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「わたしの詩と生について」ー 長嶋南子さんの詩を読みながら (2024年1月21日 静岡県詩人会での講演)

松下です。今日はよろしくお願いします。

今回、さとう三千魚さんから講演のご依頼をいただきまして、やっと静岡で話をすることができます。

やっと、と言うのは、実は静岡県詩人会さんからは2019年にも、講演のご依頼がありました。5年ほど前です。その時は佐野勉さんにお世話になりました。佐野さんには会場も準備していただいて、参加者も決まって、あとはやるだけになっていたんです。

でも、さて講演という時に、大きな台風がきて、やむなく中止になりました。今年の元旦の能登半島地震を思い出すまでもなく、自然の前では、人というのはどうしようもないところに立たされるわけです。それで、中止になった時から、静岡の講演が中止になったのは残念だったなと、時々思い出していたんです。せっかくご依頼をいただいたことなので、もし可能なら、いつかやらせていただきたいなと思っていたんです。

それで、今日はこれから一時間ばかり、詩の話をさせていただこうかと思います。テーマは「わたしの詩と生」ということですが、先ほどの、5年前に佐野さんにお世話になったことも、今回、さとうさんのお世話になっていることも、ぼくにとっては、まさに「わたしの詩と生」なんです。さとうさんには、何回もぼくのZoomの詩の教室に参加していただいて、ありがたいなと思っています。

詩を書く事だけが詩ではない、詩を読むことだけが詩ではない、詩によってもたらされたすべてのことが、ぼくを生かしてくれたのだと、思っているんです。詩作品だけが詩なのではなく、詩に関わることすべてが、一編の、「生きている」という詩なのだと、思っているんです。

それで、テーマは「わたしの詩と生」ということなんですけど、「わたしの詩」と言った場合に、二つのことがあります。「詩を書くこと」と「詩を読むこと」です。

それで「詩を書く」ということで言うならば、ぼくは子どもの頃から詩を書いていまして、子ども時代、学生時代、勤め人時代と、ずっと密かに詩を書いていたんですけど、30代で詩がダメになりました。詩がダメになったので詩をやめました。いっさいやめました。持っていた詩集もほとんど捨てました。自分の詩集も捨てました。本屋に行っても、詩のコーナーを避けるようにして歩いていました。それからはずっと勤め人一筋の人生でした。

それで、50代後半の頃に、定年退職が徐々に見えてきた頃に、何かやり残したことがあるなと考えて、また恐る恐る詩を書き始めた、ということなんです。その辺については、これまで、すでに何回か話をしてきていますから、今日は「わたしの詩と生」の、もうひとつの側面、「詩を読むこと」の話をしようかと思います。

もちろん人は、詩を書くことによって、ものを作り上げる喜びを持つことができます。何もないところから、何かを作るということです。魔法のようなものです。これが、詩と関わることの最も喜ばしいことだと思います。生きる原動力になります。

けれども、「詩を読む」ということが、ぼくの人生を豊かにしてくれたのも、確かなことです。さまざまな詩人がいる中で、強く惹きつけられる詩人に、時に出会うことができました。その詩人の詩をしっかりと受取ってゆくことは、「わたしの詩と生」にとって、とても重要なことでした。

そういう意味で、ぼくは詩の教室や、あるいは今日のような詩の講演で、できるだけ詩や詩人の素晴らしさを発信してゆきたいと思っているんです。ぼくはもう73歳ですけど、話ができるあいだは、自分のことだけでなく、読んできた詩の良さを語って行きたいと思っているんです。

その時に、誰の詩の話をするかと選ぶ時に、その詩人が、自分にとって掛け替えのない詩を書いた人かどうかで、決めてきました。自分の目で決めてきました。これからも決めてゆきたいと思うんです。

詩を読む、というのは、詩の評論家でない限り、自分の好きな詩を読んでいていいのです。別に、有名な詩人だから読まなければならないとか、今話題になっているから読む必要があるとか、そんなことはどうでもいいんです。

その人に合った詩の読み方があっていいんです。わたしの詩の読み方、わたしのための詩、というものを選んでいっていいんです。

詩は仕事ではないんです。詩は生きていることそのものの側にあるものです。自分の側にあると思える詩を読んでいけばいいんです。それが、生きていることを豊かにしてくれるんです。

そういった意味で、「わたしの詩と生」の一つの側面として、今日は、誰の話をしようかと考えました。朔太郎もいい、賢治もいい、鮎川信夫もいい、谷川俊太郎も素敵です。でも、こういう人のことは、ほかの人も話していますし、これからも話すでしょうし、本を読めば、詩人論を読むこともできます。

そう考えて、ぼくは、今のぼくにできる話をしようと思います。ひとりの女性の詩の話をしようかと思います。詩の世界にとって、とても重要な仕事をしてきたと思える人です。

お手元に資料がありますので、すでにおわかりかと思うんですけど、長嶋南子さんのことです。

(詩は弱者の文学)

