2024年6月9日(日)苦しい時もあるし、楽しい時もある

昨日は詩の仕事はしませんでした。そうした方がいいという日もあります。ひとりで生きているわけではないから。

それで、テレビを観ていたら、立川談志が手塚治虫のことを熱く話している番組をやっていました。面白かった。

その番組の中で、手塚治虫が「自分の絵には特徴がないと批判されていて、自分は絵を描くのが苦しくて仕方がない」と、言っていました。へーそうなんだと驚きました。

でも、別のところでは、(たぶんもっと歳をとってから)、「絵を描くのは楽しいですよ」と言っていたのも観たことがあります。

まあ、そういうものなのかな。苦しい時もあるし、そんなことは忘れて、楽しくて仕方がない時もある。ぜんぶひっくるめて、絵を描くことに取り憑かれていたんだろうなと思います。

ところで、生まれて初めて目にしたものを母親だと思い込んでしまうように、生まれ初めて感動した詩を、詩のあるべき姿だと一生思うのかもしれません。

その詩に少しでも近づくように、詩作を続けることになります。

けれど、生きていれば、別の感動的な詩にも出会います。その影響も受けます。

そうやって、あっちの詩に影響されたり、こっちの詩に影響されたりして、つまりは詩に出会うたびに揺れて、少しずつ、詩とはこうあるべきだという考え方が、固まってきます。個性が、固まってきます。

たぶん、揺れの数が多かったほど(好きな詩人が多いほど)、書く詩には深みが増してくるのではないかと思います。

それで、今度の隣町珈琲での詩の教室、「現代詩の入り口」では、実作講評のほかに、6人の、ぼくをやさしく揺らしてくれた詩人の詩を紹介します。

参加してくれた人がその話を聴いてくれて、少しでも揺れて、詩が深まって、幅が広がって、熱いものが出てくれることを願っています。

苦しいことも、楽しいことも、ぜんぶひっくるめて、これほど詩に取り憑かれてしまっているのだから。

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