2024年3月19日(火)なぜ詩の教室をやってきたのか

明日は「Zoomによる詩の教室」だ。ところで、ぼくはこれまで沢山の「詩の教室」をやってきた。

30代の時に嵯峨信之さんに誘われて「東京詩学の会」の講師になり、初めて人の詩について語った。でも詩誌「詩学」の人間関係に巻き込まれて、ほどなくしてやめた。

それから60歳で会社を退職したときに、西荻窪の善福寺で詩の教室を始めた。あの時は同人誌「生き事」の同人の話の中で、「詩の教室でもやろうか」という話だったと思う。だから佐々木安美さんや岩佐なをさんや廿楽順治さんも一緒にきていて、詩の感想を言っていた。でも、東日本大震災と、ぼくの再就職(単身赴任)があって、3回でやめてしまった。

66歳で再び会社をやめて、今度は腰を据えて詩の教室をやろうと思った。あれから7年が経つ。数えていないけど、横浜、池袋、Zoomの教室を合わせれば、教室は70回を超えているだろう。

ぼくはなぜ必死に詩の教室をやっているのだろう。

もちろん理由はいろいろあるのだけれど、その一つは、人それぞれに詩とうまく付き合って生きてゆくことができるのだと、言いたかったからだ。

人生はさまざまだ。
人の能力もさまざまだ。

だから、詩を書く時間のあまりない人も沢山いるだろう。いつまで経っても詩がうまく書けない人がいるだろう。それでも、何かを書いてみたいという切ない思いがあるのなら、それを大切にしてもらいたいと思う。

詩は競争ではない。詩に余計な情報や余計な友人はいらない。詩と自分だけがあればいい。その人と、その人の詩との、二人だけの関係だ。

周りに迷惑をかけることなく、二人で築き上げ、仲良く書いて行けるのなら、生涯ともにいられるのが詩だと、ぼくは思う。

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