ここでちょっと話は飛ぶんですけど、ぼくは最近、「詩は弱者のための文学だ」ということを考えているんです。

ただ、弱者という言葉は、かなり曖昧な言い方ですね。弱者ってなんでしょう。
歳をとっている人は弱者ですね、
子どもも弱者ですね
腕力が劣っている人も弱者ですね、
能力が劣っている人、
なにをやっても不器用な人、
さらに、さまざまに差別されている人、
劣等感のかたまりのような人、
人とうまくやっていけない人、
おとなしい人、
ハンディキャップを持った人、
若い人、
誤解をされている人、
一人でいたいと思っているのに一人でいることが耐えられなくもなる人、
神経が細すぎる人、
人の痛みが分かりすぎてしまう人、
経済的に苦しい人、

きりがないからもうやめておきますが、そういった弱者とは誰かと言えば、おそらく、ほとんどの人がどれかの弱者の内のひとつに当てはまるのではないかと思うんです。けれど、その弱者の中でも、さらに弱者、という人もいるわけです。

昨今、パワハラやセクハラの訴えがしょっちゅうテレビや週刊誌で見られます。自衛隊でもありました。大学でもありました。芸能界でもありました。むろん、会社でもあります。詩の教室でもあるようです。

日本の社会では、やはり女性はまだまだ弱者です。歴史的に見ても、多少は改善されてきたとはいえ、今でも、女性というのは出来ることに制限がありますし、能力を充分に発揮できる場所は限られています。女性であるということは、今は間違いなく弱者です。

(公平な会社)

ぼくは長年、外資の企業にいました。アメリカの大きな会社でした。それで、人の採用にも関わることがあって、入社を希望する人と面接をする機会がたびたびあったんです。今でも思い出すんですけど、ぼくが勤めていたようなアメリカの大きな企業が人を募集すると、もちろんたくさんの応募者がいるんですけど、男性よりも、女性の応募者に、多くの優秀な人が見られるんです。何回面接をしてもそうなんです。

平等に面接をして、誰が優秀で、誰が仕事ができそうかを考えると、結局、女性を採用することになって、結果として、ぼくの勤めていた会社の財務経理の社員のほとんどが女性になってしまった記憶があります。

それは何を意味しているかと言いますと、男女を公平に能力で見てくれるような会社が、日本にはまだ少ない、ということなんです。優秀な女性は、なかなか能力に見あった仕事に就くことができません。いつまでも仕事を探すことになり、結果として、外資系の、男女を平等に見てくれる数少ない大企業に集まってくる、ということになるんです。

女性は日本の社会ではまだまだ弱者なんです。弱者には、その人の能力に見合った公平な機会が与えられていないんです。

女性に限らなくても、さきほど言ったさまざまな弱者は、社会で生き抜いてゆくだけで精いっぱいなんです。

文学の世界でも同じことが言えるんです。文学が好きでも、弱者には、文学に費やせる時間もお金もほとんどないんです。生きて行くだけで精いっぱいなんです。そういう人は、優れた長編小説を書こうと思っても、その能力があってもなかなか書けないんです。難しいんです。それだけの準備をする時間もお金もないんです。

でも、弱者にもできることはあるんです。あれもだめだ、これも中途半端に終わってしまったと、いろんなことができなくて、土俵際まで追いつめられて、自分で自分のことが嫌になって、でも、最後にできることがあるんです。

詩です。

詩はだれでも書けるんです。時間もお金も、少ししかなくても書けるんです。詩は、作るものであるとともに、わたしであることを、そのままのかたちで示すことのできるものなんです。自分がいやになったら、どんなふうにいやになったかを書けばいいんです。それが書く事の本質、人の本質に繋がってゆくんです。

子育てで眠る時間も削っている毎日に、長いものを書ける時間なんてないんです。でも、一瞬感じた胸の内を、スマホに書き留めることくらいはできるんです。心底から出てきた言葉なら、いつか、それがなによりも正直で純粋な詩になるんです。

詩をつくるにあたっては、何もいらないんです。事前の知識も、構成力も、語彙の豊かさも、知性も、何もいらないんです。自分さえあれば詩が書けるんです。自分はどうしてだめなんだろうと思う謙虚な心があれば、人の胸に通じることのできる詩が書けるんです。その、自分の至らなさを通して、自分なりに自分の感じ方が書けるんです。

それで、女性であることや、人生をがむしゃらに生きている人のことを考えている時に、一人の人を思いだしました。今度の講演では誰の話をしよう、長嶋南子さんの詩の話をしようと決めたんです。

今日は、長嶋南子さんという一人の詩人の詩を読みながら「詩と生」について考えてゆきたいと思っています。

* (何かをやりたい)

