2024年1月31日(水) 全力で汗を流し、心を傾けた詩を書きたい

水曜日の朝だ。昨日も詩とは関係のない作業をしていた。作業、というのは心を落ち着かせてくれる。自分ができることを丹念にやり、自分にできないことを謙虚に学ぶ、というのが、生きる基本だと教えてくれる。

ところで、今朝のXに次のような文章を書いた。

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詩作で気をつけていたいこと。

1 易しい詩を書くことと、安易に詩を書くことは、同じではない。

2 思いついた発想のほとんどは、ありふれている。

3 幼稚に見える詩は、時に、賢く見せようとする詩よりも、胸をうつ。

4 意味ではたどり着けない感動も、いったん意味を通過する必要がある。

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1について、補足をしておこう。

難解な詩の対極に簡単な詩があり、自分は難解な詩はわからないし、あんなものに価値はないから簡単な詩を書く、という人が少なからずいる。

人それぞれの考え方だから、それもかまわないと思うけど、「簡単な詩」というのは「簡単に書ける詩」ではない。そこを勘違いして、楽な方へ向かうことは往々にしてあり、そういった詩は、読んでもほとんど何も感じることがない。

いえ、「簡単に書ける詩」であっても、その詩が読む人になんらかの感銘を与えるものであればもちろん問題ない。問題なのは、「簡単に書ける詩」というのは、ほとんどが、読む人にとっては、なんの驚きもない詩だということだ。

優れた詩を書いた人が、たまにインタビューなどで、「この詩は簡単にできたんです」ということがある。

だからといって、自分も簡単に優れた詩が書けるなんて思ったら、それこそ安易な道へ突き進んでしまう。

基本は、一編の詩を作るためには、全力を傾けて、何度もそれについて考え、汗を流す。

そうした詩を常に書いていると、たまーに、簡単に優れた詩ができることもある。

汗を流して、心を傾けて、苦労をして作った詩は、それだけの力を持つと思うし、仮にその詩が失敗作であっても、次の詩に受け渡すものがあると、ぼくは信じている。

もちろん、詩は楽しく書ければそれでいい、と思っている人は、何も気にせずにそのまま幸せに書いていればいいのだけれど。

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