詩集を出すとはどのようなことか

詩集を出すとはどのようなことか

この時代の、詩集に対する熱い思いがいつまで続くのかをぼくは知らない。昔と違って今は、SNSで詩は簡単に発表できるし、少し勉強をすればデジタルの本を作ることもできる。だから、紙の本に対する情熱も、いつかは少しずつ減ってゆくのだろう。

でも、ぼくが詩を書き始めた60年前には、ネットもデジタル本もなかった。だから、自分の詩がきれいな活字になることにとても感動をした。さらに、いつか自分の詩集を持つことに途方もないあこがれを持っていた。その思いは今でも変らない。詩集を手にすると、その重みから伝わってくるものに、身体の奥が震えてくる。

詩集は素敵だ。もろ手をあげて素敵だと思う。大きいのもあるし、小ぶりなのもある。どんな詩集でも、手に持ってゆったり歩くのが好きだ。何もやることがない時に、テーブルに乗せた詩集のページをめくるのが好きだ。生きている実感に満ちることができる。

自分が書いてきた詩だけが収まっている本だなんて、どれほどの感動だろう。自分が好んだ言葉に集まってもらい、自分が選び取った表現に素直に並んでくれた、ぼくを裏切ることのないぼくの詩たち。

だから、これからどんな媒体が出てきても、ぼくにとっては、手に持てる詩集は詩の理想の住まいだ。

もしも君が詩を書いているなら、生涯に一冊の詩集を持つことを夢にみてもかまわないと、ぼくは思う。そしてその夢は途方もない夢ではなく、運が良ければ叶うこともある。

詩集が出たら、確実にその人の命の輝きは変る。仮に、人から見てわかりづらい変り方であっても、本人にとっては、少なくともつらい時には、ランプをぶら下げて、とぼとぼと帰ってゆける場所になるのだから。

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