ひとりの女性がいました。日本に生まれました。結婚して子どもを産みました。子どもを育てました。仕事をしました。いろいろなことはありましたが、そこまではやりとげました。それで、ある日、気がついたらもう40代になっていました。結婚をして、子育てをして、仕事をしてくれば、それくらいの年齢にはなります。驚くことではありません。当たり前のことです。

でも、どうも、この当たり前でいることに、物足りなさを感じていました。せっかくこの世に、人として生まれてきたのだから、という気持ちが湧いてきます。何かをしたい、と思いました。熱く思いました。これまで、しなければならないことばかりしてきたから、これからは、何か、自分が決めて始めることをしたい、と思いました。

何かって何だろう。結婚して、子どもを持って、その成長を見極めて、仕事をして、いつか死んでゆく、それでも立派な人生ではないかとは思います。では、それ以外の何かって何でしょう。

大それたことを考えているのではない。ただ何かをしたい。何か、自分がこの世にいるということを示したい、残したい。

そう思って、いくつか候補を考えましたが、結果、詩をやってみようと思いました。別に、詩人になろうとか、有名になろうとかなんて、思って始めたのではないのです。ただ、生きていると無性になにかをやりたくなった、だから詩を書いてみようと思ったのです。

(詩の教室)

それで、長嶋さんは、詩を書いてみようと思い、まずは詩の教室に通い始めました。

その詩の教室で、ぼくは、長嶋さんと初めて会いました。ぼくは当時、30代半ば。1980年代のことです。その頃、「詩学」という詩の雑誌がありまして、月に一度、新宿で詩の教室を開いていました。新宿御苑の裏にあるビルの、広い一室でした。ぼくはその教室の講師の一人として参加していたんです。長嶋さんは、その教室に来ていた生徒なのです。

その時のことは、もうかなり前のことですから、あまり覚えていないんですけど、参加者の中で、特にすぐれた詩を書く女性が何人かいたことをよく覚えています。どこに出しても恥ずかしくない詩でした。それが誰と誰だったかを、もう覚えていません。ぼくはおとなしい男でしたから、いつも下を向いて、詩の感想をぼそぼそ話していました。ですから、参加者の顔も、ほとんど覚えていません。

それからしばらくして、ある出来事があって、ぼくは詩の世界から完全に離れました。長いこと離れました。ですから、詩学の講師もやめてしまいましたので、長嶋さんや、あの時の人たちが、あれからどのように詩を書き続けたのかを、ぼくは知りません。

それで、長い年月が経って、ぼくはずっと会社勤めをして、定年になるまで働いていました。そんなある日、ひょんな気持ちで詩のことを思い出して、人生の最後は、詩にかかわることをしてみようと思い、66歳の時に、会社勤めが終わり、横浜で詩の教室を始めたんです。

ぼくは昔、詩を書いていたとは言え、もうぼくのことなんかだれも知りませんから、人はあまり来てくれないだろうと思っていました。でも、それなりの人数が集まってきてくれて、その中に、なんと、また長嶋さんがいたんです。

詩学の教室から30年経って、詩の教室を開いたら、また同じ生徒が目の前に座っていたんです。

でもその時には、長嶋さんはもう、詩を書き始めたばかりの、生き甲斐を求めていた「普通のおばさん」ではありませんでした。日本の詩の世界で、すでに独自の世界を切り開いた、見事な詩人になっていました。

ぼくが詩をやめたり戻ったりしていた30年の間に、長嶋さんはきちんと詩のキャリアを積み、多くの驚くような詩を書き上げていたんです。

*(長嶋さんの詩を読む)

では、長嶋さんがどんなふうに普通のおばさんから、すごい詩人になっていったかを、具体的に、詩を読んでいってみようと思います。

詩の教室に通ったからといって、だれもが長嶋さんのように、すごい詩人にはなれないかも知れません、でも、だれもが、自分だけにしか書けない詩を書くことはできるようになるんです。それでいいんです。それが、生きていて、自分だけにしかできないことを探し当てたことになるんです。生きることは競争ではないんです。個別なんです。自分ができることをすることなんです。

長嶋さんは、これまでに詩集を10冊出しています。お手元の資料にも書いてありますけど、10冊です。

詩集
『ひょうたんへちま』(1986 青磁社)
『失語』(1991 青磁社)
『鞍馬天狗』(1995 夢人館)
『あんパン日記』(1997 夢人館)
『ちょっと食べすぎ』(2000 夢人館)
『シャカシャカ』(2003 夢人館)
『猫笑う』(2009 思潮社)』
『はじめに闇があった』(2014 思潮社)
『家があった』(2018 空とぶキリン社)
『海馬に乗って』(2020 空とぶキリン社)

