「現代詩の入り口」17 ― 詩を書くことの、喜びとさびしさに触れたかったら石原吉郎を読んでみよう

「現代詩の入り口」17 ― 詩を書くことの、喜びとさびしさに触れたかったら石原吉郎を読んでみよう

かつて、石原吉郎の詩を読んでは、その詩とともに一日を過ごしたことがあります。ここに載せるのはそれらの日々です。99篇あります。なぜここでやめたのかを、ぼくは思いだすことができません。

(1)

時間・2   石原吉郎

それでいい町なのだろう
それでいい人間なのだろう
男とはいわない
だが来たのには
君の確固とした理由がある
その理由を確固として
受けとめるに
どれだけの時間が要るか
その時間をおれは
男の時間として
数えるつもりだ
あと半年かかっても

言葉を繰り返します。しかしそのくり返しは、少しずつずらされます。その、ずらすことを楽しみにして、書いているように見えます。ずらすことによって、どのような情景が、詩が見えてくるのかを、詩人自身が知りたがっているように、見えます。内容は、「ある男が、ある町に到着した」と、単にそういうことなのだと、思います。それだけのように思います。しかし、詩人にとってはいつものように、それ以上のものを、一篇の詩の材料として、必要としていないのだと思われます。発想となる情景は、単純であればあるほどよいのだと思います。なぜなら、その方が、ずらしがいがあるからです。ずらす前の状態が、複雑であっては持ちこたえられないのだと思います。では、「詩」とはそのように、言葉を、情景をずらして、重ねて行くことで、成り立ちうるものでしょうか。なぜか、成り立つのです。そのようなところにも、「詩」はありうるのだと、知らされます。明確になにかを言わないでいることが、「詩」、足りえているのだと。冒頭で二度繰り返される「それで」と「だろう」に、なにか意味があるでしょうか。ここでいう「おれ」と「君」と「男」の関係は、どうなっているのでしょうか。なによりも、一度「ある」と断定された「理由」を受け止めるのに、なぜ「時間」がかからなければならないのでしょうか。重要なのはおそらく、それらにたいする答えが、用意される必要がない、ということなのだと思います。特定の、つかみどころのない単語たち、たとえば「確固」、「理由」、「時間」を、ずらしたり並べ替えたり、あるいは人称を組み替えたりすることで見えてくるものを、詩人は単に楽しんでいるだけのような気がします。それがまさしく「詩」になってしまうとは、あえて私は、この人を、なんとしあわせな詩人であるかと、思うのです。

(2)

つきあい   石原吉郎

こんなにつきあうと
思ってもみなかったな
つきあっていて なんど
君に出会ったかな
つきあえばいいと
いうものではない
つきあえばというものでは
行ってくれ
どてんとしてくれるな

おそらく核になっているのは、「つきあっている」相手に、「出会う」ことができる、という発想なのではないかと思います。言うまでもなく、出会って後に、人は付き合うのであり、付き合っているその人に、出会いなおすことなどありえないのです。そのありえない関係を、詩として、定着したかったのでしょう。ありえない関係を書く、という、そのことがそのまま、詩として、成立するのでしょうか。しばしばそれが、成立するのです。その描かれた関係が、作者と読者に美しく、感じられるならば、詩として、成立してしまうのです。幸運にも、そのような関係を美しいと感じる、その感じ方が、石原吉郎と、多くの詩の読者の、共有するものだったのです。それがなぜなのかは、わたしにはまだわかりません。ただひとつだけ、今言えることは、どうも、石原の人生や、石原の努力とは違ったところから、不意打ちのように、この技術が石原にあたえられたような、気がするのです。

(3)

置き去り   石原吉郎

私は私に耐えない
それゆえ私を置き去りに
する
私は 私に耐えない それゆえ
瞬間へ私を置きざりにする
だが私が置きすてる
その背後で
ひっそりと面(おもて)をあげる
その面(おもて)を

つまるところ、詩とは自身のことしか書きえないのかもしれません。そして、自身のことを表現するためには自身をいったん突き放す必要があるわけです。言い換えれば、自身を、あたかも他人のように扱うことが、自身を理解するためのひとつの方法になるわけです。石原が多用するのも、この手法です。そう言ってしまえばなんだというような、単純な方法なのですが、その単純な方法をどれだけあざやかに使いこなすか、ということに、文芸の命があり、その命をつかまえる指を、石原は持ちえていたのです。一行目の「私は私に耐えない」というのは、だれでも思いつきます。おそらく、詩の初心者でも書くことができます。石原がこの詩で勝負しているのは、あきらかに、次の行の、「私を置き去りにする」という発想です。言い換えれば、もし、この言葉に何も感じることのない読者がいるならば、その読者には、この詩の価値はまったくありません。もう、その先を読む必要はありません。3行目からは、この発想の延長でしかありません。「瞬間」という、意味ありげな言葉の使い方や、「背後で面をあげる」というような詩のまとめかたも、何かをその発想に付け加えるものではありません。しかし、だからといってそれがこの詩を、貶めることにはなりません。「たったひとつのちょっとした発想からできた詩」、であることによってこの詩が貶められるならば、また逆に、「たったひとつのちょっとした発想からできた詩」、であるからこそ、わたしたちを直接、打つことができるのです。すくなくとも、詩の外で説明を必要とするような、また論理を幾重にも積み重ねられて出来上がった詩で、わたしはすぐれたものを、日本の詩の中に、見出したことがありません。石原は、「単純」ということの重さを、もっともうまく、利用していたのだと、思います。

(4)

涙   石原吉郎

レストランの片隅で
ひっそりとひとりで
食事をしていると
ふいにわけもなく
涙があふれることがある
なぜあふれるのか
たぶん食べるそのことが
むなしいのだ
なぜ「私が」食べなければ
いけないのか
その理由が ふいに
私にわからなくなるのだ
分らないという
ただそのことのために
涙がふいにあふれるのだ

これはまた、すさまじくわかりやすい詩です。また、作者の名前を作品から消したら、もしかしたら、これを石原吉郎の詩だとは、気づかないかもしれません。独特の、自己へ向けたしつこいイメージの重なりや捻じ曲げも、この詩には見受けられません。かろうじて最後の三行、「分からないという/ただそのことのために/涙がふいにあふれるのだ」というところが、石原らしいといえば、そういえるかもしれません。この詩を整理すると、つぎのようになります。

1. 食べることがむなしく、悲しい
2. 「私が」食べることの理由がわからない
3. わからないから涙を流す

こうして見てゆきますと。この詩を発想したその元というのは、前日も書きましたが、「単純なひとつの思いつき」である「食べることがむなしく、悲しい」というものであっただろうと思います。しかし、前日の「自分を置き去りにする」という発想ほど、「食べることがむなしく、悲しい」という発想は、珍しいものではありません。そのことをおそらく、石原は、初めの部分を書きながら、気づいたのです。このままでは、きちんとした詩にはなりえない、素人の発想から一歩も抜け出ていないと、思ったのです。で、どうしたかと言いますと、そこに、「私が」悲しい、「私が」なぜ食べるのかというふうに、「私」を持ち込んできたのです。しかし、それでもなお、詩は自立できません。もしかしたら、「私」を持ち出すことさえ、素人の詩作の範疇から抜け出ていないのではないかと、思ったのです。それで、更なるたたみかけとして、理由そのもののために「涙を流す」のではなくて、理由がわからない、そのわからなさによって、「涙を流す」のだという理屈を持ち出したのです。さすがに、ここまでの理屈は素人には、思いつきません。あるいは、そこまでひとつの発想をしつこく取り扱おうとは、素人は思いません。

この詩でわかることは、石原が、必ずしも卓抜な発想によってすべての詩を書きえていたわけではないということです。時に、奇抜と思っていたものが、そうではないと気づくこともあったのだということです。もし、わたしがこの詩を書いたのだったら、その時点で、この詩をあきらめていたでしょう。石原の、石原たるゆえんは、あるいはその才能の強さは、それでもなお、それを「詩」に仕上げるべく言葉を作品へ結び付けてしまうことです。それが石原にとって幸せなことであったかどうかは、わかりません。さらに、できあがった詩にとってしあわせであったかどうかも、わかりません。しかし、とにもかくにも、これは一篇の詩として残りました。ある意味で、石原の強引な筆力を感じることのできる詩です。ただ、私が今、知りたいのは、「残すべき作品」というのが、作者によって、どのように決められるべきであるのか、ということです。それは、書くものがすべて「詩」になりえてしまう詩人の、避けては通れぬ課題だと思うのですが、もしかしたら石原は、その課題に、わざと目を閉じていたのかもしれません。あるいは、あれほど表現というものが見えていたにもかかわらず、成立した後の自分の作品の処遇については、後期の石原には、分け隔てをする力が、すでに弱まっていたのかもしれません。

(5)

理由    石原吉郎

おれの理由は
おれには見えぬ
おれの涙が
見えないように
見ようとしても
目がくもるだけだ
涙はおれに
物質だすくなくとも。
見ようとすれば
それだけ見えぬもの
そこへ一挙に
理由が集中する

毎日こうして、石原吉郎の詩を載せているのは、別に石原吉郎論を目論んでいるからではありません。単に、任意に選んだ詩に、自分がその場で詩について、即、何を語れるかを試したかっただけなのです。まだ5回目ですが、すでに内容は、連日同じようなものになっています。自分の読みの浅さと狭さに、絶望しつつ、どこまで同じものを書いてゆくことになるのか、自分を懲らしめるためにも、無残な姿をさらしてみようかと、思っています。

今日は、一行目から、順番に、番号をふって見てゆきましょう。

1.冒頭、「おれの理由は/おれには見えぬ」 というところの「理由」とは、あきらかに作者の存在「理由」です。なぜこの世にあるのかという問いです。自分の存在理由が、「自分には」見えないという事です。
2.次に、「おれの涙が/見えないように/見ようとしても/目がくもるだけだ」と続きます。ここは、内容的には、前にいったことの繰り返しです。平たく言えば、「自分には自分のことがわからない」ということです。
3.「涙はおれに/物質だすくなくとも。」ここで、ことさらに「物質」を出してくるのは、「涙」を「おれ」から引き剥がしてみたわけです。物質としての涙は、見えるけれども、「おれ」の一部としての「涙」は見えない、とでも言えるでしょうか。依然として、前の行の言っていることを、繰り返しています。
4.「見ようとすれば/それだけ見えぬもの」というのは、これは逆説だということを、はっきりとする言葉です。目の焦点をあわせようとするから、見えない。つまり、見ようとするから、見えない。自分という、近い存在だから、見えない、ということが言いたいのです。
5.「そこへ一挙に/理由が集中する」という結び方は、いかにも意味深ですが、これも、これまでの理屈の、強調でしかありません。見えないのは、見ようとするからで、それ以外に理由はない、ということです。

これを要約してみますと、次のようになります。
1.自分の存在理由が、「自分には」見えない
2.自分には自分のことがわからない
3.自分の一部としての「涙」は見えない
4.見ようとするから、見えない。自分という、近い存在だから、見えない
5.見えないのは、見ようとするからで、それ以外に理由はない

ということなのでしょう。いかにこの詩が、同じ事を幾度も繰り返し言っているか、ということがわかります。だからどうなのだ、ということを今は言うことはできません。姿かたちを変えた繰り返しから、一篇の詩は書かれうるのだということを、確認するまでです。そのような詩のテクニックを、すくなくとも私たちは、この詩から学ぶことは、できます。

しかし、すでにお分かりのように、この文章の中で、わたしは大きな誤りを犯しています。言うまでもなく、「詩」は要約されるべきものではないのです。この世を要約できないからこそ、わたしたちには「詩」が、あるのでした。

(6)

桶    石原吉郎

桶をあつかう
職人はいないのか
桶をつくるのではない
あつかう職人だ
あつかいかたを
おしえる職人だ
水をみたして
かたむける
かたむけかたを
おしえる職人だ

発想が生まれる流れを、この詩で見てみましょう。作者を訪れた発想はまず、(1)「桶」そのものです。「桶」という言葉は、石原にとって,たしかに詩になりうる言葉です。この時点で、この詩の半分以上は出来上がっています。次の発想は(2)「あつかう」という言葉を「桶」にあてがったことです。つなげたことです。「桶」から「あつかう」を思いつくことは、気持ちのいい発想の動きです。この時点で、この詩は80%まで出来上がっています。「桶をあつかう」と、言いえたことで、作者はもう少なくともこれが、そこそこの詩にはなりうるという自信をもちます。(3)三番目の発想は「水」です。さすがに「桶」と「あつかう」だけでは単調な世界になってしまいます。そこへ、別のものを持ち出す必要があります。「桶」から「水」に連想をのばすことは、たしかに普通の思考の流れです。ただ、作者にとってこの「水」を思いついたことは、もっと大きな意味があります。なぜなら、「水」は、詩を書く者にとって、詩を、どのような方面へも、どのように深くも、進展させることができる素材だからです。さて、ここまでくれば、あとは着地を決めるだけです。「水」を獲得した作者は、その力量を十全に示すべく、何の苦もなく、(4)「かたむける」という発想に、「桶」と「水」を結び付けます。ここは石原にとっては、容易であり、かなり気持ちのよい部分であったろうと、思われます。

この詩では、詩の発想が次々と作者の中で、つながって出てくる様子が、はっきりと見えます。初めの「桶」の発想が、もっとも困難を伴うものであることは、まちがいがありません。それにくらべて、初めの発想から、次の発想へ飛び移ることは、詩を書く者にとって、それほどむずかしいことではありません。しかし、その、発想のつながりの部分にこそ、その作者の、才能がもっともあらわれるのです。

そしてわたしは思うのです。おそらく、いくら努力しても、いくら勉強しても、わたしには石原のようには書くことができないだろうと。その発想の「見事な飛び移り」は、持ってうまれた才能だけがうけもっているのだと。さらにわたしは、思うのです。詩を学ぶことは、けっしてすぐれた詩を書くことには、つながらないのだと。

(7)

くずれるように   石原吉郎

雲がくずれるように
それが
塔がくずれるように
それが
柱がくずれるように
それが
箸がくずれるように
それが
針がくずれるように
それが

一見不可解な詩が、時折石原の作品にはあります。まじめに書かれてはいるのですが、どこか一本、ちからを抜いているような、書きかけのような、書いたそばからいきなり読者へまかせてしまうような、詩です。どのような詩も、作者が、ここまでは作者の責任で書き、ここから先は読者にまかせたい、という責任希望範囲というものがあるわけです。つまり、作者の責任範囲の部分というのは、どうしてもこのように読んでもらいたいという、明確に読者に読み方を指定している部分です。一方、読者にまかせた部分というのは、ある程度の責任は作者が負うものの、故意に、読者がどのようにも解釈できるように、書かれている部分です。

この、作者の責任範囲と、読者にまかせられた範囲の線引きは、単に線引きにとどまらず、それがまた、個々の詩人の方法論や個性にもつながっているわけです。例えば、今こうしてわたしが書いている文章は、詩ではなく、散文ですから、わたしは読者に、わたしが書いているそのままを、理解してもらいたいわけです。言い換えれば、文章のすべてにわたって、作者であるわたしに責任があるわけです。しかしこれが詩であったとしたら、おそらくわたしはもうすこし身を引いて、読者が勝手に解釈できる部分を残すわけです。それが詩の魅力でもありますが、それが詩という名の、単なる無責任な書きものにつながることも、あるわけです。

この詩で読みうる意味は、「それがくずれる」、ということだけです。「それ」というのは何を意味しているのかは、明確にはされていません。ふつうに考えれば、「それ」とは、作者自身を指しているのではないかと思いますが、真相は、わかりません。何か別のものを象徴しているのかもしれません。どのようにくずれるのか、ということが、並列的に書かれています。ただ、くずれるという動詞がふさわしいのは、雲と塔と柱までで、そのあとの箸と針は、言葉の上で、比喩を細めているだけのような気がします。視線が遠くから、徐々に近づいてきて、手元にまでたどり着きます。全体に、石原独特の言葉の雰囲気は感じられるものの、それ以上は、わたしには何も読み取れません。この、同じ形の文章を並列的に並べて作品にするというのは、かなり危険な書き方です。詩のかたちから変化を取り除いてしまうわけですから、あくまでも書かれている中身の深さだけによって、詩の評価が決まってしまうわけです。ごまかしがききません。かなり力量のある詩人でなければ、この手法をとるのは危険です。

この詩が、どこまで成功しているかということは、議論の分かれるところです。何を言っているのかは、いまのところ思いつくものは、多くはありません。ただ、この詩が単独で読まれるのではなく、詩集の中の一篇として置かれたときには、この詩の価値は、それなりにあると思います。前後の詩の、つなぎのような役割は、少なくとも果たすのではないかと思います。石原はたぶん、そのような意図を持ってこの詩を書いたのだと思います。ある種の詩は、詩集の中で読んで見なければ、その良さがわからないのかも知れません。詩とは、何と厄介なものか、と、思います。

(8)

足利    石原吉郎

足利の里をよぎり いちまいの傘が空をわたった 渡るべくもなく空の紺青を渡り 会釈のような影をまるく地へおとした ひとびとはかたみに足をとどめ 大路の土がそのひとところだけ まるく濡れて行くさまを ひっそりとながめつづけた

美しい詩です。視覚的です。明るさと暗さのコントラストが見事です。「足利」ということばが、時間の遠さをも感じさせます。その遠さが、空間の遠さ、空の高さにもつながって受け止められます。めずらしく、抽象的な単語のたたみかけや、動詞を能動態と受動態でならべてみせる、などという、小手先を使っていません。使う必要がないからです。無理に、ひとつの単語から詩を作り上げる必要がないからです。一篇の詩を持ちこたえるだけの視覚的なインパクトを、持ちえています。

それでも、いつもの石原らしさは、次のような言葉に見えています。「よぎり」「会釈のような」「かたみに」。それぞれはいかにも解釈をねだるような書かれ方をしていますが、これらの言葉も、この詩では、情景のひとつとして読まれるべきなのでしょう。

 この詩の美しいのは、空をさえぎるように飛ぶ傘の姿と、その傘が地上におとす影からきていることは間違いがありません。さらに、傘の影になった地面が「影に濡れてゆく」という発想も見事です。

