人はなぜ、よりよい詩を書きたいと思ってしまうのか
今年は何度か対談をしたり、詩の会を持ったりした。学ぶところは多かった。
その中でぼくが何回か話をしたのは、「人は詩を書くことを楽しめばいい。それなのに、なぜよりよい詩を書きたくなるのか」ということだった。ぼくは知識に基づいて話をしたり、理論立てて考えるのが不得意なので、いつも一人で考えた勝手な思い込みを話すしかないのだけど、その時に話をしたことは、
なぜよりよい詩を書きたくなるかと言うと
(1) 人よりも優れているということを見せつけたいというあさましい思いがあること
(2) 初めて詩に触れた時の感動が忘れられず、あのような詩を書きたいと願うから
その二つではないかと言った。
でも、それでは、人に威張りたいと思うわけでもなく、詩と鮮烈な出会いをしたこともないという人はどうだろう。それでも詩を書くのなら、書いて楽しいだけではなく、やっぱり、よりよい詩を書きたいと思ってしまうのではないか。
それはなぜだろう。
このあいだから考えているのだけど、明確な答えは見つからない。ただ、ひとつ考えたのは、ありふれた答えではあるけど、
(3)自分のことを尊敬したい
という気持ちがあるからなのではないかと、思う。
尊敬する、と言ったってそんなに大げさなものではない。ただ、こうして生まれてきて、特に何が秀でているというわけでもない生き物として生きてきて、それでも自分は生きている意味があるんだ、生きていていいんだという、そんな気持ちを持ちたくなることは、ある。
有名になりたいとか、人に尊敬されたいとか、そんなことではなくて、自分は少なくともここにいていいんだと、それだけを確認するために、書かれる詩があってもいいと、ぼくは思う。
自分にちょっと尊敬されるために書かれる詩、というものがあってもいいと、ぼくは思う。
そのためにぼくは、ぼくの詩と一緒に、いつもよりよい詩を書こうとしていたい。いつか叶うかもしれない夢として。
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