残念ながら最初の詩集『ひょうたんへちま』は手に入らず、読むことができませんでした。タイトルを見ても面白そうな詩集ですが、しかたがないです。それで、あとの9冊を読みました。気になった詩に付箋を貼りながら読み、21編を選びました。それをさらに5編にしました。手元の資料にある5編の詩です。

この5編は、時系列に並べてありまして、読んでみると、確かに、普通のおばさんがすぐれた詩人になってゆく過程が、見えてくるんです。まさに、階段を上ってゆくようにして、少しずつ、見事な詩人になってゆくんです。5作品で5段階の階段を上がって行くんです。そして5段階目では、日本の詩の、最もすぐれた場所に立っていたんです。

さっそく見てゆきましょう。

第一段階の詩です

「ふたりのロッテ」 長嶋南子(詩集『鞍馬天狗』より)

いつもいっしょだった
トイレに行くときだって
生理の日まで同じだったではないか
きょうだいの間でも子どもはできると
そっと教えてくれたさっちゃん
ふたりの間に秘密はなかった

病みあがりのさっちゃんが登校してきた
友だちに囲まれてさっちゃん
――チュウスイエンていうんだって
得意そうにはなしをしている

私のところに一番始めに来ると思っていた
一番始めに来るべきだ
もうじき友だちのはなしをきりあげて私のところに
さっちゃんに会ったら
休んでいたあいだに仕込んだ秘密のはなしをする
私とさっちゃんロッテとルイーゼ

来ない 私のところにまだ来ない
さっちゃんは私が思っているほどには
私のことを思っていない
急に悲しくなってしまって
机にうつぶして泣いてしまった
さっちゃんが寄ってきた
―あら どうしたの

大好きな〈ふたりのロッテ〉もハッピーエンドも
消えてしまっていつもの教室
ヒトリデイキテイク まなじりを決してつぶやいた
引き締まったいい顔になったような気がした

この詩はとてもすぐれた詩です。

この詩では子供の頃の、友人とのちょっとした出来事が書かれています。でも、こういうことって、子供の頃だけのことではなくて、大人になってもあります。
人間の孤独感に繋がった感覚を書いています。この詩を読めば、書いてあることは、一見、他の詩人とさほど変らないのですが、実は、人の心に深く刺さる、忘れられない見事な詩になっています。

扱った出来事はそれほど珍しいものではありませんが、その扱い方が秀でています。ものごとの受け取り方が非常に繊細です。人の思いの肝心な部分に触れている詩になっています。

出来事としては、仲のよい友達が盲腸で入院したあと、しばらくぶりに会う日に、友人の態度がなぜか変ってしまっていた、こちらの深い思いが裏切られた、というものです。

こういうことって、確かにあります。先ほども言いましたように、これは子どもの頃だけではなく、大人になってもあります。友人関係にしても、男女関係にしても、常に、相手が、自分が思っているのと同じほどに思ってくれているかというのは、非常にデリケートな問題というか、人間関係の中で、一番重要で、それゆえにいらいらするところなのかもしれません。

この詩では、なぜ友人が、一見冷たい態度をとったのか、その理由は書かれていませんが、もしかしたら、友人の心のどこかに「いじわる」な気持ちが芽生えたか、あるいは、屈折した「あまえ」であったのかもしれません。そんなところも、大人とかわりません。人と人との関係というのは面倒なことです。

さらに、長嶋さんの詩のすごいところは、人間関係の、微妙なところを書いているだけではなくて、最後の方に、「ヒトリデイキテイク」とつぶやいているところです。

ただの友人とのすれ違いによって、いかに作者が深く傷ついたかがわかります。この友人との関係は、子供のことですから、おそらくすぐに修復されて、また仲良しになるのかも知れませんが、少なくとも作者の方は、もう昔の、純粋に相手を信じているところから、一歩、心は踏み出しています。

そして、この詩が優れているのは、詩の書き方、というよりも、人としての感じ方にあると、思えるのです。さっちゃんの態度に揺れる心そのものにあると思うのです。その心を書く事が大事なことなのだと、分かっているところに、この詩のすぐれた点があるのです。

つまり、詩を書くために必要なのは、詩を書く技術よりも、詩の外で、普通に生きている時の、人としての感じ方の鋭さにあるのだということがわかります。一般的な能力に関係しているのだということがわかります。

この段階にとどまっていても、長嶋さんはおそらく、何冊かの詩集を出して、すぐれた詩人にはなったと思います。

でも長嶋さんはここにとどまってはいないんです。進んで行くんです。どちらへ向かって進んで行くんでしょうか。

この詩の始めの方に何気なく書いてある「きょうだいの間でも子どもはできると/そっと教えてくれたさっちゃん」のところですが、言い方は何気ないのですが、内容は、ドキリとするようなことを言っています。実はここに、長嶋さんがこの先、切り開いてゆく詩の可能性が、見えているんです。