しかし、そのように美しいと感じる詩を、美しいと感じた後で、わたしたちはその思いを、どのように取り扱えばよいのでしょうか。つまり、だからどうなんだ、という質問がつねに付きまとうのです。言い方をかえるなら、美しい詩というのは、だからどうなんだ、という質問を許してしまう隙を、常に、持っているのかもしれません。何が足りないのか、という質問をつきつけるのは、ですからこの詩には酷です。美しい、ということが、それ自体が、現代詩にとってはひとつの欠落のような気がします。そして、その欠落が、なよなよとわたしたちにもたれかかってきて、その美しさを、際立たせてしまうのです。

(9)

受け皿    石原吉郎

おとすな
膝は悲しみの受け皿ではない
そして地は その受け皿の
受け皿ではさらにない
それをしも悲しみと呼ぶなら
おれがいまもちこたえているのは
錐(きり)ともいえる垂直なかなしみだと
おそれずにただこたえるがいい

ここで言う膝で受け止める悲しみとは、自分の肉体ではないかと思います。上からおりてくる身体をいったん受け止めているのが膝です。自分をいったん外側に出して、垂直に落とすのは涙ですが、そうではなく、自分の内側の肉が垂直におちて、膝に集まる、そのことを言っているのだと思います。言い換えますと、自分のすべてを一滴の「涙」のように、みなしているのです。その肉体を、垂直におちてゆくことから、日々「もちこたえて」いるのだと、いうのです。ほかでもない、これは「生存の」、あるいは「自己の」、ここにあるという、そのことの悲しみであり、生きている間は重さを持つものとしての、下へ常に引っ張られている悲しみです。いったん全身を液体にして、膝にたまり、その膝を傾けて、地面にこぼしてしまえば、どんなに楽かと思います。たしかに、わたしたちは一滴の涙なのです。自由に、流れ落ちることのできない。

自分が、自分の中を落ちてゆくという発想そのものは、言葉に関わる人たちには、めずらしいことではありません。しかし、その発想がここまで作者に近しく、よりそっているのは、石原だけなのだと思います。「落ちるもと」と、「落ちて行く先」、または「落ちてゆくそのもの」、さらに、「それらを包む空間」さえもが、自分という、ひとつのものでしかないという実感。石原が、「位置」という言葉を多用する理由も、わかるような気がします。

落ちてゆく自分を、それ以上に落ちぬよう、支えようとする自分。その、力点と、支えの点は、さびしくわたしたちのどこかに、振り分けられているのです。

(10)

ふいに   石原吉郎

喫いながら 急に
たばこが喫いたくなる
ねむれずに むやみに
寝がえる夢をみる
死んでいて ふいに
はっきり死にたくなる

たしかに、疲れて椅子に座ったときなど、座っているのに、なにかまだ座り足りない、と感じることがあります。この座りかたより、もっと違った座りかた、というものがわたしにあてがわれないだろうかと、考えることがあります。また、蒲団にはいって眠ろうとするときにも、もっと横になる角度、というものがあるはずだが、と、水平になった体で、考えることがあります。

しかし、この詩で言わんとしていることは、それとは明らかに違います。石原はこの詩で、もっと屈折したものの言い方をしています。わたしのように、単純ではないのです。

「喫いながら たばこが喫いたくなる」というのは、一見、たばこを吸っていながら、さらにきついたばこを吸いたくなるといっているようですが、そうではありません。作者は、たばこを吸っていないのです。作者が言いたいのは、「喫いたくなる」の部分で、はじめの「喫いながら」というのは、喫っていないことの強調なのです。「喫いたくなる」という思いが強いものであることを表現するのに、「すでに喫っているのに、さらに喫いたくなる」というような言い方をしているのです。

また、「死んでいて ふいに はっきり死にたくなる」というのも、同様に考えられます。ここでは当然、死んでなど、いないのです。単に、「死にたい」という思いを強調するために、すでに「死んでいる」というような言い方をしているのです。それにしてもまぎらわしい表現です。死んでいないことを、「死んでいて」と言い切るに至っては、日本語の文法は立つ瀬がありません。国語辞典の役割は、かなり難しいものになります。

おわかりのように、これは、石原吉郎だから許されるのです。むやみにこの手法は、使えません。「食べていて ふいに 夕食が食べたくなる」と家内に言っても、夕食は出てこないでしょう。

(11)

恐怖     石原吉郎

まぎれもなく健康であることは
たぶん巨きな恐怖だから
きみはなるべく
病気でいるがいい
ドアが正常に開き
通行を保障されるのは
たぶん巨きな恐怖だから
きみはすみやかに
拘禁さるべきだ
二人の男が向きあって
なにごともなく
対話がつづくのは
たぶん巨きな恐怖だから
一人は 即座に
射殺せねばならぬ

形式としては、昨日の詩と同じように、3つのシーンが行明けをせずに並べられています。3つのシーンは、少しずつ本質に迫るように、インパクトの強い内容になってゆきます。自然に、「死」にまつわる纏め方へ、行ってしまいます。たしかに、これ以上重要な事柄はないわけであり、そこへ行ってしまうのは理解できます。この詩でも、「射殺」、つまり死で、作品を収めています。

この詩を読んでいて思うのは、「なにごともないということのおそろしさ」です。あるいは、「のぼりつめたあとの、怖さです」。しあわせの中で、いつかこのしあわせが崩れるのではないかと思っているよりも、いっそはやくそうなってしまったところへおとされたいという気持ちです。「ばちがあたる」という、けなげにもかなしい思いです。自分の本来いるべき場所は、もっとつらい場所であるべきだという、思いです。「分相応」という言葉は、わたしたちをするどく追い詰めるものが、あります。

「ばちがあたる」といえば、いつも思い出すのは、黒澤明の『赤ひげ』の一シーンです。幸せな結婚生活をはじめた女の人(桑野みゆきが演じていたと思います)が、ある日その家を火事で失い、焼け跡を呆然と歩きながら、「いつかばちがあたると思っていた」と考えるシーンです。すべてを失って、もとの不幸な境遇へもどってゆく顔の悲しさと、一方、もう失うことにおそれることはないという、どこか安堵した、自分の人生をあざ笑っているようなこころのありようです。

さて、いつまでもこんなことを書いていても終わらないので、まとめましょう。

この詩の語るべきところは、逆説が、逆説に終わらずに、ひっくり返ったその先で、肉をつけ、説得力をもちえていることです。健康の中にひそむ病、通行の中にひそむ拘禁、対話の中にひそむ射殺。つまり、これは逆説というよりも、むしろ、それぞれがそのうちに包含する、本質といえるかもしれません。

(12)

泣きたいやつ   石原吉郎

おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
自分の足首を自分の手で
しっかりつかまえて
はなさないのだ
おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
涙をこぼすのは
いつもおれだ
おれよりも泣きたいやつが
泣きもしないのに
おれが泣いても
どうなりもせぬ
おれよりも泣きたいやつを
ぶって泣かそうと
ごろごろたたみを
ころげてはみるが
おいおい泣き出すのは
きまっておれだ
日はとっぷりと
軒先で昏れ
おれははみでて
ころげおちる
泣きながら縁先を
ころげてはおちる
泣いてくれえ
泣いてくれえ

この詩を解説する必要はないでしょう。だれにでもわかる内容です。読んでの通りです。問題はですから、この詩の場合、解釈ではなく、この詩を許せるか許せないか、あるいは耐えられるか耐えられないか、です。わたしはむろん、この詩に耐えられますが、人によってはそうではないでしょう。たしかに、普通の男は、たとえ詩という作品であるとはいえ、これほどあからさまに自らの弱みを、そのままさらけ出さないものです。むろん、昼日中から人はこんな情けないことではやっていけません。上司の叱責に耐え、部下のいじめに耐え、人事査定に耐え、それでもいくばくかの給料を稼ぎ、ものも言わずに毎朝もくもくと出勤する男は、通常、このような弱みは見せません。あるいはここまでめめしいところを、見せることはしません。

特に、いつも「原点」だとか「礼節」だとか、背筋の伸びたことを言っている人が、突如としてこのような詩を書くというその落差に、唖然としないでもありません。しかし、石原の読者ならよく知っています。このような「泣きじゃくる」石原をみるのは、この詩だけではないことを。

そして石原はそのことを隠そうとはしません。むしろ平気でそのような自分を、さらけだして見せるのです。自分が書こうとしているのは、「原点」や「位置」や「礼節」ではなく、その裏で泣きじゃくっている自分なのだと。

しかし、本当に「泣きたいやつ」は、こんなに簡単に「泣きたい」などと書けるわけがないのです。このような作品を書いて、人の鑑賞に堪えられるようなレベルへ推敲を重ねている、計算高い石原が、その奥にいるのだと、わたしは思うのです。そしてその石原は、本当は泣きじゃくりたくなど、ないのです。

だからといって、それをもってこの作品の価値が下がるものでありません。計算高く「泣きたい」と書きおおせる石原が、もし、こころの奥底では無類の楽天家だったとしても、作品の中の「泣きたい」という言葉に、作品であるがゆえに、嘘があるわけではなく、わたしたちの胸は、たしかにうたれるのです。

(13)

昨日の補足です。石原吉郎が、「無類の楽天家だったとしても」と昨日最後のところで書きましたが、それには、何か確実な根拠があったというわけではありません。わたしはこの詩人に会ったことはありませんし、かりに会ったことがあったとしても、心の奥底を覗くことができたとは思えません。ただ、この世で精神をまっとうに直立し続けるためには、どうしても楽天家の資質が必要であろうと思われ、石原は、心のどこかに、外部から押し寄せる不幸な事柄に耐えうるだけの、明るさと、ある程度の無責任さを持っていたのではないかと想像するだけです。そうでなければ、あれほど「さびしさ」や「悲しみ」を作品の中に、見事に対象化しえなかったのではないかと、思われるからです。揺れているものを見つめるためには、揺れることのない目が、必要なのではないかと、思われるからです。普通の人間の、何をもって普通とみなすかを、身をもって理解していたからこそ、その極限を描きえたのではないかと思うわけです。わたしは、石原の過酷なラーゲリ体験を過小評価するつもりは、毛頭ありません。しかし、これも直感ですが、その資質は、もっと幼少からの、持ってうまれたものからきているのではないかと思います。さらに言うなら、“男”というものは、おおむね“女”よりも、生きることへの真剣さに欠けるところがあり、その、ふわふわした地に足のついていないところが、(わたしもそうであるように)、石原にも、“男”であるがゆえに、あったのではないかと、想像するのです。あれほどまでに、自身の精神の規律にこだわり、作品にも、ノートにもそれを書きつらねたのは、その対極にもありうる自身を、自身が深く理解していたからではなかったかと、思うのです。これが、浅いながらも、10日間石原吉郎を読んできた、とりあえずの感想です。

では、今日の一篇。

じゃがいものそうだん   石原吉郎

じゃがいもが二ひきで
かたまって
ああでもないこうでも
ないとかんがえたが
けっきょくひとまわり
でこぼこが大きく
なっただけだった

「この詩、笑えますよね」「はあ」「でも、じゃがいもは、2匹とは、言いませんよね。生き物と、みなしたわけですね」「いや、そう明確に決めたわけではなく、自然にね、自然に、2匹と書いていた。」「それをなおそうとは、思わなかったんですね」「はあ、そのままのほうが、いいかと」「そうですね。それから行かえが途中、変なのは」「はあ、ちょっと変化をと、思ってね」「なるほど。それ以上の意味は、ないんですよね。でも、ちょっとひっかかりますね、ここのとこ。」「ああ、でも、変化がね、変化がほしかった。不自然でもね、ここのところは」「で、これはやはりじゃがいもに見立てて、人間のことを、言っているのですか」「そうとってくれても、いいけどね、そのままジャガイモのことだと、おもってくれても、いい」「どちらでも、いいんですね、それはそんなに大きな問題ではないんですね」「はあ」「では何が問題なんですか、この詩の」「はあ、何が問題というような詩ではなくて、ただそのまま読んでくれれば」「そうですか、ところで、後のとこ、でこぼこを持ち出したのと、それがおおきくなると、考え付いたのは、一緒だったのでしょ」「はあ」「すぐにここのとこ、思いつきました?」「はあ、自然にね、考えるまでもなく、でてきたね」「こんな感じの詩は、いつでも、いくらでもできるんですか」「いや、いくらでもというわけでは。でも、考えればね、じっと考えれば、何かできる」「でこぼこを思いついたとき、うれしかったんでは、ないですか。」「はあ」「それから、大きくなるって、思いついたときも」「はあ」「うれしいもんですよね、こんな短い詩でも」「はあ、それはそれなりに、気持ちいいもんだね。できたときにはね。うれしくなるね。うれしくなる。」

そんな詩だと、思います。

(14)

縄   石原吉郎

借財の理由にさし出すのは
まあたらしい一本の縄だ
信じられぬという言い分を
言い分のまま断ちおとす
燃やせばいっときの間に
灰に帰するだろう
むろん言いわけはせぬ
いっぽんの縄で
無明の返済を信じ終せるか
結べば絞索にもなるしろものを
平然とつきつけてはばからぬ
理不尽なしきたりの
いわれを言わず
信頼を強要する目がたどる縄は
すでに一条の銀と化している

この詩を読んで、ことあらためて思うことは、通常の日本語と、なんとかけ離れたところで言葉が発せられているか、ということです。驚くのは、これほどに異常な日本語を、「現代詩」という名の下に、通常、何の疑問も持たずに、わたしたちが読み、あげくに感心までしていることです。「これは現代詩である」という了解なしには、たしかにこの作品を読むことはできません。これを、詩にはまったく興味のない人が読んだら、さぞ、「表現が大げさ」で、「深刻ぶって」いて、「回りくどく」て、「何を言いたいのかわからない」と、驚くでしょう。言葉をこねくり回して遊んでいるとしか思われないかもしれません。一種の病気と思われても、仕方がありません。確かにわたしたちは、言葉をこねくり回していますし、病気、なのです。

作品の内容を見れば、「借金の返済に一本の縄を出した」ということだけであり、それが何なの?と聞かれても、即座に答えるすべを持ちません。「縄」が象徴するものは、とか、借財や返済という語すら詩に昇華する作者の力量を見よとか、言葉の向きの鋭さとか、何を言っても、いえば言うほど、そのような質問の答えから遠ざかってしまうような気がします。

もちろん、わたしはここでことさらに、詩の言葉を日常語に近づけよと言っているわけではありません。日常語とかけ離れるならかけ離れるで、その先に誇れるほどの表現の深さを、持つ気概がなければならないと、言いたいだけなのです。

そして、わたしたちは表現の病気であるということを、常に認識している必要があるのです。自分の書き物と、普通の言葉との距離を、正確にとらえていることなしに、その病に、意味は与えられないだろうと、思うのです。

石原吉郎とは、おそらくそのような意味で、異常な言い回しを使用してもよいと選ばれた、数少ないエリートの詩人なのです。しかし、この詩にかぎって言えば、その言語の異常さが目につくというそのことだけで、失敗作であると、わたしは思うのです。現代詩は、現代詩用の言葉を使用しているから、詩になりえているのではないということを、肝に銘じなければなりません。

(15)

そこが河口
そこが河の終り
そこからが海となる
そのひとところを
たしかめてから
河はあふれて
それをこえた
のりこえて さらに
ゆたかな川床を生んだ
海へはついに
まぎれえない
ふたすじの意思で
岸をかぎり
海よりもさらにとおく
海よりもさらにゆるやかに
河は
海を流れつづけた

わたしが、端とか、境目とか、自身が尽きるところとか、そのような所に詩を感じるのは、自分が思いついたわけではなく、かつて、この石原吉郎の詩を読んだからなのかと、思いました。自分のオリジナルであるとまでは思っていないものの、かなり自分の創作の核心に関わっている部分であると思っていただけに、ショックでした。「なんだ。すでに石原吉郎が、ずっと昔に書いているじゃないか」と思い知らされた感じです。思えば、文章を発想するときには、たいていの場合過去の記憶や知識や発想の混沌の中から、きっかけを引っ張り出すのですが、そのきっかけが、具体的にどこから来たものかを、のちに詳細に検討することはありません。いったん創作が始まったら、もうそのときにはものを書くことに夢中になっているわけで、もとのところのチェックは、なされぬままで終わってしまいます。

わたしは、わたしの詩の何%が石原吉郎の影響下にあるかということを明確にはいえません。寺山修二も清岡卓行も清水哲男も辻征夫もサトウハチロウもそのほか多くのすぐれた先達が、何%かずつわたしに取り込まれています。しかしその%を、わたしは知りません。書いてきた作品を詳細に分析すれば、何らかの答えは出てくるであろうと思います。しかし、その分析結果が出てきたところで、それがなにものかを意味するとは思えません。分析の結果、わたし固有の部分が、たとえ0.1%しかないとわかっても、それでもわたしは気落ちすることなく、書き続けるでしょう。

作品にもどります。この詩では、読んでの通り、「川」が「海」へ入るところの描写と、その意味が追求されています。同じ水でありながら、川が終わり、海が始まるということの不思議さ、あるいはその境目の鮮やかさが、見事にうたいあげられています。実際、川が、部分部分で次々に海に身を翻してゆく様子は、考えただけでもわくわくします。しかしこの詩では、川は海に転じて行くのではなく、そのまま、川のまま、海の中を流れるのだといっています。見事な発想と、思います。水が水の中を、別の名のもとに流れてゆくすがたを、思いうかべることは気持ちのいいことです。自身が自身の中を流れているという発想の意味を考えることも、気持ちのいいことです。

ともあれ、そのものの「端」に触れる石原吉郎の指先は、いつも繊細で、美しく感じられます。昨日の詩とは違って、テーマが作者の根元からしっかりと出てきている、という感じがします。無理のない作品と、言えるのではないでしょうか。

(16)

