2024年2月16日(金)だれも傷つけることなく詩を書きたい

金曜日の朝だ。誰にとっても例外なしに金曜日の朝だ。さびしくたって、悔しくたって、とりあえず土曜日がすぐ先で待っていてくれる。気持ちの持ち方だけで、自分をほんの少し幸せにしてあげよう。

ところで、このところテレビで観ているのが「事件の涙」という数年前に放映していたNHKのドキュメンタリーだ。どの回も考えさせられる。

冤罪によって死刑を宣告された人の姉、
猟奇的な殺人を犯した人の弟、
いじめにあって自殺した人の同級生、
原発事故で自主避難をしたのちに自死した人の夫、

など、犯罪や事件や事故の当事者の、「そばに生きた人」の人生を描き、その人の言葉を丹念に聞いている。

今さら言うまでもなく、わたしはひとりで生きているわけではない。妻、子供、友人、かけがえのない人とともにある。わたしが何かをしでかせば、「そばに生きてくれている大切な人」を巻き込むことになる。不幸にすることになる。

詩を書く、ものを書く、という行為は、それ自体はこよなく楽しいものではあるけれど、書くものや書くことによって「そばに生きる人」を巻き込むことになってはいないか。

詩を書いている時間は、もしかしたら、そばにいる人のために使えたのではないかと、常に問うていかなければならないだろう。

また、詩の内容も、ここまでは書けるけれども、ここから先は人のプライバシーを犯すから書けない、という境界線は間違いなくある。境界線を越えて書いてしまえば、読者に衝撃を与えることができるかもしれない。でも、詩の見栄えや衝撃度よりも、そばに生きる人の心の方がずっと大事だということを、常に確認していかなければならないだろう。

自分の詩は、できうる限りだれも傷つけることのない詩でありたい。それによって、生涯ずっとつまらない詩を書き続けることになったとしても、書くことの喜びさえ自分が受取れるなら、その方がずっといい。


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