知ってはいても詩に書くのはためらってしまうようなこと、あるいは、こんなことも詩に書いてよかったんだと気付かせてくれること、そういう方向へ、長嶋さんはこれから向かってゆくんです。

次の詩を読んで見ましょう。

*第二段階です。

「夕方」 長嶋南子(詩集『ちょっと食べすぎ』より)

――お前を抱きたい
古びたひとがこたつの中でいう
――役立たずでしょ
女は笑ってこたえる
――役立たずはここにいるぞ
かたわらの猫二匹指さす
女は古びたひとと猫の
排泄物の始末をしている

――猫はわたしの子どもよ
役立たずではありません
――お前はいつ猫を生んだのか
――きのう生んだのよ 二匹も

女は猫を呼ぶ
猫 知らん顔して顔を洗っている
――ばか猫返事しないじゃないか
――おとーさん と女が呼ぶ
――はい
古びたひとが返事をする
ふたりで顔を見合わせて
笑ってしまった
久しぶりに笑いあった

おーい猫よ うんこよ

さきほどの第一段階では、詩としては優れていても、「書いてある内容は他の詩人とさほど変らない」と言いましたが、この段階になりますと、内容も人とは変ってきています。

ですから、第二段階です。

この「夕方」という詩では、夫との性行為について書いてあります。性を書くって、普通の詩人はなかなかできないんです。ぼくはできないです。やっぱりためらってしまうんです。生々しいですし、人目のないところでする行為ですから。

でも長嶋さんは、ためらわずに書いてしまいます。ここで、普通の詩人から少し足を踏みだしています。長嶋さんの世界の始まり、ということです。よりリアリティーのある詩に移ってゆきます。生きていることそのままを書く、何を隠すことがあるだろう、という気概が感じられます。

この詩はなんとも和やかです。最後で顔を見合わせて笑っているのですから、平和な家庭を表しています。

けれど、書かれていることは、結構なまなましいと感じます。

長年連れ添った亭主がセックスをしようと言い出して、それに対して「役立たず」と言い返しています。

1980年代に、伊藤比呂美さんが出てきて、男女間のあからさまな関係を書きました。それを読んで、僕たちは驚いたものですが、この長嶋さんの詩も、ちょっと違った角度からですが、男女間の、なかなかあからさまな状況が詩に書かれていると、言えなくもありません。

男と女が結ばれる時のドキドキ感は、この詩には全くありません。読んで興奮もしません。けれど、世の中のセックスの多くは、むしろこの詩に描かれているようなものでもあるかなと思いもします。

小説や映画やこれまでの詩とは違って、現実には、それほど刺激的でないセックスもあるわけです。それで、刺激的なセックスの詩は、時代時代で注目されてきましたが、この詩のように、刺激的でないセックスの詩については、それほどに注目を浴びてきませんでした。

でも、「役立たず」なんてことをあからさまに書いた詩は、ぼくは読んだことがありません。ですから、詩として新しいんです。

そして、こういった、どこにでもあるセックスを詩に書ける、ということを、長嶋さんは、みんなに示してくれたのだと思うのです。

なんでもかんでもあからさまに書いていいんだという、新境地の詩を、こうやって長嶋さんは切り開いて行くんです。突き進んでいくのです。

それって、ある意味で、伊藤比呂美さんが性表現の可能性を広げたと同じことを、長嶋さんは、別の場所で、別の方角へ向けて、やっていたことになるのではないかと、思うんです。

長嶋南子さんの詩には、性交のことが出てきます。ただ、この性交は、実に何気ない性交で、これまで幾度も夫と繰り返してきた「ただの性交」が描かれています。いわば、普通の男との普通の性交です。ドラマチックではない、特に人に語るほどではない性交。そんな性交こそが、女が性を書く、ということの意味なのではないか。そしてそれは、女が食事のことを詩に書く、ということとほとんど変わりがない自然さで書かれています。そして、ここに現れている日常のセックスを書く事こそが、女であることの不自由さからもがき出ようとする姿を正直に表わしているのではないかと、思えるのです。

先ほど、ドラマチックではない性交を書いた、と言いましたが、それは、世間的にはドラマチックではないけれども、本人にとっては、やはり人生のドラマであるわけで、個人的に劇的なことを詩に書く、という当たり前のことが、女性にもできる時代になった、それも、普通のおばさんにもできるようになった。いや、普通のおばさんだからこそ、できるようになったのではないかと、思えるのです。

それと、詩の中ほどの、「――お前はいつ猫を生んだのか/――きのう生んだのよ 二匹も」のところを読みますと、どこか富岡多恵子の詩を思い出します。すっとぼけていて、どこまで真剣なのか分からない、それでいて確信のある言い方は、富岡多恵子が独自に作った日本の詩の魅力と似たようなものを、長嶋さんの詩も、巧まずして獲得しています。覚悟のできている人にしか、書けない言葉です。