くしゃみと町   石原吉郎

かなしみだろうか それは
くしゃみをするおれを
世界は涙ぐんでふりかえる
かなしみだろうか それは
そのとき手のあいだから
おとしたもの
どこへおれの影がとどく
だまって肩へ
手をおいて行くやつら
かなしみだろうか それは
鍋はぐらぐらと煮えつづけ
どこへつっぱりもなく
ひとつの町が立っている
投げあげた勇気よ
かえってこい
くしゃみをするたびに
立ちどまりながら
けれども この町へはもう
かえってはこないのだ

好きな詩です。くどくどと解説したくないほど、好きな詩です。現代詩特有の「かっこよさ」を身につけています。言葉の隅々まで、張り詰めています。ある町を去る時の詩です。最後にあるように、ちょっと離れるというのではなく、もどらないという決意を持って激しく去ってゆきます。おそらく、石原の体験からきたものが描かれており、ここでわざわざ強制労働に言及せずとも、かなり、この町と緊迫した関係にあったことが読み取れます。体験は、体験そのままを固有名詞で書くよりも、その思いを普通名詞へ織り込んだほうが、作品として、わたしたちに浸透します。あるいは、この町で体験したことや、対峙した人々をそのまま描くよりも、それらを「町」に押し込めて、その「町」と自分の関係を明確にしたほうが、わかりやすく、わたしたちに浸透します。

「かなしみだろうか それは」という、いきなりの倒置法も、その効果を十分に発揮しています。表現が立ち上がっている感じです。いくつかある表現方法の中からこれが選ばれたというよりも、この表現だけが、あらかじめここに置かれてあった、という感じがします。

ことさらこの「町」に対して、抗議の言葉を吐いているわけではありません。しかし、いくども出てくる「くしゃみ」は、直接的にそれが抗議とはいわぬまでも、体を破裂させるようにしておこなわれるこの行為が、その姿から、抗議の奥にしまわれた「かなしみ」をすぐれたかたちで表しています。

あるいは、「くしゃみをするたびに/立ちどまりながら」とあるように、「くしゃみ」はむしろ、この町にとどまってもっと直に対決することを、せまっているのかもしれません。つまり、命をかけてまでも逃げ出したい場所では、そこから走っては逃げ出せない呪縛が、自分自身の中に育つようになっているのかも知れません。ここでいう「くしゃみ」とは、そのような呪縛の、あらわれなのだと思います。

ともかく、見事な一篇です。

(17)

夜がやって来る   石原吉郎

駝鳥のような足が
あるいて行く夕暮れがさびしくないか
のっそりとあがりこんで来る夜が
いやらしくないか
たしかめもせずにその時刻に
なることに耐えられるか
階段のようにおりて
行くだけの夜に耐えられるか
潮にひきのこされる
ようにひとり休息へ
のこされるのがおそろしくないか
約束を信じながら 信じた
約束のとおりになることが
いたましくないか

朝早く目が覚めたときに、その日の行動を、頭の中ですでにおこなっていることがあります。特に、会社に行く日の朝など、その日の行動予定はほぼ決まっており、「電車のあの位置で7時13分初にのり、会社に着いたら、まずXさんに電話を入れ、Xさんは多分こんな返事をし、」と、布団の中でその日を一回やってしまうことがあります。ひととおりやってから、おもむろに起きだし、本当の行動を、ほぼ予定通りになぞってゆくのです。

一日はそのようですが、では私の一生はどうかと考えます。たぶん一生も、その一日と似たようなものなのです。私は一個人ですが、どこといって他の人と変わらない一個人です。わたしの人生まるごとが、すでにだれかがやった一生をなぞっているのと、あまりかわらないのかもしれないと、思うことがあります。そのようにしてわたしの死も、だれかの死のように迎えられ、娘はわたしの遺骨の前であたりまえのようにして泣き、あたりまえのようにして徐々に、私のことを忘れてゆくのだろうと。

この詩で言っているのは、「時間が予定通りにその時間になる」ことへの違和感です。5時59分のあとに、きちんと6時0分が来てしまうことの、「おそろしさ」であり「いやらしさ」であり、「さびしさ」であり、「いたましさ」です。

「約束」をして、翌日その「約束」どおりに動くことの鬱陶しさは、時に、だれでもが感じることですが、それを詩に書けるのは、たぶん石原吉郎だけだろうと思います。すごい詩人です。

(18)

耳鳴りのうた   石原吉郎

おれが忘れて来た男は
たとえば耳鳴りが好きだ
耳鳴りのなかの たとえば
小さな岬が好きだ
火縄のようにいぶる匂いが好きで
空はいつでも その男の
こちら側にある
風のように星がざわめく胸
勲章のようにおれを恥じる男
おれに耳鳴りがはじまるとき
そのとき不意に
その男がはじまる
はるかに麦はその髪へ鳴り
彼は しっかりと
あたりを見まわすのだ
おれが忘れて来た男は
たとえば剥製の驢馬が好きだ
たとえば赤毛のたてがみが好きだ
たとえば胴の蹄鉄が好きだ
銅鑼のような落日が好きだ
苔へ背なかをひき会わすように
おれを未来へひき会わす男
おれに耳鳴りがはじまるとき
たぶんはじまるのはその男だが
その男が不意にはじまるとき
さらにはじまる
もうひとりの男がおり
いっせいによみがえる男たちの
血なまぐさい系列の果てで
棒紅のように
やさしく立つ塔がある
おれの耳穴はうたがうがいい
虚妄の耳鳴りのそのむこうで
それでも やさしく
立ちつづける塔を
いまでも しっかりと
信じているのは
おれが忘れて来た
その男なのだ

石原吉郎の詩を読む時、常につきまとうのが彼のラーゲリ体験です。本来なら、どのような一篇の詩と向き合う時も、読者は何の先入観も持たず、まっさらな気持ちであるべきなのです。しかし、石原吉郎の詩を読むとき、どんなに先入観を持つまいとしても、詩の内容がたびたびそのことを連想させ、私の読みを邪魔します。
この詩においても、ここに登場する男から、どうしてもラーゲリで石原を監視する側を思い浮かべてしまいます。それがこの作品にとって幸せなことであるかどうか、わたしには判断できません。しかし、それならばと、そのような先入観を完全に拭い去った後にこの詩を読んだとして、完全にこれを理解できるかというと、それも疑問であると思えるのです。それはおそらく、先入観を持つことの責任のすべてが読者にあるのでなく、おそらく、石原自身に、「このような事実があったということを知った上で読んでもらいたい」という思いがどこかにあって、その思いのもとにこの作品は作られているのではないかと思えるのです。この傑作に対して、詩の完成度を疑う読者はいないかもしれません。言葉はあくまでも選ばれ、描写は美しく、詩の言葉としては文句のつけようがありません。しかし、わたしはあえて言いたいのです。この詩は一篇の詩として、自らの足で立ちえていないのではないかと。

(19)

今日という日のうた   石原吉郎

びんぼうすると
あちこちたたみがかゆくなる
むやみにつめが
切りたくなる やたらと
あつい茶がのみたくなるが
こざっぱりした太陽がしずむと
しう恥は首すじへかかる
手ぬぐいのようだ
あじさい色の靄のなかへ
帆柱のようにおしたてた
今日という日のおれの意思が
おし立てたなりで夕暮れても
絵皿のような薔薇の花は
空の一角にひらいたままだ
ああ今日という
日の舟ぞこへ蹴ちらかす
貝がらまじりの
諧ぎゃくのなかで
愛すべき祈りを
ゆっくりとひきおこす
なべや肌着や頬ずりへ懸けた
むしろのような夜(よる)のはての
のっぺらぼうの朝のために

書き写しながら、いまさらのように思うのは、石原吉郎というのは、いくらでも詩が出てくる人なのだなあ、ということです。それも、普通の人と違うのは、いくらでも出てくるその表現が、そのたびに新鮮な姿をしてわたし達の前に現れることです。99編の石原吉郎を読んだ後に、さらに読んだ1篇にも、わたしたちは石原吉郎に、飽きていないのです。そこが、並みの詩人との違いなのだと思います。わたしなど、最初の詩集を出版した後、もう自分の詩に飽きてしまい、自分の頭が思いつくことの限界にあきれ返るばかりでした。普通の詩人は、ひとつの個性にそれなりの大きさがあり、その個性の中で、うんざりしながら詩を書いているのです。しかし、どうも石原吉郎は違うようなのです。その個性の深さによってこの違いが出てくるのか、あるいは、その個性が、別の場所へ侵食してゆくから、この違いが出てくるのか、わたしにはわかりません。

わたしにとって、石原吉郎は、初期も、中期も、晩年も、いつでもすごいと、思えるのです。飽きないのです。詩の内容と形は変わってきても、いつも出てくる言葉に、驚き、感銘を受けてしまうのです。それはおそらく、萩原朔太郎の詩に感じるものと、同じなのです。「月に吠える」でも「氷島」でも、わたしには違いがないのです。いつも出てくる言葉に、驚き、感銘を受けてしまうのです。

この詩の内容は、読んでお分かりのように、「一日を自分なりにつっぱって生きたけれども、それに見合う収穫はなく、それでもあしたもがんばるぞ」という詩です。こんな健全な内容を、石原吉郎が書くとこうなってしまうのだというところを、楽しみましょう。

(20)

病気   石原吉郎

 病気というものを 私は知らずに来た その日上衣を脱いだとき 私は単純にそれが病気だと知ったのだ はるかなとおいその昔から 私は病気を脱いだり 着たりして来たのだ まさしく比喩ではなく。上着が病気なのではない 脱ぐこと そして着ることが病気なのだと。

修辞として、ということで何でもゆるされるのかもしれませんが、こんなに短い詩なのに、やはり首をかしげざるをえません。「病気を脱いだり、着たり」といったそのあとで、「上着が病気なのではない 脱ぐこと そして着ることが病気なのだ」というのは、やはりおかしい。もしそうなら、「上着を脱ぐことを脱いだり、上着を着ることを着たり」ということになるわけで、いくら現代詩とはいっても、それはちょっと無理かなと、思います。つまり、この詩で石原吉郎が言いたかったのは、そのような論理ではなくて、最後の、「上着が病気なのではない 脱ぐこと そして着ることが病気なのだと。」というところだけなのです。ここを、気がきいた理屈だと思ったのです。ですから、ここを面白いと思うかどうかで、この作品の命が決まってくるわけですが、それでも私は、はじめに述べた「論理的」でない部分が気持悪くて仕方がないのです。修辞とはいえ、なんでもありではなく、おそらく、石原吉郎の詩作に、もし「いい加減さ」があるとしたら、こんなところなのかなと、思うわけです。

(21)

一條   石原吉郎

万緑のなかをしもあゆむに耐えたのは いかなる朝を証しに置いてなのか 水は水 僧形(そうぎょう)のいわれを告げるかに 杖(じょう)は大路へたからかに鳴った 余念へついにまぎれがたく ひたすらなみどりへあゆみすてられて 一條の都は仰(の)けざまに晴れわたった

これは、なんときらびやかな石原吉郎の言葉の世界かと思います。何か、宝塚のレヴューを見るようです。きらきら光る着物をきた言葉たちの集まりです。この詩の言葉の意味を解釈すべきかどうかということさえ、迷います。言っているのは、「夏の朝、晴れた道を歩いた」ということだけです。それがこのような詩になってしまうのですから、思わずうなってしまいます。しかし、やはり、ずいぶんな飾り付けだなあとも、思います。

「万緑のなかをしも」とか「いわれを告げるかに」とか「余念へついにまぎれがたく」とか、「のけざまに晴れわたった」とか、どう考えても、何かに取り付かれているようにしか見えません。まあ、現代詩そのものが、何かに取り付かれているところで成り立っている世界ですから、それをそのまま見せているだけ、正直なのかもしれません。

確かに、これはこれで見事であると思います。読者は勝手ですから、日によって、気分によって、この詩に対していろいろなことを言います。しかし、ひとつだけ確実なことがあります。この詩を書いているときの石原吉郎は、さぞ、気分がよかっただろうということです。そしてその気分は、いつでも創作時に、彼を訪れるものであるのだろうと、思います。

(22)

棒をのんだ話    石原吉郎

うえからまっすぐ
おしこまれて
とんとん背なかを
たたかれたあとで
行ってしまえと
いうことだろうが
それでおしまいだと
おもうものか
なべかまをくつがえしたような
めったにないさびしさのなかで
こうしておれは
つっ立ったままだ
おしこんだ棒が
はみだしたうえを
とっくりのような雲がながれ
武者ぶるいのように
巨きな風が通りすぎる
棒をのんだやつと
のませたやつ
なっとくづくの
あいまいさのなかで
そこだけ なぐりとばしたように
はっきりしている
はっきりしているから
こうしてつっ立って
いるのだ

「棒をのんだ」となっていますが、注意すべきは、途中で、「のませたやつ」が出てくることです。つまり、「棒を自分の意思でのんだ」のではなく、「棒をのまされた」のです。あげくにきちんと棒が体の中に入ってゆくように、背中までたたかれているのです。ここまで書かれれば、これも、ラーゲリ体験と結び付けざるをえないでしょう。監視する側と、監視される側、ということです。

しかし、詩全体の雰囲気としては、「のませたやつ」の存在感はうすく、むしろ、情景としての広がりの印象のほうが強く出ています。また、棒をのむという行為の異様さが、詩を、収容所体験とは離れても、ひとつの作品として読みうるところへたどり着いています。

話は変わりますが、先日倒れたときに、棒ならぬ、胃カメラをその管とともに飲みました。その折は、もちろん立っていたわけではなく、ぶざまにベッドに横たわって異物をのまされたわけですが、もちろん口からはみだした管の上を、とっくりのような雲が流れていたわけではありません。それでも、そのときに感じた、自分の内側に触れられることの苦しさは、ひどい吐き気とともに、忘れることができません。あのときの吐き気とは、何を戻そうとして私を襲ったのかと、思います。幾度も背中をくねらせながら、自分を吐き出そうとする「くるしさ」は、どこか、「めったにないさびしさ」につながるものがあります。

「棒」がなにを象徴しているかは、自由に考えられてよいでしょう。「棒」を「さびしさとしての食物」と解釈し、だから「なべかまをくつがえしたようなさびしさ」を感じるのだというのは、こじ付けがすぎるでしょうか。たしかに「さびしさ」というのは、口から押し込まれる様子を考えますと、呼吸器よりも、消化器に関係があるのだなと思います。

(23)

本郷肴町    石原吉郎

おれが好きだというだけの町で
おれが好きだという数だけ
熱にうるんだ灯がともっても
風に あてどは
もうないのだ
おれが好きだというだけでは
低い家並は道へはせり出さぬ
おれが好きだというだけでは
人の出入りへ木洩れ日も落ちぬ
おれが好きだというだけでは
片側かげりの電車も走れまい
本郷肴町
屋根や柱や敷居の分際が
甲斐性ばかりでささえた破目板を
ひとつの町の
生涯へ踏み鳴らす
母音ばかりの口論の果ては
椀が性根を据えただけだ
するめのようなこわい掌(て)を振って
陸奥のおとこが立去って行くむこう
本郷肴町に
雪は降っているか

屈折した言い方ではありますが、はじめのほうには、おれがこの町を好きな理由がならべられています。いわく、おれがこの町をすきなのは (1)熱にうるんだ灯がともっていて (2)低い家並が道へせり出していて (3)人の出入りへ木洩れ日が落ちていて (4)片側かげりの電車が走っていて と、そのような理由からだということです。確かに、この一つ一つの説明は、しっとりとした日本の古い町並みを連想させます。陰影のくっきりとした影絵のような風景を連想させます。作者がこれらを好きな理由もわかります。そして、石原吉郎のこれらの描写が、いつもより常人の感覚に近いと思われるのは、具体的な地名が入っていて、否が応でも焦点が定まってしまうからでしょう。

後半は、その湿った日本家屋の中で、男女の喧嘩らしきものがあって、男が出てゆくということらしいのですが、「屋根や柱や敷居の分際が/甲斐性ばかりでささえた破目板を/ひとつの町の/生涯へ踏み鳴らす」とは、ただ破目板を踏んだだけなのに、いかにも石原吉郎らしい大仰さです。しかしこの大仰さにも、なにか、日本の情緒の味付けがあって、それなりに味わい深いと思います。この「陸奥のおとこ」が誰か特定の人物を指しているのか、あるいは、本郷肴町なる土地が実在するのか、いつもながら不勉強なわたしにはわかりません。ただ、「肴町」という名からも、最後に降る雪からも、適度な日本の湿り気が感じられる、落ち着いた作品であることは間違いありません。

(24)

のりおくれた天使    石原吉郎

電車にのりおくれた天使は
のりおくれたぶんだけ
神様のほうへ
ひきもどされた
電車にのりおくれた天使は
神様のまえでだまっていた
電車にのりおくれた天使を
神様がおこらずに
電車がおこった
電車にのりおくれた天使に
つぎの電車はこなかった

力を抜いて書かれた詩であると思います。字面を見ましても、「電車」と「神様」と「天使」の3種類の文字が目に飛び込んできます。読めば確かに、この3種類の関係が、「のりおくれた」という言葉のつながりで、語られています。それだけの詩で、語るほどのことはないのですが、それにしても「電車がおこった」の行は、この詩人としては、かなりひどい部類のものです。元来が凝り性の石原吉郎が、ここで表現にまったく凝らなかったのは、この詩をあくまでも「軽く」おさめたかったのでしょう。そのようなときには、いつも、実にうまく「軽さ」をまとめあげる石原ですが、この詩は明らかに、その意図とは違って、失敗しています。「電車がおこって、つぎの電車はこなかった、」では、さすがにわたしも情けない気持ちになります。この詩に意味があるとしたら、石原吉郎でさえ、このようなことがあるということを、教えてくれていることです。

(25)

結実期    石原吉郎

どいつもこいつも
自分の目方にたいくつして
たいくつのあまりまたもや
目方をふやしはじめるのだ
ぶらんとした充実のま下では
もう何年も前から
瘤のすりきれた駱駝がいて
涙があふれてくるのを
一心に待っている

無花果をみのらせたのは
どんな強情な愛なのだ

この詩を打ち込みながら考えたのは、単純に、「すごいな、かなわないな」ということです。すぐれた詩を読むとき、それに感動をするとともに、多少の嫉妬もします。なぜこんなに凄いのかと、羨みの感情が出ています。しかし、ここまで自分の書くものと差があると、嫉妬など、持つべくもありません。

