、このあいだ何かで読んだんですけど、ヒロシという芸人がいますね。「ヒロシです」と言いながら自分のみじめさをとつとつと語る芸人です。
で、ヒロシさんにインタビューをしている記事を、面白いなと思って読んだんです。
ヒロシさんは、ある時期から芸がうけなくなって、仕事も減って、何をしようかと思って、こう考えたんです。
人を笑わせようとか、楽しませようとか、仕事だから頑張ってきたけど、どうもうまくいかなくなった。疲れた。だったら好きなことをしてみよう。人を楽しませようとするのではなく、自分が楽しもう。
そう考えて、好きなこと、キャンプをしたんです。それをYouTubeで流したらしいんです。もちろん、そんなもの誰も観ないだろうと思っていた。そうしたら、その、ヒロシさんがただ一人でキャンプをしている様子を、たくさんの人が観て、また話題の人になったということなんです。
ぼくもキャンプの様子をテレビで観たことがあるんですけど、ほんとに淡々と好きなことをして、ボソボソと料理したり、語っているだけなんです。
それで、芸人の芸のように、人を笑わせようとか楽しませようとか思っていないんです。単に自分が楽しもうと思っているだけなんです。
そこがすごく考えさせられたんです。なぜ人は、その様子を観たいと思うんだろう。たぶん、観ていて、気を使わないですむし、いつもの自分を重ねて見ることができるからなのではないかと、思うんです。ヒロシさんと一緒に考えごとができるんです。等身大の表現って、観ていると落ち着くからなんじゃないかと、思うんです。
なんでも詩に結びつけて考えるのが、ぼくの癖なんですけど、詩も似たようなことが言えるのではないかと思えるんです。
人を面白がらせようとするのも、確かに意味があると思うんですけど、もう一つ大切なのは、自分が詩作をしんに楽しむことなのではないか。
自分が楽しむことによって、無理のない、正直な、生きていることの核心に触れる詩が、書けることがあるのではないか。
読む人も、これ見よがしな詩ばかり読んでいるのも疲れるんです。
詩人があるがままにそこにいる。そんな詩も、たまに読みたくなる。ひとりキャンプでただキャベツを切り刻むように、言葉と人生をみじん切りにして、ゆっくり楽しみながら、肩の力を抜いて、詩を書いていたいと思うんです。
欲もなく、ただ自分のために詩を書く。だれにも読んでもらわなくてもかまわない。そう覚悟できた時に、とどく表現の場所もあるのだと、思うんです。
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