2024/08/15(木)知らないところで、優れた詩は書かれている。

本日は終戦の日です。

さて、ぼくは、昨日もそうしたように、今日も、時間の許す限り、たんたんと、楽しみながら、「詩の教室」の準備をしていようと思います。

「隣町珈琲」での詩の教室へも、参加者の詩がだいぶ送られてきていて、一つずつ読んでいます。

それで、今さら、という話ですが、読んでいて、「なんてすごい詩なんだ」と驚くような詩が、いくつもあります。

ぼくなんかよりずっと詩の気持ちがわかっている詩が、いくつもあるのです。

そもそも、すぐれた詩、というのは、過去の有名な詩人だけが書いてきたのではない、ということはだれもが知っています。

でもぼくらは、どうしても、限られた少数の詩人たちの詩を、名作として、繰り返し読んでいます。

それも大事でないとは思わないけど、今、この時代に、さほど名前の知られていない人が、詩の教室に、とんでもなく素晴らしい詩を、書いて送って来ているのです。

過去の名作と、今生まれたばかりの名作には差はなく、ですから同じように受け止めたいと、思うのです。

通常の自分の目に入る詩だけが、よい詩ではない、ぼくの知らない場所で、ぼくの知らない詩人が、毎日、ほんとに素敵な詩を書いている、ということを、忘れてはいけないのだなと、あらためて思うのです。

だったらどうする、と考えれば、少なくとも、目の前にとことことやって来てくれたこんなにすごい詩を、これはすごいぞーと、老人なりの声で、世間に言ってあげることしかないのではないかと、思うのです。

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