ここで言う「目方」というのは、ただ単に体重のことを言っているわけではありません。自己そのもの、自我そのものを表現していると考えてよいと思います。その言わんとしていることは、自分が停滞することの罪深さとでも言いましょうか。しかし、そのような解釈は確かに意味がありません。むしろ、「自分の目方にたいくつして」という言い回しに、感心していた方が、詩の読み方としては正しいでしょう。むろん、「目方」は「たいくつ」するものではありません。おそらく、はじめは「自分の目方に嫌気がさして」というような発想だったのではないかと思います。その「嫌気がさして」のところを言い換えようと、ああだこうだ考えているうちに、「目方にたいくつ」という絶妙の組み合わせに思いついたのでしょう。その思いつけるレベルが、詩人として高級かどうかを決めているのです。

さらに、「ぶらんとした充実のま下では」とか「瘤のすりきれた駱駝」なんていうのも、すごい。やっぱり、こんな詩人、そんなにはいないのだと、思います。

この詩が言っているのは、「充実することの寂しさ」です。これはまさしく、石原吉郎という充実した詩の才能を持った自身の寂しさでもありましょう。充実の只中で、涙を流しているのは、詩の核心をつかみ、これから書かれるであろう多くの傑作詩篇を予想しながら、その行為の、それだけでしかありえぬことの、寂しさでもあるのではないかと、思うのです。

それにしても、自分の才能の充実がさびしいとは、うらやましい限りです。わたしが泣きたくなるのは……。ここから先は、言わずともお分かりになるだろうと思います。

(26)

風と結婚式     石原吉郎

ぼくらは 高原から
ぼくらの夏へ帰って来たが
死は こののちにも
ぼくらをおもい
つづけるだろう
ぼくらは 風に
自由だったが
儀式はこののちにも
ぼくらにまとい
つづけるだろう
忘れてはいけないのだ
どこかで ぼくらが
厳粛だったことを
あかるい儀式の窓では
樹木が 風に
もだえており
街路で そのとき犬が
打たれていた
古い大きな
時計台のま下までも
風は 未来へ
聞くものだ!
ぼくらは にぎやかに
街路をまがり
黒い未来へ
唐突に匂って行く

この詩を読み始めたときに、なぜか立原道造を思い出したのは、「高原」とか「夏」という言葉のもつさわやかさと、「こののちにも」という言い回しからであったろうと思います。途中から、立原道造から外れてはゆくのですが、それでもどこか、レトリックに向かう姿勢が、石原吉郎と立原道造には共通するものがあります。

この詩を読むとき、これまでわたしは、「結婚式」というところを軽く読んでおり、これは、ラーゲリの記憶から開放されない著者の心のうちを描いたものかと、思っていました。

「死」と「高原」から帰って来たが、未だにそれらにとらわれているというところは、まさしくそういった読みを許すものです。また、「もだえている」のは「風」ではなく、「打たれていた」のは「犬」ではなく、作者自身であるのだろうと解釈していました。しかし、それにしてもなぜ、「風に 自由だった」というような言い回しをするのだろうと、気にはなっていました。風という、開放へ向かうべき言葉が、束縛を象徴するかのように使われているのは、詩として齟齬をきたしているのではないかと、思っていました。

しかし、今回読み直して、そうではなく、もっと素直に、これは「結婚式」から帰った二人の詩であるということに、気がつきました。

しかし、であるならばなぜ、高原の結婚式から帰ったばかりの幸せな二人が、「死は こののちにも/ぼくらをおもい/つづけるだろう」などという言葉でむかえられなければならないのでしょうか。単に、幸せな状況に浮かれていてはいけない、外の世界には、まだまだ不幸が充満していると、自分たちを律しているのでしょうか。

結婚式から帰ってきたばかりで、新郎はそのように思い、新婦に語ったのでしょうか。

それはそうだけれども、と、私などは思うのですが、どうでしょう。

(27)

馬と暴動   石原吉郎

われらのうちを
二頭の馬がはしるとき
二頭の間隙を
一頭の馬がはしる
われらが暴動におもむくとき
われらは その
一頭の馬とともにはしる
われらと暴動におもむくのは
その一頭の馬であって
その両側の
二頭の馬ではない
ゆえにわれらがたちどまるとき
われらをそとへ
かけぬけるのは
その一頭の馬であって
その両側の
二頭の馬ではない
われらのうちを
二人の盗賊がはしるとき
二人の間隙を
一人の盗賊がはしる
われらのうちを
ふたつの空洞がはしるとき
ふたつの間隙を
さらにひとつの空洞がはしる
われらと暴動におもむくのは
その最後の盗賊と
その最後の空洞である

石原吉郎が詩を感じたのは、「馬」でも「暴動」でもなく、「間隙」なのだということがわかります。そして、このようなものの見方、感じ方というのは、この詩だけではなく、石原吉郎の多くの詩に共通して見られます。そのものに対してではなく、そのものの「関係」や「位置」に目がとまる。どうしてそうなのかと、わたしは考えます。あるいは、そのような感じ方というのは、石原吉郎が初めてだったのか、あるいは、そのような感覚に先人がいたのかと、考えます。岩成達也とも、高野喜久雄ともちがうような気がします。

馬と馬との間を「間」という馬が走るのだという発想は、単に「いつもとは違った見方」というだけでなく、動きがあり、スピード感があり、美しくも感じられます。「間隙」のたてがみを想像するのは、素敵なことです。「間隙」の細く伸びやかな脚を想像するのも、心地よいことです。

さらにこの詩は、「馬」から「盗賊」さらに「空洞」へと進められます。「盗賊」は、詩を具体へ近づけ、「空洞」は詩を、抽象へ近づけます。とくに、「空洞」と「空洞」の間に「間隙」という「空洞」があるのだという考え方は面白く、「馬」と「馬」の間のその奥の、二重の「間隙」というふうに感じられます。

詩そのものの意味を探るよりも、このような思考方法と、「間隙」がなびかせる美しいたてがみを感じれば、それで十分と、思います。

(28)

月明

かなしいかな月明なのだ
桶の底まで月明なのだ
夜陰に乗じた馬の
蹄のうらまで月明なのだ
藁の人形を大地へ伏せて
細い刃もので
まふたつにしても
影が左右にあるかぎりは
かなしいかな
月明なのだ
箸のひとつが
たおれても月明なのだ
音のひとつの
果てまでも月明なのだ

最初の2行の視覚的なあざやかさに驚かされます。桶の底の少し水のたまった様子や、その周りの湿った板のそり具合、また、その桶の置いてある水場の暗さ、はてはその周りの風景や行き交う人々までが、読者の目の前に見えてきます。たったひとこと、「桶の底まで月明なのだ」で、私たちはすでに石原吉郎にとらわれています。そして、この視覚的な提示の仕方は、俳句のようであるとも、思われます。この詩は、読みようによっては、いくつかの俳句をつなげたようなものであると、思われます。

藁を刃物で切って、その分かれた左右のそれぞれに影があるから、その影を作り出す光のもとを目で追って、顔をあげ、はるか向こうに月があるのだと、手元から上空へ向かう視線の動きは見事です。藁の一本一本に、ほそく光と影が領域を分けている様子を、思わず首をそちらへ向けて、覗き込んでしまいそうです。

最後には、音までも、光と影に分けています。おそらく、箸が倒れる乾いた音は光であり、その音が止んだ静けさは、影なのでしょう。

光がなり鳴りだします。また、静けさが響き始めます。

(29)

銃声    石原吉郎

秋立つ日
銃声のようにめぐり会った
あるいは銃声そのものに
会ったといっていい
銃声であったから それは
秋の深まる方(かた)へ向けて
谺となって
はしりぬけた
私の視線の
つかのまを断ちおとした
その条痕のかがやきのゆえに
その一日を
私は信じぬいたのだ

「秋立つ日」はともかくとして、「銃声のようにめぐり会った」のあとに「あるいは銃声そのものに/会ったといっていい」と続きますが、どっちなんだという感想です。「銃声に会った」のを「銃声のように会った」とは、もちろん一般的には、言わないものです。つまり、どちらでもよいということなのです。銃声など、存在する必要もないのです。詩人はただ、「銃声」ということばのもつ手触りを提示したかったのです。あるいは、「のように」ということばのもつ手触りを、提示したかったのです。「のように」という言葉にもとめられているのは、その本来の意味よりも、その本来の意味がかもし出す雰囲気なのです。

詩人が、「その一日を/私は信じぬ」くことができたのは、上記のようなレトリックの見事さに、感動できるが故であると、わたしはこの詩を読みます。「銃声」そのものからこの解答を導くのは、さすがに無理があると思い、「谺」を、さらには「条痕のかがやき」を持ってきたのでしょう。いうまでもありませんが、同様に詩人が言いたかったのは、「つかのまを断ちおとした」というような、この世では、なんの役にも立たない、言い回しそのものなのです。

くどいようですが、「つかのまを断ちおとした/その条痕のかがやきのゆえに」詩人は生を信じたのではなく、そのような言葉の言い回しができるゆえに、生を信じたのです。そんなことと、思われるかもしれませんが、私には、実にうらやましいことなのです。

(30)

予感   石原吉郎

まこと この眼窩のなかには
秋が
抗議のない季節が
しかと住んでおり
僕はしばらくもそれから
眼をはなすことはできない
この眼窩の背後の
あらわな頭蓋の空洞を
はるかにこえて
羊群と行きかう雲の
声もない風景と季節の
めぐりかわりはあるが
しかし ここにえぐられて
しかとある季節には
永遠に変りはない
やがて 僕は
眼をそらすであろう
そのとき 僕の眼のなかへ
まっさきに何がなだれて来るか
凝視することのゆえに
ますます孤独な
その視界のなかへ

この詩を読むと、どうしても村上春樹を思い出してしまいます。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の、「世界の終わり」の方です。あの小説の中でも、頭蓋が出てきて、その頭蓋をなぜることによって、閉じ込められていた想念を解き放っていました。この詩では、その直後に「羊」が出てくるので、なおさら村上春樹を思ってしまうのでしょう。まさか、村上春樹が、この詩を読んで小説のきっかけにしたとは思いませんが、もしそうであったとしたら、素敵なことです。まあ、物書きとして選ばれたものたちは、同じようなところへ行き着くのだと、思うほうが自然でしょう。

(31)

黄色い時間    石原吉郎

黄色い市場(いちば)のうえで
ゆすぶられる時間を見るのです
黄色い光のなかの
よごれた象を見るのです
すべての牝犬(めいぬ)の乳房の
まだらな皮肉を見るのです
夕ぐれの生き物のなかの
赤い壁画を見るのです
おとしたハンカチでさえ
そのたびにかえってくる
ふしぎなポケットを見るのです
すべての指がうしなった
記憶の指輪をさがすのです

この詩は、一読、何を言っているのかわかりません。わからないのではじめから見てみましょう。「黄色い市場(いちば)のうえで/ゆすぶられる時間を見るのです」で始まります。ここで出てくる黄色という色には、その明るい色のイメージよりも、不吉さを感じます。黄砂、黄巾賊というようなイメージです。土の色の黄色です。ゆすぶられる時間、と言うのですから、時間を停滞させる物がある、平穏な日常をじゃまするものがある、という意味でしょうか。「黄色い光のなかの/よごれた象を見るのです」と、ここでも黄色は鮮やかさを示すことなく「よごれた」色として、負のイメージとして出てきます。「すべての牝犬(めいぬ)の乳房の/まだらな皮肉を見るのです」ときては、私にはもうお手上げです。「乳房」が「時間」に対応し、それを否定するものとして、「ゆすぶられる」に「まだらな」が来ているのだろうと思うのですが、「皮肉」の意味しているところがわかりません。「まだら」の流れとして置かれた言葉でしょうか。さらに、「夕ぐれの生き物のなかの/赤い壁画を見るのです」とは、何を言わんとしているのでしょうか。土の黄色に対して、火の赤が出てきたようには想像できるのですが、「生き物」と「壁画」をどのような関係で捉えようとしているのかが、わかりません。最後に、失ったものが戻ってくるという描写が二つあって、詩は終わります。依然としてよくわかりません。「見るのです」と言う言葉が幾度も続くように、ただイメージとして見ていけばよいということでしょうか。「記憶の指輪」をさがすより、わたしはこの詩の手がかりを、さらに、探したく。

(32)

波止場で    石原吉郎

波止場は
肺病やみの爪のように
まっ黒な海を
ひょろひょろとわたって行くのだ
もう誰も
そんな希望を持たなくなり
船を待つものが
一人もなくなった時にも
波止場は湿疹のように
侵食をやめはしない
こいつは船をさがしているのだ
こいつは船をさがしているのだ
動くものが
動かなくなったので
動かないものが
動こうとしているのだ
やがて 波止場の先端は
さがしあてるだろう
どこかの島で坐礁して
なまけている船を
そのとき汽笛が
鳴りわたるだろう
もうとっくに船賃を
のみはたしている
僕らを迎えにくるために

わかりやすい詩です。船を待つものがいなくなり、船が来ることもなくなった波止場が、自分から船を求めて動き出すという詩です。波止場は擬人化されていて、海をわたっていったり、船をさがしたりします。つまり、本来、動くものでないものが動くというところが、この詩の鑑賞点です。海をさまよう波止場というものを思い浮かべればよいのです。海といい、船といい、視覚的にはかなり印象深い言葉ですが、なぜかこの詩では、その魅力を伝えることに成功していません。単なる言葉の上を上滑りしている擬人化であり、逆説であります。それがこの詩の弱みといえるでしょう。さらに、詩の途中で駄目押しのように「動くものが/動かなくなったので/動かないものが/動こうとしているのだ」と、ていねいに解説しているのは、石原吉郎にとっては珍しいことです。なぜこれほどの説明を詩の中に書いてしまったのか、というのがこの詩の謎です。

それにしても、読者はわがままです。前回の詩のように、手がかりのない詩にはさらなる説明を求め、今日の詩のように、丁寧に解説されている詩には、それを慎んでもらいたくなるのです。問題なのは、必ずしもそれが、作品の方に責任があるわけではないことです。

(33)

悪意      石原吉郎
  異教徒の祈りから

主よ あなたは悪意を
お持ちです
そして 主よ私も
悪意をもっております
人間であることが
そのままに私の悪意です
神であることが
ついにあなたの悪意で
あるように
あなたと私の悪意のほかに
もう信ずるものがなくなった
この秩序のなかで
申しぶんのない
善意の嘔吐のなかで
では 永遠にふたつの悪意を
向きあわせて
しまいましょう
あなたがあなたであるために
私があなたに
まぎれないために
あなたの悪意からついに
目をそらさぬために
悪意がいっそう深い
問いであるために
そして またこれらの
たしかな不和のあいだで
やがて灼熱してゆく
星雲のように
さらにたしかな悪意と
恐怖の可能性がありますなら
主よ それを
信仰とお呼び下さい

このように正面から信仰をうたっている作品を語るのは、困難です。詩への接近の方法がひとつだけではないからです。それにしても、これだけあからさまに信仰を題材としているというのも、めずらしいことです。通常、もっとも言いたいことというのは、何かにそっと隠すようにして、提示するものだからです。そんなことは、石原吉郎ともあろう人が知らないわけがありません。それならば、考えられる可能性はふたつあります。(1)このテーマに限って、その原則をわすれさせてしまうものが石原吉郎の中にあったのか。(2)この作品で書きたかったのは、実は信仰についてではなかったのか。

自分が生きることの不当性を、怒りとともに神に問い、神の存在そのものを疑うという逆説的な信じかたは、石原吉郎らしいと言えば、言えるでしょう。そしてこのような接近の仕方は、「神」に対してだけではなく、「詩」に対しても、同様になされています。おそらく、「詩」と「信仰」は、石原吉郎にあっては、まったく同じものだったのでしょう。

(34)

石    石原吉郎
1949年 カラガンダ獄中

怒り耐へたる夜もすがら
灯(ひ)をかざしては
眼を閉ずる
ああ日もすがら
夜もすがら
怒りの膝を抱(いだ)きしめ
しのびて出づる
うすわらひ
冬ともなれば
石となりぬる

めずらしく文語調の作品です。そうか、私たちは口語のほかに、このような言語も持っていたのかと、あらためて思います。かなり初期の作品かと思います。それだけ内容はストレートです。言いたいことを、そのまま言っています。それでも詩としての効果は十分に感じられます。とくに、「怒り」からでてくる「うすわらひ」とは、じつに凄みがあります。この凄みが、その後のあらゆる作品の根底に流れているのだろうと、思います。この凄みの眼光に見据えられて、私たちは詩を、読まされてきたのかと、思います。

カラガンダとは、当時のソ連、現在のカザフスタン中東部にある鉱工業都市です。1949年といえば、私が生まれる前年、戦後すでに4年が経過しています。その頃にまだ、石原吉郎はカラガンダの獄にいた、ということです。口にすればそれだけのことですが、思えばあらためて、すごいことです。

「夜もすがら」とは、もちろん「夜通し」という意味。「道すがら」と言う言葉も、「道の途中」という意味でよく使います。しかし、「日もすがら」という言葉は聞きなれません。一日中たえまなく、という意味なのでしょうが。獄の内にあって、昼がとほうもなく長く感じられたゆえに、このような表現が使われたのでしょう。

ともあれ、ここからあの膨大な量の詩が始まったのかと思うと、感慨深いものがあります。

(35)

雲      石原吉郎
1949年 パム

ここに来てわれさびし
われまたさびし
風よ脊柱(せきちゅう)をめぐれ
雲よ頭蓋にとどまれ
ここに来てわれさびし
さびしともさびし
われ生くるゆえに

これも昨日の詩と同じで1949年のものです。昨日の詩と場所が変わっているのは、収容所を移されたのでしょうか。たしかに、生きているからさびしいのです。生きているということを毎日認識せざるをえない状況にあったから、さびしいのです。