詩の技巧、感じ方の技巧がそこまでたどりついていた、ということなのかと思います。

次を見てみましょう。さらにどこへ行くんでしょう。

*第三段階です。

「散步」 長嶋南子(詩集『猫笑う』より)

仕事をやめた
まいにち散歩するしかない
家々の裏側沿いの遊歩道を歩いている
どこの家にも裏側はある
積み重ねられている
箱や植木鉢 こわれた自転車 たくさんの空きビン
すきまに咲いている
どくだみ ひめおどりこそう いぬのふぐり
羊がつながれて草を食べている
歩きつかれて草の上にねころぶ
わたしの裏側に陽があたる
仕事のかえりよその夫に
こっそり会っていた
友だちはねたみながらほめたおし
親を捨て
生まれなかった子の年をかぞえ
羊がわたしのからだを食べはじめる
草食なのにね

羊はおいしそうに食べている
いいことたくさんしてきたので
わたしのからだは味がいい
いぬのふぐり
風がわたしのからだを
吹きぬけていく
いぬのふぐり

これが第三段階です。

「散步」という詩ですが、この詩では、書かれていることが、さらに通常の内容から踏み外しています。今度は夫との性行為ではなくて、なんと、よその亭主との不倫が書かれています。

なんともリアルで静かな不倫の詩が書かれています。誤解されたくないのは、不倫の詩を書いたからすぐれている、と言っているのではなく、不倫という、人がなかなか書かないテーマを書きながら、人とは何かを、自分とは何かを、じかに、しっかり見つめようとしているからすごいのです。ともかく、長嶋さんはこの段階で、詩で普通に書かれる世界から、さらに踏み込んでゆきます。

繰り返しますが、これは不倫の詩です。不倫の詩ですが、どうどうと書いています。どうどうと書いてはいますが、やはり不倫は不倫なのです。

ただし、これは詩ですから、創作物ですから、どこまで現実だったかは詮索しません。でも長嶋さんは、かなり多くの詩で、人の亭主との関係を書いています。かなりすごいことまで書いています。あっけらかんと書いています。繰り返しますが、これは詩であって、創作物ですから、現実がどうであったかは、知りません。

「友だちはねたみながらほめたおし」というのがおかしいです。どんな友だちか想像できます。それと、ここには「よその夫」と書いてあるだけで、その人がどんな人でなぜ惹かれたのか、そういったなまなましいことは何も書かれていません。どう考えても、男が強引に不倫に引きずり込んだようには見えません。変な言い方ですが、男女平等の不倫のように感じます。

詩の内容ですが、最初の方に書かれている「家々の裏側沿いの遊歩道を歩いている/どこの家にも裏側はある」とあるのは、単に家に裏側があると言っているわけではないのです。この裏側というのは秘密や後ろめたさ、あるいは人生の裏側のことをも指しています。

このへんは実に上手いです。つまり不倫というのは、「すきまに咲いている/どくだみ ひめおどりこそう いぬのふぐり」であるということです。

でも、この詩は、不倫を裏側の行為だとは書いていますが、決して深刻ぶってはいません。普通の読み物では、不倫をしたら、あれよあれよという間に、家庭ごと狂ってしまうのですから、本来は深刻なはずです。

でも、この詩では、不倫をするということは草のような裏側の世界だとは言っていますが、その不倫(草)を、羊がのんびり食べているのです。

のんびりした不倫なのです。

すごいです。すごいですけど、不倫の真っ最中というのは、ぼくは知りませんが、案外、こんなふうにのんびりと時間が過ぎて行っているのかも知れません。

不倫のドタバタを書いた文学は、いくらでもありますが、不倫の中の台風の目のような静かな状況を、普通に書いて「いいことたくさんしてきた」と言い放ってしまう文学を、ぼくは長嶋さんの詩以外に、知りません。

で、不倫のことばかり話してきましたが、表現の可能性という観点から見ますと、この詩集『猫笑う』の頃から、あるいはこの前の『シャカシャカ』という詩集の頃から、目の前にあるものを比喩にして次々に詩にしてしまう手際が見事に発揮されてきます。さらに自分が目の前のものに変身してしまう詩のテクニックも、実に見事です。機会がありましたら、長嶋さんの詩を詩集で読んでみてください。詩の中で、長嶋さんは時に、とんでもないものになってしまいます。

第一段階で「一人で生きて行く」と決意し、第二段階で夫を「役立たず」と言い、第三段階でよその夫といいことをして、さて次はどうなるんでしょう。

それでは次を見てみましょう。

*第四段階です。

「鬼怒川」 長嶋南子(詩集『家があった』より)

川のなかに呑みこまれそうになった
鬼がきたのだ
怒らせてはいけない
力を抜いてあお向けになって流されていく

子のないおばさんが
養女にと母に言ってくる
おばさんの子になって
誰もいない昼間こっそり
タンスのひきだしを開ける
ひきだしのなかを川が流れている
女の子が浮いている
ここに流れついたのかひとりうなずく

