またいつでも、来てください
別に統計をとったわけでもないのですが、詩を書いている人は、生きることが苦手な人が多いように感じます。
横浜の教室の時に、ひとりの女性が来ました。初めて来た人で、すごく緊張しているのがわかりました。ほかの参加者が声をかけても、「はい」と短い返事をするだけです。話が続きません。
教室が始まっても、もちろん何も言わないし、ただみんなの中で座っているだけで、それだけで恐くて仕方がないという感じでした。
帰り道でも、何人かの人がその人に近づいて優しく声をかけました。「詩はいつ頃から書いているのですか」とか「こういうところ、あまり来たことないのですか」とか。でも何を聞かれても、短く返事をするだけです。あいかわらず、人から何か聞かれるのがいやなのだろうな、という感じでした。
それでも帰り道にみんなでぶらぶら歩いていたら、その人はぼくの近くに来て、小さな声で、「楽しかったです、また来ます」と言ってくれました。
でも結局、その人は一度来たきりで、もう来なくなってしまいました。
あの時、小さな声で、「楽しかったです、また来ます」と言ってくれた言葉が、その人の精一杯のお世辞だったのかどうか、ぼくにはわかりません。
ただ、ぼくは、あの震えるような言葉は嘘ではなかったと、勝手に信じています。
生きているのだから、いろいろあるのだろうし、なかなか出かけられないのだろう。
それでも、今でも好きな詩をたまに書いて、いつかまた勇気を出して詩の教室へ行こうと、思ってくれていると、ぼくは勝手に信じています。
ぼくも生きるのがずっと苦手だったし、小さな頃から緊張症だったし、自信なんてぜんぜんありませんでした。
それでもなんとか、詩とともに生きて、老人になれました。
老人は今でも詩の教室をやっています。
緊張したままでいいから、またいつでも、来てください。
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