私たちがさびしいと思うのは、自身の生存が確実であるということを確かめた後の、自分の確かさに乗った上での、さびしさです。しかしこの詩の「さびしい」は、自分の確かさそのものがぐらついている、揺れのさびしさです。それだけに単純であり、さらに深い考察は必要ないように思います。言い換えれば、考察などというあまったれた言葉の入り込む余地のない、まっとうな「さびしさ」なのです。

「さびしともさびし」とは、「さびしくてしかたがない」とでも言いましょうか。単なる強調と考えてよいと思います。あるいは、こうした言葉のリズムを、つくりたかったのでしょう。

最後の「われ生くるゆえに」というのは、あまりにあたりまえで、必要の無い説明のようですが、その当たり前さが、有無を言わせぬ迫力を持って、迫ってきます。

風と脊柱、雲と頭蓋という関係も、当たり前に受け入れられます。この詩のすべては、奇をてらうことの無い、当たりまえの、詩です。この詩が出来てから56年、しかし今や、この「当たり前」こそが、新鮮に感じられます。

(36)

物質   石原吉郎

悲しみはかたい物質だ
そのひびきを呼びさますため
かならず石斧でうて
その厚みは手づかみでとらえ
遠雷のようにひびくものへ
はるかにその
重みを移せ
悲しみはかたい物質だ
剛直な肩だけが
その重さに拮抗する
拮抗せよ
絶えず拮抗することが
素手で悲しみを
受けとめる途だ

言うまでもなく、私たちの身体は「かたいもの」と「やわらかいもの」で、できています。つまり「かたい骨」と「やわらかい肉」です。おのおのはまったく違う現われかたをしていますが、それが組み合わさって、「私」が出来ています。

その組み合わせとは、(第一段階)、身体全体では、やわらかいもの(皮膚)の中に、硬いもの(骨)を入れています。足や腕、耳は、その一段階の包装でできています。しかし、さらにその奥で(第二段階)硬いもの(頭蓋骨)の中にやわらかいもの(脳)を入れています。2段階の包装です。心臓も、脳ほどではないにしても、2段階の包装です。心臓とおなじ胴体の中にあっても、消化器は、一段階の包装です。

時々考えるのは、「かなしみ」というのは、その「やわらかい」ところで感じるのか、「かたい」ところで感じるのか、ということです。石原吉郎風に考えるならば、その「あいだ」がずれることによって、悲しみがせりあがってくるのかも、しれません。

この詩では「悲しみ」を、硬くて、重くて、厚いものとしてとらえています。視覚的に想像されるのは、厚い鉄板です。「悲しみ」とは、冷たくて厚い鉄板のようだと、言っているのです。その鉄板に「拮抗」しろと言っているわけですから、「悲しみ」を受けいれる主体の側も、硬くて重くて厚くなるべきだと、言っているのです。そうであってこそ、一人前に「悲しむ」資格があるのだと。

であるならやはり、「悲しみ」とは、内臓にも脳にも心臓にも、あるわけではなく、砕かれるまでの頭蓋に、じっと埋め込まれているのではないでしょうか。

(37)

カリノフスキイははたらいたか    石原吉郎

カリノフスキイは
馬のようにはたらいた
というのはうそだ
馬のようにはたらいたのは
マリノフスキイで
すくなくとも
カリノフスキイではない
マリノフスキイが馬のように
はたらいているあいだじゅう
カリノフスキイは
だまっていた だまって
空を見あげていた
カリノフスキイと
マリノフフスキイのあいだには
ロシアの馬が
一とういて ロシアの空を
見あげていた
まちがえるなよ
馬のようにはたらいたのは
マリノフスキイで
ロシアの馬でも
カリノフスキイでも
なかったのだ

読んでいて、馬鹿にされたような気のする詩です。また、石原吉郎が書いたのでなければ、見過ごされるか、相手にされない詩にもなりかねません。たしかに、この屁理屈は面白いのですが、かといってどこが面白いのかはっきりとせず、はじめにも言いましたが、すっとぼけていて、馬鹿にされたような気がします。

当時のロシアを書いているわけですから、労働者(マリノフスキイ)と支配階級(カリノフスキイ)の対立を書いているように見えます。しかし、それにしては、書かれている内容が直接的で、これでは告発詩としてはあまりに単純すぎます。それを逆手にとったというのも、うがちすぎでしょう。

ここでいうカリノフスキイとは、単に修辞上の名前ではなく、あきらかに、歴史上の実在の人物を念頭に入れています。しかしだからといって、一篇の詩に、そのような事実の裏づけがあることが、作品の価値を高めることにはなりません。むしろそれは、弱みにも、なりえます。

そうではなく、どちらかというと「カリノフスキイ」も、言葉遊びのうちのひとつの駒としてとらえた方が、詩として、まっとうな受け止められかたなのではないかと、思います。

途中、「カリノフスキイと/マリノフフスキイのあいだには/ロシアの馬が/一とういて」というところでは、また、石原吉郎独特の、「すきまの哲学」が展開されるのかと期待しましたが、なんのことはない、その馬も、「ロシアの空を/見あげていた」だけでした。

個人的には、マリノフスキイとカリノフスキイを、適当な日本人の名前に入れ替えても読めるような、依然として読者を馬鹿にしたような詩として、この詩を読んでいたい気持ちがします。

(38)

ひざ    石原吉郎

笛は ふたつに
折ってみるものだ
笛はふたつに
ひざへへし折って
声の切れめを
たしかめてから
くの字のすじみちを
指でたどり
声の出口を
ふさいでみて
出口がふいに
むなしいことを
指よりさきに
ひざが知るものだ

こうした手で囲えるような小さな世界で、自分の好きに出来る言葉を組み合わせてはほどき、ほどいては組み合わせる詩を、基本的には私は好きです。「笛」と「ひざ」が二本の色の違う紐のように縒り合わされてゆきます。「折る」のは「ひざ」であって「笛」ではありません。だから、「笛は折るものだ」と言い放ちます。また、折れ曲がった「笛」から、声に切れ目ができ、音にくの字の「すじみち」ができるという思考の流れは、自然です。

ただ、わたしにはどうしても、最後の「出口」のところが、とらえられません。幾度読んでも、具体的なイメージが湧いてきません。それはおそらく、私の読みだけのせいではなく、詩の欠けた部分にもよるのではないかと思います。

この詩は、最初の「笛は ふたつに/折ってみるものだ」の発想から一気に書かれたものです。「折る」から「ひざ」へ行き、「ひざ」から「折り曲げる」へ行ったところまではよしとして、そこから先が、どうも、安易なまとめに入ってしまったのではないかと思われます。

そのまとめの、どこが、わたしに言いがかりを付けられることになったのか、いくら考えても、わかりません。おそらく、ほんのちょっとした「創作のずれ」なのです。ぴったりと、こないのです。それは実に、ほんの少しのずれであって、そのずれこそが、創作の謎、そのものであろうというところまでは、わかるのですが。

(39)

皿   石原吉郎

霧のよどみへ落ちくぼんだ
祈るような位置へ
食卓を置く
濡れてかがやく皿をのせる
どうぞという声は
遠雷のむこう
もてなすものも 客も見えぬ
無人の礼節へ
きわまって行くように
主客の位置へ 皿を両分して
ひとすじの亀裂がゆっくりと
走る

一読、こんなことも、りっぱな一篇の詩につくりあげてしまうのだなあという感想です。石原吉郎の腕っ節にたいする驚きです。いつもながら大仰な言い回しが続きます。「霧のよどみへ落ちくぼんだ/祈るような位置」とは、いったいどこなのだと思います。どこか神聖な、山奥であるように読み取れます。そこへ食卓を置くというのですが、「どうぞという声は/遠雷のむこう/もてなすものも 客も見えぬ」というのですから、そこには誰もいないようです。では誰が食卓を置いたのかと思います。仙人でも出てきそうです。
つまり、この食卓には、人は必要ではなく、その食事の場の「礼節」だけが、必要なのです。実際には、「礼節」というものは、人に備わっているものなのですが、それがきわまって、人を脱ぎ捨てたところで、「礼節」だけが食卓に、残っているのです。
「ひとすじの亀裂がゆっくりと/走る」とは、主人と客を分ける、分け目のことです。ここでも、もてなす方と、もてなされる方の、実体は必要ではなく、双方の境目が重要だとみなされています。

礼節といい、分け目といい、肉体を備えていない概念にひきつけられる向きは、石原吉郎の詩に、よく見られますが、もっと単純に言えば、単なる「擬人化」と受け止めてもかまわないと思います。

「礼節」という人や、「分け目」という人を、思い浮かべればいいのです。

(40)

橋があった話    石原吉郎

こういってもいいのだ
ここに橋があった と
橋があって
そこに岸があった と
岸があって
そこに水がながれたと
いいかたはそうで
ないかもしれぬ だが
ほんとうはこうなのだ
橋はしいられたのではない
はじめにあったのだ
そのはじめに
自由にあったのだ
それが橋なのだと

この詩を読みながら、やはりわたしは、ものの考え方の多くを石原吉郎から学んできたのだということに、気がつきます。

まず「水」が流れ、「水」の両側に「岸」が現われ、その「岸」に「橋」が架かります。それが普通の進み方です。これを、逆向きに辿ったのがこの詩です。「橋」がまずこの世にあったのだと。そこに「岸」があらわれ、最後に「水」が流れたのだと。

通常の考え方を、さかさまに考えてみるというのは、詩に限らず、多くの創作物に見られる手法です。その限りにおいては、この詩も、考え方としては、めずらしいものではありません。
しかし、詩にとって大切なのは、そのように逆向きに物事の流れをたどる、その考え方にあるのではありません。そのたどった具体物が、どれだけ説得力を持ちうるか、というところにあるのです。

石原吉郎の、石原吉郎たるゆえんは、この詩ではおそらく、「しいられたのではない」と、「自由にあったのだ」の部分にあります。これによってこの詩は、単なる逆向きの思考方法から、それだけではなく、「実感」としての厚みを持つことができています。そしてこの、「実感の厚み」を持つことが出来ないから、わたしは石原吉郎になりたくても、なれないのです。

(41)

位置    石原吉郎

しずかな肩には
声だけがならぶのでない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓(たわ)み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である

いよいよ、有名な詩の登場です。石原吉郎といえば、この詩と「夜の招待」を、私は思いうかべます。ただ、いくら有名な詩といっても、谷川俊太郎の詩のように、テレビコマーシャルにつかわれるわけではありません。やはり、詩の世界の中での、つまり「詩おたく」の世界でのことです。仮に、この詩がテレビにいきなり流れてきたらどうでしょう。コーヒーのコマーシャルにはもちろん使えませんが、何かのメッセージを伝えるということであれば、使ってつかえないこともありません。しかし、朝の食卓に、テレビからいきなり、「その右でも おそらく/そのひだりでもない」などという言葉が流れてきたら、「どっちなんだ」といらいらする人は、少なからずいるでしょう。

この詩では、対峙すべき敵は正面にいません。自分と並んで、同じ方向を向いています。そこからしてすでに、「敵」というものの、一筋縄ではいかない関係を暗示させます。

さきほどの、「その右でも おそらく/そのひだりでもない」のあとで、ではどうなんだという問いに対する答えは、たしかに用意されています。「無防備の空がついに撓(たわ)み/正午の弓となる位置」と、あります。

よくわからない位置です。しかし美しく、感じられます。つまり、よくわからなくても、美しい位置にいろということなのです。この「美しい」というのは、当然、勇敢さをも含んでいるものと思われます。

正面から敵と対峙する以外に、私たちは敵に対して肩をならべ、美しく対峙することができる、ということを言っているのでしょう。

ともかく、全行、緊張感に満ちた、風格を備えた詩篇です。

(42)

条件   石原吉郎

条件を出す 蝙蝠の耳から
落日の噴水まで
条件によって
おれたちは起き伏しし
条件によって
一挙に掃蕩されるが
最も苛酷な条件は
なおひとつあり そして
ひとつあるだけだ
おれに求めて得られぬもの
鼻のような耳
手のような足
条件のなかであつく
息づいているこの日と
さらにそのつぎの日のために
だから おれたちは
立ちどまるのだ
血のように 不意に
頬と空とへのぼってくる
あついかがやいたものへ
懸命にかたむきながら

この詩は、個別の言葉の関係についての疑問を、封じてしまう力を持っています。有無をいわせず、「蝙蝠」や「噴水」を、「条件」に結び付けてしまいます。どのような関係として結び付けているのか、説明の出来ない、しかし確実に納得してしまう、そのようなむすびつきなのです。

言うまでもなくこれも、石原吉郎の代表作のうちの一篇です。有名な詩です。それにしても奇跡のような詩です。「条件」という言葉を発信基地にして、好きなようにイメージと、言葉を遊ばせます。見事です。これだけの日本語を、このように組み合わせることが出来るということは、まさしく奇跡です。意味を問うことも、言葉を分解することも、できません。台無しになります。これらの言葉は、このようにしてしか使われるべきではなく、批評の入り込む隙間を、ふさいでいます。「蝙蝠の耳から/落日の噴水まで」条件を出されて、わたしに何が言えるでしょうか。わけのわからぬ美しさに、涙が出そうです。詩は、こんなことも可能なのだという感銘を受けます。何の説明も出来ません。ただただ「頬と空とへのぼってくる/あついかがやいたものへ」私は、「懸命にかたむ」いて行くばかりです。

(43)

支配   石原吉郎

斧の
ひと振りよりとおくへ
敵を想定するな
のばした腕の四十インチむこう
きみの目測は
そこまででいい
拳の位置まではきみが思考し
そこからさきは
斧が思考する
斧のひと振りが
ななめに切り取った
馬腹のような
おもい空間は
きみが苛酷に支配せねばならぬ
支配することの
それが意味だ

この詩の中心は、「斧が思考する」という言い回しです。これは、斧が責任を持つ領域、というような意味に使われています。つまり、私は、私の腕の届く範囲の責任は持つが、その外は、「外」の責任であり、わたしには関係がないということを言っています。「外」を、「斧」に代表させています。「外」という限りのない空間のとらえどころのないものを「斧」という限りのある形に言い換えています。見事な喩えであり、強引な省略です。

石原吉郎の詩にあっては、この、強引な省略がそのまま詩情を獲得することになります。省略の目の向け先が、詩的だからです。それにしても、「自分の範囲、領域」を「思考」に結びつけるその発想の飛び方には驚かされます。このような発想に出会うたびに、奇跡のような思いがします。確かに、わたしはわたしの領域の責任を持っており、その責任の持ち方というのは、実に、自身を保つ「思考」であり、「思想」であるわけです。言われてみれば、そうなのです。なぜこのようなことが、わたしたちには発想されず、この詩人だけに、与えられるのでしょうか。神は才能の割り振りに、不公平と思います。

(44)

詩が     石原吉郎

詩がおれを書きすてる日が
かならずある
おぼえておけ
いちじくがいちじくの枝にみのり
おれがただ
おれにみのりつぐ日のことだ
その日のために なお
おれへかさねる何があるか
着物のような
木の葉のような――
詩が おれを
容赦なくやぶり去る日のために
だからいいというのだ
砲座にとどまっても
だからこういうのだ
殺到する荒野が
おれへ行きづまる日のために
だから いま
どのような備えもしてはならぬ
どのような日の
備えもしてはならぬと

石原吉郎だからこその、悩みでしょう、才能に満ち、いくらでもすぐれた詩ができてしまう、そのような状態にある人の、恐怖でしょう。いくらでもすぐれた詩ができてしまう状態というのは、どういった状態なのかと、想像してみますが、とても考えが及びません。うつむけば、詩ができ、仰向けば、詩ができ、ため息をつけば、詩ができ、寝返りをうてば、詩ができる。歩を、一歩進めれば、一篇のすぐれた詩ができ、次の一歩で、別のすぐれた詩が、出来上がる。そのような状態というのは、どういった心持なのでしょう。

身を動かせば、詩がこぼれる、それをこの詩では、「おれにみのりつぐ」といいます、あるいは、「おれへ行きづまる」といいます。うらやましいかぎりです。

しかし、そのような状態が失われる日がそのうちに来るのではないかと、詩人は恐れます。書けなくなる日が来るのではないかと。その日のために、「どのような備えもしてはならぬ」というのです。当たり前といえば、あたりまえです。体いっぱいに詩の詰まった人が、その体の、どこに、なんの備えができるというのでしょうか。

(45)

納得    石原吉郎

わかったな それが
納得したということだ
旗のようなもので
あるかもしれぬ
おしつめた息のようなもので
あるかもしれぬ
旗のようなものであるとき
商人は風と
峻別されるだろう
おしつめた
息のようなものであるときは
ききとりうるかぎりの
小さな声を待てばいいのだ
あるいは樽のようなもので
あるかもしれぬ
根拠のようなもので
あるかもしれぬ
目をふいに下に向け
かたくなな顎を
ゆっくりと落とす
死が前にいても
馬車が前にいても
納得したと それは
いうことだ
革くさい理由をどさりと投げ
老人は嗚咽し
少年は放尿する
うずくまるにせよ
立ち去るにせよ
ひげだらけの弁明は
そこで終るのだ

思うのは、喩えとは何かということです。喩えるものと、喩えられるものの、区別がなくされたときに、説明されるべき言葉が、時として説明をするための言葉よりも、平易になることも、ありうるわけです。

形あるものと、概念的なものが、意識的に混ぜてあります。あるいは、そのような識別さえなされずに、喩えはただ、石原吉郎の頭脳に、浮かんだものから順番に書き付けられてゆきます。その順番が、それなりに意味のあるもののように感じられるから、凄いのです。

「納得」を説明するのに使われた言葉は、「旗」、「息」、「商人」、「風」、「声」、「樽」、「根拠」、「顎」、「死」、「馬車」、さらに、「革」、「理由」、最後に、「ひげ」、「弁明」となります。

例えば最後のところで、「ひげだらけの弁明」とありますが、これは「弁明ばかりのひげ」といっても、なんら差し支えないのです。要はその言葉が、詩人に選ばれたということが、大切なのです。それが、喩える側であっても、喩えられる側であっても、なんら変わりはないのです。

