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2024年7月23日(火)詩を書くことによって、よけいにさびしくならないように、

昨日は猛暑の中、朝から横浜へ行ってきました。

11月に予定されているイベントの話合いをしてきました。

以前に、「大事な仕事はつながってゆく」というようなことを書きましたが、これもそのうちの一つです。

昨年、聖蹟桜ヶ丘の「ケトルドラム」でやった「詩を大事にする会」で出会った方と、何かやってみようと、いうことになりました。

会社を定年になったあと、ぼくは、
廿楽順治さんとの「横浜の詩の教室」
峯澤典子さんとの「詩を楽しむ会」
藤井一乃さんとの「詩を大事にする会」
と、詩を語る会を必死にやってきました。

それで、あらためてぼくは、なぜ自分はそのようなことをしているのだろうと思うのです。

詩が好きなら、ひとりで詩をこつこつと書いていれば、それでいいじゃないかと、思うのです。

はい、確かに、詩が好きなら、ひとりで詩をこつこつと書いていれば、それでいいのです。

ただ、ぼくは普通に詩が好きなだけの人ではないのです。

詩にひどく嫌われたことがあるのです。嫌われて嫌われて、ぼくは長い間、詩に背を向けて生きてきたのです。

それなのに、おずおずとまた、詩に戻ってきたのです。

ですからぼくは、創作というものの、天国と地獄を、ともに内に抱えています。

そのことを、人生の最後に、人に語っておきたいと思ったのです。それが、定年後に、詩の教室を始めた理由でもあります。

詩を書くことによって、自分が汚れてしまわないように、

詩を書くことによって、よけいにさびしくならないように、

常に詩を、あっけらかんと、単純に、愛してゆけるように、

そうできなかったぼくとしては、汚れた口で、じかに語りつくさなければ、命を終えることができないのです。

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