2023年12月26日(火)詩集を読むということは

火曜日の朝だ。火曜日としては今年最後だ。勤め人の頃は、年が明けてもどうしてもしばらくは、書類に前年の日付を書いてしまって、あっと気がついて直す、ということを毎年やっていた。もう書類とは関係がなくなったけれど、たぶん2024年なんて、いきなり来られても、なかなか慣れることができない。簡単に親しげにしたくはない。

昨日はひとりの女性の詩集を4冊読んでいた。出版された順に読んでいるから、どうしてもその人の歩んだ日々を想像してしまう。

ところで、詩集を読む、というのは、もちろん書かれていることを自分に取り入れてゆくことだけど、同時に、書かれていることから連想したことが、思い浮かんでしまうことでもある。

つまり、詩集を読むというのは、ある面、本に映った自分の人生や感じ方を読むことでもある。

ページに張り渡された鏡を両開きにして、じっと映り込んだ自分を見つめている、ということになる。

これまで歩んできた日々が映っている。元気なくうつむいて佇んでいる、ある日の自分が見える。どうにもならない出来事に苦しんでいる、若い頃の自分が見える。ある詩人に純粋に憧れた日も見える。なにもかもが、本の水面に漂っている。

だから、一日に4冊の詩集を読んだあとは、すでに夕暮れになっており、鏡にぐっしょり濡れた体を、現実に引き上げるのが大変だ。

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