2024年4月8日(月)詩から何かを期待しない。詩もぼくに何も期待しない。

小池昌代さんの小説『くたかけ』(鳥影社)を読んでいたら、次の言葉に立ち止まりました。

「どこかで人は別れなければならない。しかし、そこまではーー別れるところまでは一緒に行く。一緒に歩く。」

そうか、別れるまでは一緒にいられると考えれば、別れることが、一緒にいることのありがたみを余計に感じさせてくれるのだな。

ところで、昨日はいつものように、ただの老人は、小鳥と留守番をしていたのですが、ただぼーっとしてはいられないのです。

というのも、今月(4月)は「Zoomによる詩の教室」があって、若い詩人たちとの座談会があります。

さらに来月(5月)は東京の某所と某所で、対談が二つあって、ひとつは峯澤典子さんとの「お話会」、もうひとつは、もうすぐ告知できると思います。

それから来月(6月)は横浜で講演があります。

それでこのところのぼくは、座談会や講演の準備を、机の上にそれぞれの仕事の山を作り、少しずつ積み上げているのです。

人前で話をする、というのは、いつまで経っても緊張しますが、それでも、ささやかな何かを準備しておけば、あとは勇気を持って話し始めるだけ、自分にできることをやるだけです。

それと、「少しずつ準備をする」という日々が、ぼくはこよなく好きなのです。

ただこつこつと、詩を読み、好きなところに付箋をはり、あれこれと考え、時間がくれば詩集を閉じる。

これ以上に、ぼくは、詩に求めることはないのです。

詩から何かを期待しない。詩もぼくに何も期待しない。

ただ詩に触れて、詩に触れられて時間を過ごしていたい。

それはちょうど、ただそばにいてくれるだけで命が温まってくる。そんな友人関係と似ていると思うのです。

「どこかで人は(詩や大切な人や自分)と別れなければならない。しかし、そこまではーー(詩や大切な人や自分と)別れるところまでは一緒に行く。一緒に歩く。」

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