家が恋しくなるとひきだしをあける
川に飛び込む
土手下二軒長屋
五人きょうだいがいる六畳ひと間に流れつく
ひきだしのなかを行ったりきたりしていた

あの夏 わたしは鬼に呑みこまれたのだ
ずっと鬼の腹のなかにいる
腹のなかで男と出会い子どもを生んで
気がついたら
しらが頭に角を隠したうす汚れたお婆さんがいる
どこからみてもわたしではないのに
わたしだ

第四段階は「鬼怒川」という詩です。ここに来て、長嶋さんは、詩という表現の先端にたどり着いたと、ぼくは感じました。夫との愛情とか、よその亭主との不倫を書いているところからも突き進んで、詩という表現自体の可能性を広げるところにまで来たのではないかと思います

この詩は作者の出自を書いているのかと思います。

詩ですから、書かれていることは、現実とは別物だとは思うのですが、それでも、単に書かれたものとして読んでも、衝撃的です。自分が小さい時に親戚の幼女になったこと、それらの日々を鬼怒川の流れに託して書いています。

また、「鬼怒川」という文字と、さまざまに詩で遊んでいるようにも見えます。詩人がよくする、言葉からの連想と空想です。言葉がまずあって、その言葉から詩を書く、ということを、詩人はよくします。

「鬼怒川」という言葉を見ている内に、鬼怒川の「鬼」に目が行ったのでしょう。「鬼がきたのだ」ということを思いついたのだと思います。面白いです。「鬼がきた」という一行は、いろんな設定や詩を、読者に連想させてくれます。インパクトのある言葉です。

また最後の方の「わたしは鬼に呑みこまれたのだ」の「鬼」は「鬼怒川」のことでしょうから、「川に呑み込まれた」と言うことなのでしょうが、さらに、「人生に呑み込まれた」ということでもあり、あるいは、鬼そのものの中に呑み込まれた、ということでもあるわけです。うまいです。

川の流れは時の流れを象徴しています。

それにしても「タンスのひきだしを開ける/ひきだしのなかを川が流れている」のイメージはとても印象的です。この引き出しは、中に川が流れていて、もらわれる前の家と、もらわれたあとの家をつないでいます。

読んでいますと、現実の自分というもののリアリティーとは何か、ということを考えさせられます。時として、現実の場所にいる自分よりも、想像している場所にいる自分の方が、現実味を帯びている、そんなこともあるのではないかと考えました。空想が現実に勝って心を支配してしまう人が、いつか詩を書くようになることは、必然なのです。

この詩では、二つの家を行ったり来たりしています。この世に生まれて、できるなら、どちらかの家にしっかり留まりたい、という思いが強く感じられます。最初に読んだ詩に「ヒトリデイキテイク」と決意した気持ちを書いた詩を思い出します。決意までしなければならないということは、ホンネはやはり一人でなく、確固としただれかと一緒に生きたいのです。確固とした家にいたいのです。

現実の自分は鬼の腹の中で生きて、結婚をして、子どもを産んで、お婆さんになってしまった、と書いてあります。

でも、なぜ鬼の腹の中だと感じているのでしょう。もうひとつ別の人生があるはずだと思っていたのでしょうか。鬼の腹の外に、ホントに生きた自分がいるようにも思えます。

鬼の腹の中とは、思うようにならない世の中の仕組み、自分が女性として生きてきたことの意味なのだろうかとも、考えさせられます。

この詩の、何重にも仕組まれた意味は、なんと見事に出来ているかと、読んでいてほれぼれします。ダイナミックなイメージと、関係性の曖昧な繋がりとが特徴の、現代詩のひとつの到達点だと、ぼくは感じます。

普通のおばさんが、普通ではない特上の詩にたどり着いたと言えます。引き出しの中の川の流れが、一人の女性を、表現のすごいところへ連れて行ったのです。

表現の観点から見ますと、この詩集『家があった』の前の詩集『猫笑う』あたりから、日々の生活の中で妄想をしている詩が多いことがわかります。その妄想が日々の生活にとってかわって、その中で暮らし始めてしまうのです。

家族とのあれやこれやで終始する人生です。書くべきことは家族とのあれやこれや以外にあるはずがないと確信したようです。

詩集を出すごとに、書くべきことが明確になっていく、そんな感じがします。大向こうを唸らせることではなく、手元の妄想をひたすら書く、それが詩を書く事だと覚悟を決めたようです。

長嶋南子さんの妄想詩は詩集『猫笑う』において、日本の詩の頂上に登り詰めます。あとは、この領域をひたすら一人で突き進んでゆくことになります。66歳に至って詩は、一種の芸の領域に達することになります。