「旗」や「風」や「馬車」と同じ地平で「根拠」や「理由」や「弁明」が語られます。概念、というものの尊厳を見事に取り払われ、無残にも形あるものと、同等に扱われます。

これが石原吉郎の、わかりにくさであり、言い換えれば、すさまじく単純で、わかりやすいところでも、あるのです。

(46)

手紙    石原吉郎

いわば未来をうしろ手にして
読み終えたその手紙を
五月の陽のひとかげりへ
かさねあわせては
さらに読み終えた
つたええぬものを
なおもつたえるかに
陽はその位置で
よこざまにあふれた
教訓のままかがやいてある
五月のひろごりの
そのみどりを
いちまいの大きさで
ふせぎながら
私は
その手紙を読み終えた

これはまた、何と美しい詩かと思います。わたしは今、これを、日曜日の遅い午前、マクドナルドの二階席の窓際で、外の風景を見ながら書いています。あらゆるものが明るさを発散しています。テーブルの上には、ひそと置かれたビッグマックと、この詩一篇があります。気分はのびやかで、とりあえず今日という日はまだたっぷりあまっています。このような瞬間のために、詩は本来、あるのであろうと思います。コーヒーと、詩からわきだしてくる日差しはあたたかく、その日差しが作り出す影さえ、影としての輝きを示しているような、そのような瞬間です。

ときとして石原吉郎の詩に見られる、観念的な言葉から強引に詩を作り出す息苦しさがないのは、扱っている素材の明るさだけによるものではなく、その明るさが、素材からというよりも、石原吉郎が本来持っているものから出てきているためではないかと、思われます。

ともあれ、くだくだ言うよりも、休日はこのような詩を読んで、わたしたちがここにあることのちいさな驚きを、確認しましょう。「五月の陽のひとかげりへ/かさねあわせては」「つたええぬものを/なおもつたえるかに」「いちまいの大きさで/ふせぎながら」次々に繰り出されるこれら奇跡的な表現に感謝しながら、わたしたちは、「よこざまにあふれ」てみましょう。

(47)

事実    石原吉郎

そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
見ろ
手がある
足がある
うすらわらいさえしている
見たものは
見たといえ
けたたましく
コップを踏みつぶし
ドアをおしあけては
足ばやに消えて行く 無数の
屈辱の背なかのうえへ
ぴったりおかれた
厚い手のひら
どこへ逃げて行くのだ
やつらが ひとりのこらず
消えてなくなっても
そこにある
そこにそうしてある
罰を忘れられた罪人のように
見ろ
足がある
手がある
そうしてうすらわらいまでしている

石原吉郎というのは、実に「逆説」の好きな詩人です。また一方、「それがそうであること」の「再確認」の好きな詩人でもあります。コーヒーを前に、それがコーヒーであることを確認したがります。「前」ということを、確認したがります。この世のだめを、ひとつひとつ押してゆきます。一見、「逆説」と、この「事実の再確認」は全くあい入れないように見えます。しかし、この二つは思いのほか近い関係にあります。「逆説」が行き過ぎたところに、「そのものの再確認」があるのだと思います。

この詩に特徴的なのは、「怒り」です。それも、すさまじい怒りが読み取れます。自分が怒っているときよりも、人が怒っているのを見ているほうが、心は揺れます。その怒りが、正当なものであっても、「怒り」というものが、通常の状態の外に、あるものだからです。本来、その人ではない部分を、見せ付けられることは、つらいことです。石原吉郎にあっては、もちろんこの「怒り」は、初期の詩篇群すべての底を流れているものです。ですから、ことさらこの詩の「怒り」に驚く必要はないのですが、それでもこの詩では、いつもよりその「怒り」が、水面へ浮き上がってきているような気がします。読んでいて、少しつらくなります。

(48)

見る    石原吉郎

矢となって行くかぼそさを
たばねるだけの
ことではないだろう
たばねあわせて
やすらぐことでも
ないだろう
風景はたぶん
見捨てるだけしか
ないものだ
見捨てて行くそのうしろで
見すてるものを
見すてているものが
あるはずだ
煙突のかぼそさ
壁のうしろの
壁のようなもの
てのひらを押し伏せるように
陽はその全体へ
おりてくる
私は風景にまぎれない
ゆっくりと全体を
片側へねじり
矢のようなものの
ひとすじひとすじを
その爪さきへ
おしもどすだけだ
もういちど風景を
ふりかえる
風景のなかのさらに
ゆるやかな風景のようなもの
矢のなかの 矢に
いまもなりきれぬものを

内容の意味を考えなくても、視覚的な世界を思い描くだけで、心地よくなります。とくに、「私は風景にまぎれない/ゆっくりと全体を/片側へねじり/矢のようなものの/ひとすじひとすじを/その爪さきへ/おしもどすだけだ」のところは、風景という遠景の視点から、爪さきを覗き込む近景への動きが鮮やかです。

おそらく、書きはじめのところは通常の心持だったのが、書いているうちに、獲得した視覚的な驚きに、石原吉郎自身が、酔ってしまったのだろうと思います。題に「見る」とあるのも、そのような意味で、的を射ているのではないかと思います。

しかし、そこはそこ、石原吉郎の「視覚」的なイメージは、やはり、現実の世界から来たものではなく、あくまでも「言葉」としての風景から来たものです。「見捨てるだけしか/ないものだ/見捨てて行くそのうしろで/見すてるものを/見すてているものが」と、「見捨てる」をこれだけたたみかけるように言い募っているときには、詩人の頭の中は、視覚的な風景などもう、どうでもいいのです。ことばの作り上げる面白さ、それだけで十分だという思いに、満たされているのです。

言葉一つから、湧き出してくるひとつの風景や世界。それは、かならずしも今住んでいるこの世界である必要はなく、詩人が作り上げることのできる、まっさらな世界です。

言うまでもなく、その世界では、「矢」は違った「矢」であり、「片側」の意味するところも、この世界の「片側」とは、違う「片側」なのです。

(49)

Gethsemane     石原吉郎

にんげんの耳の高さに
その耳を据え
肩の高さにその肩を据えた
鉄と無花果がしたたる空間で
林立する空壷の口もとまでが
彼をかぎっている夜の深さだ
名づけうる暗黒が彼に
兵士のように
すぐれた姿勢をあたえた
夕暮れから夜明けまで
皿は適確にくばられて行き
夜はおもおもしく
盛られつづける
酒が盛られるにせよ
血が盛られるにせよ
そこで盛られるのは
彼自身でなければならぬ
雄牛の背のような
偉大な静寂のなかで
彼はうずくまり
また立ちあがり
たしかな四隅へ火の釘を打った
ひとつの釘へは
笞を懸け
ひとつの釘へは
祈りを懸け
ひとつの釘へは
みずからを懸け
ひとつの釘へは
最後の時刻を懸け
椅子と食卓があるだけの夜を
世界が耐えるのにまかせた
暗黒のなかでそれは記され
一切の所在は
そこで嗅ぎとられる
その夜を唯一の
時刻と呼ぶのはただしい
しかし完結と悲惨が
ひとしく祝福であるとき
もはやいかなる夜も
この夜のようであってはならない

詩の、一行の長さ、というよりも一行の短さに、どのような意味があるのかということを考えます。石原吉郎の影響もあると思うのですが、私の詩も、かなり短い部類にはいります。わたしが詩の行を短くするのは、思考の区切り目がそのように私に来る、ということもありますが、もっと大きな理由は、読者の根気を信じていないからです。私自身が、詩の読者として、だらだらと長い行の詩を読みきるのが苦痛だからです。せっかく詩を読もうなどという、殊勝な心持になった人に、すぐに光っているところを見せてあげないと、逃げていってしまうという恐れがあるからです。

とはいうものの、もちろん問題は、その短い一行に書かれる内容なのであり、短ければ短いほど、一語一語にかかる責任は、重くなってくるわけです。それに見合う重さを、この詩を見ていただければわかるように、石原吉郎の詩は、十分に持ち合わせています。ひとことひとことが、一人前に立ち上がっている姿には、頭がさがるばかりです。

「鉄と無花果がしたたる空間」
「林立する空壷の口もと」
「彼をかぎっている夜の深さ」
「皿は適確にくばられて行き」
「夜はおもおもしく/盛られつづける」
「たしかな四隅へ火の釘を打った」
「ひとつの釘へは/みずからを懸け」
「完結と悲惨が/ひとしく祝福であるとき」

これら短い言い放ちが、そのひとことひとことが、一篇ずつの詩になりうるほどの重みを持ってわたしたちに与えられることに、わたしは、現代詩というものの、作品の贅沢さを、考えないわけにはいきません。その贅沢さは、句にも、歌にも、到底たどり着けないものでは、ないのかと思います。

(50)

足あと     石原吉郎

死んだけもののなかの
死んだけものの土地を
ひとすじの足あとが
あるいて行く 死んだ
けものの足あとで

死んだけものの
わき腹へふれた
生きたけものの土地のなかへ
まぎれもなく足あとは
つづいている 死んだ
けものの足あとのままで

詩は、大きく二つの連に分かれています。最初の連の中で、普通と違うのは、(1)「足あとが/あるいて行く」という表現です。通常、歩くものがあって、その歩行のあとに足あとがつくのですが、ここでは、「足あとが」歩いてゆくとなっています。足あとがあるいて、そこから上へ、すこしずつその足あとの持ち主が盛り上がって行く構造です。

さらに、もうひとつ普通でないのが、(2)「あるいて行く 死んだ/けものの足あとで」のところです。死んだらもちろん歩けないわけで、歩けなければ足あとなど、どこにもつくわけはないのです。つまり、この足あとは、単なる足あとを意味しているのではなく、「死ぬということ」そのものを意味しているのです。黄泉の国への歩行、と言ってしまえばそれまでですが、それゆえに、足あとだけが生きており、足あとの持ち主は、足あとに履かれる存在でしかないのです。

第2連では、生きている人たちの世界が出てきます。死んだあとの実体のない足あとは、生きている人たちの世界にも関係があり、その影響も「足あと」として残るのだと言っています。当然、石原吉郎が言いたかったのはこの部分です。

そしてその「生」がどこにあるかといいますと、「死」のわき腹に触れるようにしてある、というのです。すぐ近くに、触れることのできる範囲に、「死」と「生」はあるのだということですが、しかし、おそらくその位置関係など、石原吉郎にとってはどうでもよいのです。

大切なのは、「わき腹」という言葉の産み出す手触りと、その手触りで、「死」と「生」を捕らえなおすということなのです。言い方を変えるならば、石原吉郎にとってこの詩に必要なのは、「死」でも「生」でもなく、「わき腹」なのです。そして「わき腹」を語ることが、「死」と「生」を直接語るよりも、結果として最もよく「死」と「生」を語ることになり、そのような道筋をたどることを、「詩」というのです。

(51)

葬式列車     石原吉郎

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを

石原吉郎の詩としては、かなり素直な作り方をされた作品であると思います。

おそらく詩作品というのは、二人の伝えるべき相手がいるのではないかと思います。ひとりは読者であり、もうひとりは読者としての作者です。

作者自身へ伝えるとは、妙な言い方かもしれませんが、詩というのは、作っているときにその内容を、作者自身が理解しているものではありません。つくりながら、納得し、さらにつくり、納得し、という作業を続けます。

読者を他者に設定するか、自分に設定するか、その比重のかけ方によって、作品の書き方は、おのずと変わってきます。この作品においては、あきらかに石原吉郎は、読者としての作者、という立場を押さえています。なんとか、読者にそのまま伝えたいという気持ちが強かったためだろうと思います。

それだけ、書かれている内容そのものに重みがあり、その重みをそのまま受け渡すだけで、十分であろうと思われているのです。余分なレトリックが邪魔になるほどの内実、というものがあるのだということが、わかります。

とはいうものの、適度なレトリックは、しっかりと内実を引き立てます。

「ただ いつも右側は真昼で/左側は真夜中のふしぎな国を」
「みんなずっと生きているのだが/それでいて汽車のなかは/どこでも屍臭がたちこめている」
「まだすこしずつは/飲んだり食ったりしているが/もう尻のあたりがすきとおって/消えかけている奴さえいる」など、など。

これらはたしかに、普通の詩人にとっては、思う限りの全力の表現ですが、石原吉郎にとっては、極力腕力を抑えた、抑制の表現でしかないのです。そしてその抑制は、間違いなく企まれたものであり、その企みは、企まれたとおりに私たちを打ちます。

(52)

背後     石原吉郎

きみの右手が
おれのひだりを打つとき
おれの右手は
きみのひだり手をつかむ
打つものと
打たれるものが向きあうとき
左右は明確に
逆転する
わかったな それが
敵であるための必要にして
十分な条件だ
そのことを確認して
きみは
ふりむいて きみの
背後を打て

他者とはつまるところ、自分自身であるということでしょうか。「敵」といい得るほどのものとは、自分と伍すだけのものを持っているものであると。自分の右手がそのものの左手と、自分の左手がそのものの右手とつながることのできるほどの力量を持つものしか、「敵」とは言いえぬものであると。そしてそのものとは、他者でありながら、行き着いた先の自分自身ではないのかということです。

「きみは/ふりむいて きみの/背後を打て」とあるように、石原吉郎が戦ってきた相手とは、ラーゲリでも、日本の詩人たちでも、家人でもなく、生涯、自分自身だったのかもしれません。

日本の詩人たちに限って言うなら、たしかに、自分を越える詩を書いているものを、石原吉郎は、同時代に見出すことはなかっただろうと思います。ライバルもなく、見回せばへたくそな詩人たちばかりの中で、常に向き合っていたのは自分の才能と、才能を具現した作品だけだったのだろうと、思います。

すぐれた詩を書き、その詩が優れていると読者に認められ、しかし詩人は、その後に繋がるものを何も見出せなかったのであろうと思います。

ゆきつくところへ行ってしまった人にしか、その寂しさは、わからないのかもしれません。

(53)

デメトリアーデは死んだが  石原吉郎
  1950年ザバイカルの徒刑地で

デメトリアーデは死んだが
五人の男が それを見ていた
五人の国籍はべつべつだが
してはならない顔つきは
アルメニアでも 日本でも
ポーランドだっておんなじことだ
生きのこった!
というやくざなよろこびを
ずしりとした厚みで
はねかえすような胸は
もはや君のでも おれのものでも
なかったろう
ザバイカルでもとびぬけて
いこじで 実直なあか松だが
追いすがってまで その男を
おしつぶす理由はなかったのだ
執拗(しうね)く追いつめられて
ふりむいたはずみに
誰かが仕掛けたとしか思えない
奇妙な罠に足をとられ
真っ白に凍った空から
ぶらんとたれさがった
綱のようなものを ちからいっぱい
ひきちぎったまま
地ひびき打って デメトリアーデが
めりこんだ地点から
モスクワまでは四〇〇〇キロ
5ヵ年計画の 最後の冬だ

おぼえがあるか その男だ
デ・メ・ト・リ・アーデ
よしんば名前があったにしろ
名前があったというだけが
抹殺された理由ではない
もとはルーマニアでも
ふきだしたいほど やたらにいた
古い近衛兵の一人だが
もっともらしく
ひげは立てていても
秩序というものには
まだ納得したことの ない男だ
靴と唾(つばき)のあとだらけの
斑(まだら)な凍土(ツンドラ)にねじ伏せられ
つま先だけは 正直に
地面の方を向いていたが
肩と額はきりたつように
空へむかってのけぞったのも
あながちそいつの胴なかが
ちぎれただけとは
いいきれまい

デメトリアーデは死んだが
死ななくたって おんなじことだ
唐がらしよりほかに
あかいものを知らぬ愚直な国で
両手いっぱい 裸の風を
扼殺するようなかなしみは
どのみちだれにも
かかわりはないのだ
無口で貧乏な警備兵(カンボーイ)が
正直一途に空へうちあげる
白く凍った銃声の下で
さいごに おれたちは
手套(ルカビッツ)をはめる 二度と
その指を かぞえられぬために
言葉すくなに おれたちは
帽子(シャブカ)をかぶる 二度と
その髪の毛を
かぞえられないために

この詩を前にして、わたしずっと、詩を語ることの困難さを感じていました。それはなぜかと、考えていました。ここ3日ほども、朝と夜に、この詩を読んでいます。語り口も平易で、寓話を語るようなやさしいリズムを伴っています。一人の囚人が、理不尽にも殺されてゆくさまが、その残酷な殺され方にもかかわらず、冬の日の澄み切った空のように、くっきりと描かれています。どの比喩もみごとであり、伝えるものはすべて伝えられるように、丁寧に読者に差し出されています。十全たる傑作であり、言いがかりのつけようがありません。

詩とは、その内容と形式を、このように整え、過不足のない思いを満たして、明晰な意識の基に作られるべきだと、教えられているようです。

「しずかにうたいあげる」。そんな印象を持つ、一篇です。伝えるべき何物かが詩人の頭の中にあって、それを作品に仕上げるときの手さばきが、非常に気になる一篇です。

作品としての高い完成度は疑いがないものの、と、ここまで書いてきて自分が感じていた疑問に気づくのです。ではこの詩は、いったい何のために書かれたのだろうと。

一見、これほど「書かれる意味」が明瞭な詩はないのかもしれません。しかし、だからこそわたしはそのことを考えてしまうのかもしれません。

「書かれる意味」がこれほど明瞭なこの詩は、なぜ、書かれねばならなかったのかと。

(54)

しずかな日に    石原吉郎

きょうは柔和なものの
なかへ素足で立て
蜜蜂のおきてにしたがえ
はるかに乳牛の道をよぎり
そのわき腹へ
掌(て)をあてて還れ
封蝋の火照りから
やわらかに頬を剥がせ
いまは苦役をねがうな
たしかな回廊を
ひとつだけめぐり
血にあふれた壷を
祈る手つきで置いて
南へ向けて
さらにしずかにせよ

「封蝋」というのは、松脂(まつやに)・シェラック・蜜蝋などを混合した蝋状の物質で、瓶の栓や手紙の封じ目などの密封に用いるものです。温めて使うものなのでしょう。だから「火照り」ということなのだと思います。

