俳句を読む 1 寺山修司 胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲

 胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲   寺山修司

校庭の隅で鉄棒を握ったのは、せいぜい中学生くらいまででしょうか。あの冷たい感触は、大人になっても忘れることはありません。胸の高さに水平にさしわたされたものに、腕を伸ばしながら、当時の私は何を考えていたのだろうと、感慨に耽りながら、掲句を読みました。「凭り」は「よれり」と読みます。句に詠われているのも、おそらく中学生でしょう。いちめんの鰯雲の空の下、胸が痛むほど鉄棒に身をもたせたあと、鉄棒をつかんで身を持ち上げ、中空に浮いた高所から、この世界を見渡しています。十五歳、放っておいても身体の奥から、生きる力がとめどもなく湧き出てきます。しかし、その勢いのそばで、かすかな切なさが、時折せりあがってきていることにも気づいています。校庭のずっと先、校舎の前に、ひとりの女生徒がたたずんでいます。胸の痛みはおそらく、鉄棒のせいではないのです。この思いにどのような意味があり、自分をどこへ運んでゆくのかと、甘美な疑問がくりかえし湧き上がってきます。まちがいなくこのことが、自分が生まれてきた理由のひとつであるのだと確信し、その確信を中空に放り出すように、さらに鰯雲のほうへ、身体を持ち上げます。『寺山修司全詩歌句』(1986・思潮社)所収。(松下育男)

「増殖する俳句歳時記から。

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