2023年12月30日(土)人に通じることのできる詩とは

土曜日の朝だ。昨日も大掃除。ふしぶしが痛い。

もうすぐ正月だ。遠い昔、ぼくはまだ少年で、家族で正月の街を歩いていた。店はどこも閉まっていて、なんの音も聞こえない。おやじもおふくろも、姉たちも弟も、全員が機嫌よくそばにいて、気持ちよくこの世を歩いていた。正月というと、その日のことを思い出す。

ところで、夢中になって詩を書いていると、たまに、「人に通じることのできる詩」が書けることがある。

その「人に通じることのできる詩」をどうやったら書けるのかは、書いた本人にもよくわからない。ただいつも書いているやり方で必死に書いていると、偶然のように、書けてしまうことがある。

そういった「人に通じることのできる詩」を、多く残した詩人を、すぐれた詩人と言うのだろう。

ただ、さっきも言ったように、具体的にどのようにしたらできるのかは、書いた本人にもわからない。

書けてしまった、というのが正直なところだ。

創作というのは不思議なものだ。

とは言うものの、何もしないでいきなりそういった詩が「書けてしまう」ものではない。

やはり、自分の詩を、ひたすら夢中になって書き続けている人だけが、ご褒美のように、ある日「人に通じることのできる詩」が、書けるのだろう。

だから、詩を書く人ができるのは、当たり前ではあるのだけど、いつもの自分の詩を書くことだけだ。

それがたまに、すぐれた詩になるのは、誰も知らない誰か(たぶん人のよい神様みたいなもの)のおかげ、なのではないかと思う。

余計なことを考えても仕方がない。所詮、限りある能力のぼくであり、ひたすら愉快に、自分の詩を書き続けることだけを、考えていよう。

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