「きょうは柔和なものの/なかへ素足で立て」といい、「いまは苦役をねがうな」というのですから、これは、一種の猶予を意味しているのかと思います。「一刻の猶予も許されない」の「猶予」です。この詩においては、一刻の猶予も許されない状況ではあるけれども、今は、「やわらかに」「しずかに」身を処すことを勧めています。しかし、この詩のなかに流れる切羽詰ったものは、そのような「やわらかさ」を決して許してはいません。

命令口調ではありますが、これは、自身へ向けた言葉でしょう。「きょうは休もうよ」と自身を説得しているのです。それにしても、自身の肩を持って、休もうよと説得されても、こんなに緊張感のある説得では、休もうなどという気持ちにはなれないでしょう。

「いまは苦役をねがうな」という、その「いまは」というところが問題なのです。期限付きの安息などというものは、そんなものはいらない、と、生き物としてわたしは思うのです。その「期限」が、むしろわたしたちを苦しめるのだと。

とはいうものの、すべての「猶予」というのは、本来そのようなものであります。「猶予」の後があるからこそ、「猶予」なのです。

ともかく、期限のつかない休息が、結局は最後に与えられることはわかっているのですから、生きている間にそのようなものを求めること自体が、どだい無理なのでしょう。

(55)

その朝サマルカンドでは     石原吉郎

火つけ
いんばい
ひとごろし いちばん
かぞえやすい方から
かぞえて行って
ちょうど 五十八ばんめに
その条項がある
<ソビエット国家への反逆>
そこまで来れば
あとは 確率と
乱数表のもんだいだ
サマルカンドでは その朝
地震があったというが
アルマ・アタでは りんご園に
かり出された十五人が
りんご園からよびかえされて
じょう談のように署名を終えた
起訴されたのは十三人
あとの二人は 証人だ
そのまた一人が 最後の証人で
とどのつまりは 自分の
証人にも立たねばならぬ
アレクサンドル・セルゲーエウィチ・
プーシュキンのように
もみあげの長い軍曹(セルジャント)が
ためいきまじりで
指紋をとったあとで
こめかみをこづいて いったものだ
<フイヨ・ペデシャット・オーセミ!>
   ―――五十八条はさいなんさ!―――
まったくのはなし
サマルカンドの市場(バザール)では
棚という棚が ずりおちて
きうりや とうもろこしが
道にあふれたが
それでも とおいアルマ・アタでは
夜あけと 夜あけを
すりあわすように なんと
しあわせな時刻だろうか
のこった一人の 証人でさえ
夕ぐれどきには 姿を消した
絵はがきのようにうつくしく
夜あけから夜あけへ
はりわたす アンテナのような
天山(アラ・タウ)の屋根の上なら
インドの空も見えるだろうし
ふるい言い伝えの絹糸街道の
さきをたどれば ローマにも
とどくだろう
買いもの袋をさげたなりで
気さくな十五人が 姿を消すと
町には あたたかく
あかりがともり
とおいモスクワから
三日ぶんの真実(プラウダ)が
とどけられる
まったくのはなし サマルカンドでは
その朝 地震があったのだし
アルマ・アタの町からは
十五人の若者(シノク)が
消えたのだ!

過不足のない描写です。<ソビエット国家への反逆>の罪に問われて、いなくなった15人の若者に触発されての詩です。いなくなったというのが、刑務所に入れられたのか、追放されたのか、処刑されたのかは、明確には書かれていませんが、おそらく詩に張り詰めている緊張感から考えて、処刑、ということなのでしょう。そのことに対して、激しい怒りをもって書かれているわけではありません。それは、この若者たちにとっても、その罰に見合うほどの罪を犯しているという認識がないからなのではないかと思います。すべては静かに、日常の出来事のようにおこなわれています。何事もなかったかのように、理不尽なことが身にふりかかり、そのまま処刑されてゆくようです。理由の軽さと、その理由からもたらされた出来事の重さが、ひどくアンバランスな状態で、読者にも、登場人物にも、提示されているのです。

だからすべては、明るいそらのもとで、あっけらかんと行われているようです。石原吉郎の詩も、その「あっけらかん」にちょうど見合うものとして書かれています。あっけらかんという、ひろびろと大きな空間が詩のなかに広げられ、その中ではとんでもなく美しい詩が、残酷な現実の上に、出来上がっているのです。

(56)

フェルナンデス     石原吉郎

フェルナンデスと
呼ぶのはただしい
寺院の壁の しずかな
くぼみをそう名づけた
ひとりの男が壁にもたれ
あたたかなくぼみを
のこして去った
  <フェルナンデス>
しかられたこどもが
目を伏せて立つほどの
しずかなくぼみは
いまもそう呼ばれる
ある日やさしく壁にもたれ
男は口を 閉じて去った
  <フェルナンデス>
しかられたこどもよ
空をめぐり
墓標をめぐり終えたとき
私をそう呼べ
私はそこに立ったのだ

実体そのものを歌うよりも、それを取り巻くものを歌う方が重みを感じることになる、それを証明するような詩です。「ひとりの男」を描くために、その男の寄りかかったあとに残る「くぼみ」を描きます。さらにそのくぼみの大きさを表現するために引き出されてきた、比喩としての「こども」を、そのまま実体に被せてしまいます。「実」のための「虚」が、いつのまにか「実」よりも重く描かれている、それもこのように破綻なく、それと気付かせられることもなく成し遂げられていることに、あらためて石原吉郎のすごさを感じないわけにはいきません。

この世には、比喩であることからまぬがれるものなどどこにもないのだということを、感じさせる詩です。

(57)

便り     石原吉郎

ひかりに透かした
封筒のなかの
まぶたがあからむ
ほどの闇へ
遠出の風がちいさくなだれこみ
ふくらみかけた
闇のなかの
かすかな消息を
底へ
追いつめて
頭をなでてから
こわい目でいった

<便りを はやく
あげなさい>

これはまた、なんともかわいらしい世界です。手のひらの中に収まってしまいそうな、目を凝らして見つめていたいような詩です。ひとつひとつの言葉を、少しずつ視覚的なものに移しかえて、絵本のページをめくるように、読んでゆきたい詩です。

「まぶたがあからむほどの」というのは、恋情をもった相手からの手紙を暗示しているのでしょうか。そしてこの「闇」は、その恋心の行く末と、自分の気持ちの持って行き所の定まらないことを意味しているようです。

「遠出の風」という言い方は、この手紙がそれなりの距離を持っていることを意味しています。「遠出」という言葉は、風がはるばるやってきたという感じがして、さわやかです。

風が封筒の中に入り込み、便箋を揺らすというのは、素敵です。もちろん揺れているのは、便箋だけではなくて、書き手のココロと、文字です。

頭をなでてから、「便りを はやく、あげなさい」とこわい目でいわれたって、そんなに簡単に書けるものではありません。それほど気にかかる人なら、はやく返事を書いたほうがいいよと、言ってくれているのでしょうが、でも、気にかかるからこそ、返事を送るのは恐いし、どう書いていいのかが、わからないのです。書きたい人にこそ書けない。そんなものです。

(58)

夏を惜しむうた     石原吉郎

ならべて置くだけでいいか
ふくろのようなものや
桶のようなもの
九月となれば
雲はもう乞食なのだ
不信心なやつには
いっておけ
たましいは 食卓に
つかないだろうと
はげしい目でわたしたものは
誰が拒んでも
たしかにわたしたのだ
さようならよ
監獄のような諧謔とともに
またしても俺にだけは
容赦のない日本(にっぽん)の夏よ

夏が去って、失ったものを惜しむ気持ちを歌っているという意味では、通常の感傷と同じです。しかし、そこはそこ、石原吉郎の歌い方は若干、人とは違います。地平線に向かって、ここからずっと遠くまで並べるのは、「ふくろ」と「桶」です。これら「うつわ」の中身は夏とともに去っていったのでしょう。また、「雲はもう乞食なのだ」というのは、雲が、夏の盛りの、誰もが見あげた入道雲の勢いを失い、今や、誰の関心も引かない、何ものも持つことのない、「乞食」に成り果てた雲でしかないということです。「たましい」でさえ食卓から離れ、食事をするのはこれも、中身の抜けた人間です。

それにしても、夏から秋への季節の移り変わりを、「はげしい目でわたしたものは/誰が拒んでも/たしかにわたしたのだ」とは、いつもながらの大げさな言い方です。夏の、はげしい目で渡された季節を、秋はおそろしい思いで受け取ったことでしょう。

「監獄のような諧謔」が、ここで出てくることによって、この去った夏が、ただの夏ではなく、収容所のつらい夏であったことがわかります。それも冗談のようにして、入れられてしまった場所であることが。

最後の「またしても俺にだけは/容赦のない日本(にっぽん)の夏よ」というところで、「にっぽん」と、季節にとらわれた国の名を、半濁音で発音して詩は終わります。その半濁音の国の無責任さが、作者を監獄に入れたのだと、この詩が糾弾しているのかどうかは、石原吉郎に聞いてみなければわかりません。

(59)

さびしいと いま    石原吉郎

さびしいと いま
いったろう ひげだらけの
その土塀にぴったり
おしつけたその背の
その すぐうしろで
さびしいと いま
いったろう
そこだけが けものの
腹のようにあたたかく
手ばなしの影ばかりが
せつなくおりかさなって
いるあたりで
背なかあわせの 奇妙な
にくしみのあいだで
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいるのだ
いった口と
聞いた耳とのあいだで
おもいもかけぬ
蓋がもちあがり
冗談のように あつい湯が
ふきこぼれる
あわててとびのくのは
土塀や おれの勝手だが
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいる以上
あのしいの木も
とちの木も
日ぐれもみずうみも
そっくりおれのものだ

思えば、「さびしい」などという言葉は、時折心の中で思いこそすれ、口に出してはめったに言わないものです。この詩の中でそんな言葉を実際に口に出しているのは、どうも小さな子供ではなく、人生もだいぶ経験を積んだ、背中の広い男のようです。野太い声で、「さびしい」と言い、それを、その人とかかわりの深い人に聞かれたのです。しかし、「さびしいといま いったろう」なんて、男が男に言う状況は、やはり考えずらく、おそらくこれは、言ったほうも聞かれたほうも、同一人物、石原吉郎自身なのではないかと思います。そうであるならば、「手ばなしの影ばかりが おりかさなって」というのは、幾重にも自分が自分に降りてゆく図であり、「背なかあわせの 奇妙な/にくしみ」とは、自分で自分の背中にもたれかかるような感情を表しているのではないかと、思います。

「さびしい」とひとこと言っただけで、おそらく石原吉郎には、いくらでも比喩や風景が思いつくのです。それゆえ、書きすぎたかなと思うところもあります。「おもいもかけぬ/蓋がもちあがり」まではまだしも、「あつい湯が/ふきこぼれる」ときては、やはり筆が滑ったとしか思えません。当人もそれは気づいていて、「冗談のように」という一語を挟んではいますが、それでもこの行を削除するまでには、いかなかったようです。「ふきこぼれた」のは、「湯」ではなく、書きすぎの「兪」だったのでしょう。

それでも、石原吉郎が、「さびしい」とか「かなしい」と言うと、それだけで詩の中に美しい夕日が広がってゆきます。この詩では、最後のところで、「日ぐれ」と「みずうみ」を登場させていますが、たしかに「日ぐれ」も「みずうみ」も、その姿のまま、確実に石原吉郎の中に、あります。

(60)

酒がのみたい夜    石原吉郎

酒がのみたい夜は
酒だけでない
未来も罪障へも
口をつけたいのだ
日のあけくれへ
うずくまる腰や
夕暮れとともにしずむ肩
酒がのみたいやつを
しっかりと砲座に据え
行動をその片側へ
たきぎのように一挙に積みあげる
夜がこないと
いうことの意味だ
酒がのみたい夜はそれだけでも
時刻は巨きな
枡のようだ
血の出るほど打たれた頬が
そこでも ここでも
まだほてっているのに
林立するうなじばかりが
まっさおな夜明けを
まちのぞむのだ
酒がのみたい夜は
青銅の指がたまねぎを剥き
着物のように着る夜も
ぬぐ夜も
工兵のようにふしあわせに
真夜中の大地を掘りかえして
夜明けは だれの
ぶどうのひとふさだ

まあ、酒を飲む人というのはみな、おとなであるわけですから、ジュースを飲みたいという欲求とは、おのずから違ってくるわけです。生きているその過程を酒に紛らわしている、というか、飲めば思いは越し方行末にさまよってしまうのは、当然といえば、当然のことです。それを「未来も罪障へも/口をつけたいのだ」と言い切るところが、石原吉郎のテクニックであり、見事なところでもあるわけです。

「酒がのみたいやつを/しっかりと砲座に据え」というのは、今夜はとことん飲むぞという決意であり、「行動をその片側へ/たきぎのように一挙に積みあげる/夜がこないと/いうことの意味だ」というのは、だからもう今夜は何もしないという宣言です。そういってしまうと、なんと大げさな言い方かと思いますが、それをおかしく感じさせないところに、石原吉郎の有無を言わせぬ生真面目さがあるのだと思います。

ここで飲む酒は、まちがいなく一人の酒です。あるいは、自分の中のもう一人と飲む酒です。全体のトーンは、罪障などという言葉が入っているために、陰鬱としていますが、よく読むと、まったくの暗闇ではなく、未来の光も仄見えてはいます。そこがこの詩人の強いところです。どれだけ暗いものを書いても、どこかで自分を救う部分を持っているのです。

「青銅の指が」のあとは、解釈の難しいところです。「着物のように」何を着るのだろう、ぬぐのだろうと、思います。ともかく、「夜明け」と「ぶどうのひとふさ」で、適度な重量の明るみを与えてくれて、詩は見事に、終ります。

(61)

泣いてわたる橋      石原吉郎

三つの橋まで
泣いてわたる
泣いてわたって
それでも橋だから
橋から橋へ声をかけて
霧へ埋ずめて
わたる橋も
霜夜の声を重ねられて
岸を沈めてわたる橋も
羽虫が翔(た)つように
わっと泣いて
声でえぐってわたる橋も
橋と言えずに橋を指して
十字に架けても
それでも橋だから
泣いてわたって
それでも橋だから
三つの橋まで
泣いてわたる
四つの橋まで
泣いてわたる

橋を泣きながら渡るというのは、言うまでもなく、生きてゆくことそのことを言っています。橋から連想されるイメージに重ねて、自分が顔を覆うようにして過してきた生き方をそこに置いて、詩にしているわけです。理屈としてはそうなのですが、そんなことよりも、詩を読むとは、具体的に「三つの橋まで/泣いてわたる」という出だしにぐっと来るかどうか、なのです。わたしは間違いなくぐっときて、そのまま石原吉郎のイメージに乗せられてしまうわけです。

「三つの橋まで」の、三と言う数字が人生のなにか大きな節目の数を表しているのかどうか、分かりませんが、たしかに二では少ないし、四では焦点がぼやけてしまいます。やはり「泣いてわたる橋」は、三つ目がふさわしいのでしょう。さらに「みっつ」という言葉の響きの引っかかりも、悲しみにつまずいているようで、とてもふさわしく感じられます。

ただおとなしく渡ればいいものを、「霧へ埋め」られたり、両方の「岸を沈め」られたり、「泣き声でえぐられたり」、さらには十文字に架けられたりと、橋にとってはさんざんですが、それもこれも渡る人の「思いの丈」を表すためですから、仕方がないのでしょう。もっとも、これ以上橋に手を加えたら、詩の実感が失われてしまいます。その、寸前でやめているのは、石原吉郎の手際のよさといえると思います。

最後に「四つの橋まで/泣いてわたる」の「四つ」は、それでも引き続く悲しみを意味するためにも、必要だったのではないかと思います。

それにしても生きるとは、いつか自分が泣き止むことを、待ちつづけることなのでしょうか。いくつ目の、橋で。

(62)

生涯・2     石原吉郎

うつむいて
めしをくっているおんなに
まためしのはなしを
することはない
めしをくいおわって
顔をあげたおとこに
それでもめしのはなしを
することはない
めしをくっている
おんなの生涯は
めしをくいおわった
おとこの生涯だ
暮れのこる庇を
やさしげにつらね
やがては それが
ひくくなるところから
およそ生涯と
いうものははじまるが
めしをくうことへ
とめどなくあふれて行く
私語の密度や足首の深さ
儀式めく想念を
うちかえしうちかえして
めしをくうことの
はるかな果て
肩のようなものを
かたむけあって
ともしびのようにうかぶ顔は
もはや安堵の霧のようなものに
ふかくまみれている

物を食べることにたいするこだわりは、石原吉郎に限らず、どのような表現者にもあります。しかし石原吉郎にとっては、ものを口にするという行為が、即、「淋しさ」につながっており、重要な詩の要素のひとつになっています。ここでは「くう」という投げやりな、汚い言葉が多用されています。もちろん裕福で上品な家庭ではなく、貧しく、日々食べてゆくことに汲々としている人々の生活から、生きるということの根源を見つめています。

魅力的な書き出しに続く、「暮れのこる庇を/やさしげにつらね」のところは、物静かでやさしさに満ち、すきな部分です。「やがては それが/ひくくなるところから/およそ生涯と/いうものははじまるが」。おそらく低くなるのは、庇ばかりではありません。読者の姿勢やまなざしまでもが、低く、この生活をあたたかく覗き込もうとするのです。

通常「とめどなくあふれて行く」のは、「密度」や「深さ」ではなく、「涙」です。つまり「私語の密度」も「足首の深さ」も、その生活の低さの位置で、泣き声をたて、湿っているのです。

「肩のようなものを/かたむけあって」と、再びいきるものの、つらくてやるせないもたれかかりが表現されます。

「安堵」という語で締めくくるまでもなく、ここにあるのは、貧しさにどっぷりとつかっても尚、生きることに充足しているおとこと、おんなの姿です。

こう、ありたく。

(63)

居直りりんご     石原吉郎

ひとつだけあとへ
とりのこされ
りんごは ちいさく
居直ってみた
りんごが一個で
居直っても
どうなるものかと
かんがえたが
それほどりんごは
気がよわくて
それほどこころ細かったから
やっぱり居直ることにして
あたりをぐるっと
見まわしてから
たたみのへりまで
ころげて行って
これでもかとちいさく
居直ってやった