では、最後の詩を読んで見ます。

*第五段階

「誰もいない」 長嶋南子(詩集『海馬に乗って』より)

台所で立ったままご飯を食べている
見ちゃだめだよ
みっともないところなんだから
みっともなくないところ
あるかって?
誰にいっているの
茶わん持って
立ったままひとりごとをいっている

みっともないことばかりしてきた
恥知らずの顔をしていたら
へそ曲がりになった
へそ曲がりのおばあさんは可愛くないと
あの人はいった
ぴちゃぴちゃ猫みたいにあの人は食べるので
可愛くないとわたしはひとりごとをいった

みっともない食べかたをしていると
からだをこわすよ
あの人はいった
早くこわしてこちらにおいで
死んだ昔の男がいった

これが第五段階の詩です。

「誰もいない」という詩です。ここが、長嶋さんの詩の、見事に行き着いた場所です。もちろんこれからもまだ詩を書いてゆくでしょうし、この先があるのでしょうが、さしあたって、このような詩までたどり着いたと、言えるかと思います。

この詩を読んでぼくは、長嶋さんが日本の詩を突き抜けた、と思いました。

なんでも書ける境地に達したと思いました。なんでも書ける、というのはどんなことでも、どこまでも書ける、ということです。それだけの技術と覚悟を持った、ということです。技術と覚悟の、どちらかを持っている詩人は多くいますが、両方を持っている人は、そうそういません。

覚悟が出来ているのです。カッコつけて書こうなんて思っていません。自分のいいところを書こうなんて思っていません。

なにしろひとりで「台所で立ったままご飯を食べている」ところまで詩に書いてしまえるんですから。そのあとで、「見ちゃだめだよ/みっともないところなんだから」と言っているのに、それでも詩に書いちゃっているんです。

台所で立ったまま、喉の奥に流し込んでいるのは、ご飯だけではないのです。

もう死んでしまったご亭主も、恋愛をしたよそのご亭主も、子どもも、猫も、なにもかも、立ったまま喉の奥に流し込んでいるのです。

「みっともなくないところ/あるかって?」というところまで書ける詩が、日本にあったでしょうか。むしろ長嶋さんが、詩が書ける領域を、ここまで広げたのだと思えるのです。

詩は現実よりも現実味を帯びている、と、この詩を読んで思うのです。

普通のおばさんが、40代で詩を書き始めた頃、詩学の教室に通い始めた頃には、遠い先に、これほど先鋭な詩を、日本でだれも書いたことのない、生(なま)の詩を書くようになるだろうとは、ぼくは想像できなかったし、自分でも思っていなかったのではないかと思います。

ともかく、ここに一人の詩人がいます。間違いなく、だれよりも純粋に書きたいことを書いた、あっぱれな詩人がいると、ぼくは思うのです。

(最後に)

ここまで長嶋さんの詩を見てきたわけですが、では、あらためて、長嶋南子さんの詩とはいったいなんなのでしょう。

ホンネを書きます。
現実を書きます。
普通の人は隠したくなることも書きます。
目の前にあるものに自分が変身してしまいます。
男に甘える自分を書きます。
それから、よその男に惹かれる自分も書きます。
息子のこともありのままに書きます。
自分がひとりになった時の寂しさもそのまま書きます。

ここに書かれているのは、女の一生です。女にとって人生とは何か、ということです。女にとって、自己表現とは何かを、ずっと追い続けているように読めます。

間違いなく言えることは、詩集を経るごとに、技巧は研ぎ澄まされてゆきました。虚実が交じり合って、なんとも独特の世界を構築するようになってきました。現実ではないものを書いているのに、いやになるほど現実味を帯びている。

妙な現実、妙な空想、妙な家族、妙な不倫、妙な自分。こんな世界を、詩に作り上げたのは長嶋南子さんひとりだろうと思います。そしてこの、詩の中の奇妙な家族こそが、現実よりも現実の家族なのです。

詩集『家があった』の後書きに、長嶋さんはこう書いています。

「脳の言うことばかり聞いてきたが、このごろ身体の言うことに耳をかたむけている。身体が書きたいというものを書いていく。」

もう脳で詩を書いていないのです。弱者であった普通のおばさんは、すでに身体で詩を書いています。そこまで行ってしまったのでは、どんな詩人も、とても敵わないと思うのです。

ということで、今日は長嶋南子さんの詩を読みながら、詩は弱者の文学である、ということを見てきました。

今や、普通のおばさんこそが、詩の新しい可能性を、切り開いてゆける時代になっているんです。それを長嶋さんは証明してくれたんです。

詩は弱者の文学です。土俵際の文学です。だれでもが書き始められます。そしてもしかしたら、いつか詩の地平を切り開く可能性を、だれでもが持っているのだと、ぼくは思うんです。

以上です。ありがとうございます。

(2024年1月21日 静岡県詩人会での講演)

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