有名な詩です。この詩は、もしかしたら以前にすでに取り上げているかもしれません。石原吉郎には、時々こういう「ほんわかした」世界を描くことがあって、「りんご」や「ジャガイモ」や「木」の、柔らかい世界を描かせると、とてもうまく、もしかしたらこちらの世界のほうが、石原吉郎の中心なのではないかと思うことがあります。もっとも、石原吉郎がこういった感じの作品ばかり書いていたとしたら、この詩の受け止め方も、おのずと変わってくるとは思いますが。

「居直る」とは「急に態度を変える。不利の立場にある者が、急に脅すような強い態度に出る」という意味ですから、とうぜんその態度は体で表現するのです。たとえば、「腕を組んで相手に向かう」ということです。たとえば、「ふくれっ面をする」ということです。この「腕を組む」や「ふくれっ面」と「りんご」の組み合わせがおかしく、かわいいのです。

考えてみれば、わたしたち人間だって同じです。この世の中は分からないことだらけで、日々心細くて仕方がないわけです。だから、みんなそれぞれの「たたみのへり」へ行って、小さく居直っているのです。つまりは世の中いたるところ、気の弱い人間たちの、「たたみのへり」なのです。

(64)

待つ     石原吉郎

憎むとは 待つことだ
きりきりと音のするまで
待ちつくすことだ
いちにちの霧と
いちにちの雨ののち
おれはわらい出す
たおれる壁のように
億千のなかの
ひとつの車輪をひき据えて
おれはわらい出す
たおれる馬のように
ひとつの生涯のように
ひとりの証人を待ちつくして
憎むとは
ついに怒りに到らぬことだ

「憎む」という行為の静かさが描かれています。「怒り」として外へ吐き出されるのではなく、個のうちに押しとどめて置かれるべき「憎しみ」を、そのぎりぎりのところで堪えることを、自身に宣言しています。言うまでもなく、戦後の理不尽なラーゲリ体験が、この「憎しみ」の背後にはあるのだろうと思います。ここにあるのは、「待つ」という、言ってみればなにもしないことの勧めですが、ここで言う「待つ」というのは、みずから選び取ったものではなく、致し方なく選び取られたものです。追いつめられた状況を、あたかも自身が選び取ったかのように振る舞っています。また、そんな自分の立場を、静かに笑いさえする作者の逆説的な感情表現の複雑さが見えます。

言われてみればたしかに、真の「憎しみ」とは、容易に「怒り」に結びつくものではないのかもしれません。

この詩とは関係がないかもしれませんが、わたしも、「怒る」ことの下手な人間です。「怒り方」をきちんと学ばずに、成長しました。あるいは、そのような能力を持たずに、生れてきたものか。

随分昔のことです。ある詩人の集まりでのことでした。立食のパーティーで、何人かの詩人と話をしていました。話の内容はなぜかわたしのことになり、ひとりの詩人が、私のことをしきりにしゃべっていました。わたしはただその話を聞いていたのですが、関西の著名な詩人がとつぜん、わたしに言ったのです、「松下さん、この人は今、あなたを馬鹿にしているのですよ。」

怒るとは、自分以外の全ての世界をしかりつけることであり、そのような立場をわたしは、生涯持ち合わせないのです。

(65)

夜の招待      石原吉郎

窓のそとで ぴすとるが鳴って
かあてんへいっぺんに
火がつけられて
まちかまえた時間が やってくる
夜だ 連隊のように
せろふあんでふち取って――
ふらんすは
すぺいんと和ぼくせよ
獅子はおのおの
尻尾(しりお)をなめよ
私は にわかに寛大になり
もはやだれでもなくなった人と
手をとりあって
おうようなおとなの時間を
その手のあいだに かこみとる
ああ 動物園には
ちゃんと象がいるだろうよ
そのそばには
また象がいるだろうよ
来るよりほかに仕方のない時間が
やってくるということの
なんというみごとさ
切られた食卓の花にも
受粉のいとなみをゆるすがいい
もはやどれだけの時が
よみがえらずに
のこっていよう
夜はまきかえされ
椅子がゆさぶられ
かあどの旗がひきおろされ
手のなかでくれよんが溶けて
朝が 約束をしにやってくる

この作品のどこが凄いといって、たぶん一番凄いのは、この作品が凄いことを、書き上げた時の作者がほとんど意識していないことです。とにかくとんでもない詩を、この世に日本語で産み出してしまったのだという意識が感じられないことです。詩の、本当のよさというのは、「ことばが全体で読者を襲ってくる言うに言えない勢いにあるのです」(そんな説明ってあるか)。とにかく、ここがいいというのをいくら並べても、並べ終わったよさは、本当のよさとは違ったものなのです。詩のよさなんて、理詰めで説明できるものじゃないんだって、あらためて言われているような作品なのです。これを読んで凄いと思えない人には、何をどう説明したって分からないのです。昔、自分の詩の凄いところに線を引いて読ませた詩人がいましたが、もしそれをやったら、この詩には、線のないところがほとんどなくなってしまうのです。たとえば、

1「夜の招待」という題名がいい。招待という名詞の向こうに、さまざまなものが見えてくる。それぞれに、不思議な招待状を持って。
2「窓のそとで」いきなり「ぴすとる」が鳴るという始まり方がいい。「ぴすとる」とひらがなにしているのが、寓話的でいい。鋭い音が耳近くで聞こえる。
3「かあてんへいっぺんに 火がつけられて」と、さらに事件を予感させるのがいい。「かあてん」とひらがなにしているのも、依然物語風でいい。「いっぺんに」が炎の急な燃え上がりを目の前に見せてくれる。
4「まちかまえた時間」というのが、意味深でいい。それが「やってくる」というのがどんなことか真剣に考えてしまう。時間の足音が聞こえそうだし。
5「夜だ」と言い切るのがいい。それもすごい暗闇であってほしい。
6「連隊のように せろふあんでふち取って――」の「ような」というのが違和感があっていい。「連隊」という緊張感に満ちた単語と、「せろふあんでふち取って」と突然視線を近くに持ってくるところがいい。せろふあんの透明なむらさきやおれんじがみえる。
7「ふらんすは すぺいんと和ぼくせよ」の命令形がいい。かっこいい。ふらんすもすぺいんもすぐ近くに来ているようで、和ぼくのために差し伸べられた腕が見えそうで。
8「獅子はおのおの 尻尾(しりお)をなめよ」の命令も、具体的なイメージが雄雄しくていい。身を捻って尾をなめる獅子の姿はさびしさも持ち。
9「私は にわかに寛大になり」は、自身の心情がちらりとのぞいていていい。やさしい気持ちになれる。近くにいる人に急にやさしくされると、だれしも困ってしまい。
10「もはやだれでもなくなった人」というのが、謎に満ちていていい。「だれでもなくなった人」の具体的な姿がはっきりと見えてくる。さらにその人と
11「手をとりあって」というのがすごい。誰でもなくなった人の手の感触を想像してしまう。
12「おうようなおとなの時間」といういいかたがすごい。「おうような」なんて言葉、こんなところでは、普通の詩人には思いつかない。
13「その手のあいだに かこみとる」というところが、すごくあたたかくて、涙が出そうになる。さらに
14「ああ 動物園には ちゃんと象がいるだろうよ」のところは、あまたある日本の詩の中で最も好きなフレーズだし
15「そのそばには また象がいるだろうよ」のところは、さらに好きなフレーズだ。
16「来るよりほかに仕方のない時間」と、「まちかまえた時間」が別の素敵な名前を与えられ、
17「やってくるということの なんというみごとさ」に、そうだそうだと頷くしかないし、
18「切られた食卓の花にも 受粉のいとなみをゆるすがいい」という上空からの許しは大きく
19「もはやどれだけの時が よみがえらずに のこっていよう」という決め付けも切羽詰っているし
20「夜はまきかえされ」でわたしの頭の中の暗闇は引き伸ばされて見事に巻き返され
21「椅子がゆさぶられ」は具体的で乱暴な悲しみの動作が想像され
22「かあどの旗がひきおろされ」ではるかな西洋の夜を見つめ
23「手のなかでくれよんが溶けて」眼は手元の微細な動きに戻され
24「朝が 約束をしにやってくる」のやってきてくれた朝に、胸がひたすら熱くなります。

と、さんざん線を引いたあとで、本当の詩の解釈がここから始められなければならないのですが、疲れたので、今夜は寝ます。

(66)

審判     石原吉郎

この世のものおとへ
耳をかたむけよ
くるぶしの軋るおと
頸椎のかたむくおと
石が這いずるおと
肩を手がはなれるおと
証人がたち去るおと
およそ覚悟のように
ものおとがとだえるおと
かつてしずかなものを
この日かたむけて
挨拶はただ南へかげる

この詩には、いろいろな音が出てきますが、その中で「証人がたち去るおと」だけが飾り立てた表現ではありません。つまり、この行(ぎょう)が言いたいがための詩なのかと思われます。この「証人」は、まさに題の「審判」とつながっており、被告である作者が頼みとしていた「証人」が、真実を語ることなく立ち去ってゆくその音を、絶望とともに耳にしたということではないかと思います。

それでも、その言いたいことを鮮やかにするために、「証人」が立ち去る音が、幾通りもの言い方で表現されています。どの比喩も一筋縄ではいかず、高い技巧に支えられています。

ただ、最後の行の意味がよくわかりません。「南」とは、収容所にとっての開放を意味する方角であるのでしょうか。その南へ行く可能性に、陰りが出たということなのでしょうか。それではあまりにも、安易な解釈にも、思えます。

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(67)

控え    石原吉郎

いわれなく座に
耐えることではない
非礼のひとすじがあれば
礼を絶って
膝を立てることだ
膝は そのためにある
そろえた指先も
そのためにある

これはなんともわかりやすい詩です。「怒るときは怒れ」といっているのです。相手が礼儀を守らないのに、おとなしくされるがままになっている必要はない。こちらも礼儀を無視しろということです。礼儀を無視するというのは、相手が話している最中であっても、立ち上がってこの場を立ち去ってしまえといっているのです。

このとき、「膝を立てる」は立ち上がることを意味しているのですが、「そろえた指先」は、何をしようと言うのでしょうか。去るための合図を送るというのか、あるいは、そろえた指先のまま、あいての頬を平手打ちにでもしようというのでしょうか。「非礼のひとすじ」の「ひとすじ」と、「そろえた指先」の「そろえた」が、直線をイメージさせて、この詩の印象を作り上げています。

石原吉郎は、どんな非礼に耐えてきたのでしょうか。こういう詩をわざわざ書いたのは、どんな非礼の前でもおそらく、「いわれなく座に、耐え」ていたのではないかと、思います。

そしてその思いが、いやになるほど、分かるのです。

(68)

世界がほろびる日に    石原吉郎

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は八時に仕掛けておけ

明日世界がほろびるとしても、わたしは今日花の種を撒くだろうという発想と、ほとんど同じです。要は、世界がずっと続くかのように、この日一日を全力で冷静に生きてゆけということです。

たしかに、一見、世界がほろびるのだから、将来はないのだと思いがちです。でも、現実の世界だって、それとあまりかわりはありません。自分の命に限りがあるとわかっていても、わたしたちは明るく、全力で日々を過すのです。「私がほろぶこの世で」わたしたちは健気にも、一生懸命なのです。

それにしても、この詩の行為の一つ一つは、実に日常的です。勝手に勘ぐるならば、石原吉郎が日々、奥さんに言われていたことなのかも、しれません。

ベランダにふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は八時に仕掛けておけ

(69)

やさしさ     石原吉郎

やさしさはおとずれるものだ
たぶん ふいに
ある日街かどのある時刻に
であいがしらに
わしづかみにされる
逃げ場のない怒りのようなこのやさしさ
空は乱暴に晴れていて
いちまいの皿でも広すぎる
しずけさへおとす
波紋のような
やさしさの果ての
やりきれなさは
ひとつまみの吸殻で
ふっきれるか

おそらく、「やさしさ」という言葉はあまりにもわかりやすいから、そのままでは使いたくなかったのでしょう。だから、ちょっと複雑な「やさしさ」になっています。つまり、

1. であいがしらに、わしづかみにされる、逃げ場のない怒りのような、「やさしさ」
2. いちまいの皿でも広すぎる、しずけさへおとす、波紋のような、「やさしさ」

ということです。もっと簡単にすると、

1. 怒りのような、「やさしさ」
2. 波紋のような、「やさしさ」

ということで、どうもこれは、通常よりよっぽど攻撃的でいらいらしている「やさしさ」のようです。あげくにこの「やさしさ」は、その先でやりきれなくなるというのですから、これはもう、「やさしさ」とはいえないのではないでしょうか。それでも尚、「やさしさ」という言葉をつかいたいのなら、「マイナスのやさしさ」とでも言うしかありません。

あるいは、作者の「やさしさ」を攻撃してくるものに対して、反撃するために、皮肉を込めて「やさしさ」といっているのかもしれません。

いつも、どこでも、やさしい心の持ち主は、その心をずたずたにされてしまうものです。だからこうして、皮肉のひとつも出てくる人間に、なってしまうのです。

(70)

ごむの長ぐつ     石原吉郎

ごむの長ぐつをはいたやつを
一大隊ほどもかきあつめて
一列にならべて
こういうのだ
二列にならべて
こういうのだ
ごむの長ぐつなど
こわくないぞ
ごむの長ぐつなど
平気だとも
ごむの長ぐつをはいたやつを
日まわりのかげへ
よびだしておいて
逃げださないまえに
こういうのだ
足おとがしなけりゃ
はだしとおんなじだぞ
足おとをたてて
あるいてみろ
ごむの長ぐつをはいたやつを
長ぐつのふちまで
おしこんでおいて
上からのぞいて
こういうのだ
息がしなけりゃ
くつ下とおんなじだぞ
息の数だけ
わらってみろ
ごむの長ぐつをはいていても
夜あけが二度くると
おもうものか
ごむの長ぐつでも
約束は約束だぞ
ごむの長ぐつをはいたやつは
おしゃべりをやめて
まっすぐにあるけ
ごむの長ぐつなぞ
へいきだとも

この詩を読んでいると、妙にせつなくなるのはなぜでしょうか。追いつめられた人間が、追いつめられたことを認めたくなくて、大声をあげて訴えているようなのです。涙をにじませながら強がりを言っているようなのです。

それにしても、このびくびくした態度と、言っている内容がまったくあっていません。つまり、「かげへよびだされ」て、「逃げよう」としたのは、ゴムの長ぐつのほうではなくて、自分のことです。「足おとをしのばせて」おそるおそる歩いたのは、ゴムの長ぐつのほうではなくて、自分のことです。さらに、「長ぐつのふちまで、おしこ」まれているのは、ゴムの長ぐつではなくて、自分のことです。

この状況はおそらく、他のいくつもの詩と同様に、ソ連の収容所を描いているのだと思います。しかし、そういうことを忘れて読んでも、十分自分にひきつけて読むことができます。

たった一度の人生なのだから、どうせ死ぬのだから、怖いものなんかない、どうどうと生きればいいのだと、自分を説得するように、思うことがあります。そんなときはたいてい、生きることが怖くて仕方がないときなのです。だから、そんなに強がりを言ったって、なんにも変わらないのだから、怖いものは怖い、一日とは、怖いものの集積であると思って、「わたし」をやってゆこうと思うのです。心の持ちようを変えようと思っても、変れるはずもなく、幾通りもの自分があるわけでもなく、こんな自分を「しかたがないな」と思いながら、やってゆくしかないのです。

(71)

片側      石原吉郎

ある事実のかたわらを
とおりすぎることは
そんなはずでは
ないようにたやすい
だが その
熱い片側には
かがんで手を
ふれて行け
事実は不意に
かつねんごろに
熱い片側をもつ

この詩は、以下の三つの文章からなっています。

1. ある事実のかたわらをとおりすぎることは、そんなはずではないようにたやすい。
2. だが その熱い片側にはかがんで手をふれて行け。
3. 事実は不意にかつねんごろに、熱い片側をもつ。

これをさらに、書かれている内容だけにしぼって書き直すと、次のようになります。

1. 情報は容易に手に入る
2. しかしそれは、注意して受けとめる必要がある
3. 情報というのは、一筋縄ではいかない

そんなところでしょうか。こう書いてしまうと、この詩は、あたりまえのことを言っているように見えます。

おそらくこの詩にとっての「事実」は、本来は、石原吉郎の個人的な事件に関わったものであったのだろうと思います。しかし、書かれたことだけを読んでいる限りにおいては、その個人的なことは、まったく見えてきません。なぜならこの詩には、具体的な事件や事実の特定がないのです。つまりここでは、「事実」というものは、具体的な「事実」である必要はないのです。

さらに言うなら、この「事実」は、現実になんら結びつくことのない「事実」であるのかもしれません。この詩にとっては現実などどうでもよく、「事実」という言葉から生み出された連想を、ただ書き連ねていけばよいわけです。

そしておそらく、架空の「事実」を描いたからこそ、この詩は、本当の「事実」の意味を言い当てることができたのです。

(72)

足ばかりの神様      石原吉郎

あぐらをかいているその男は
たしかに神様をみたことがある
おわりもなく
はじめもない生涯の
どのあたりにいまいるのかを
とめどもなくおもい
めぐらしていたときだ
まあたらしいごむの長靴をはいた
足ばかりの神様が
まずしげなその思考を
ゆっくりとまたいで
行かれたのだ
じつに足ばかりの
神様であった
あぐらをかいていたその男が
そのときたちあがったとは
どの本にも書いていない

ひとりの男に、ある日啓示があったと言っているようです。「あぐら」の男と、「足」の神様とありますから、「あぐら」と「足」をつなげて考えるべきであり、つまり「足」は、男に行動を起こせと言っているのかもしれません。さらに、「まずしげなその思考」と言っているところを見ると、考えること、知識を持つことの限界を指摘して、「足」による実践を促しているものかとも思われます。

しかし、そんなことをわざわざ詩にしているわけもなく、であれば何を言わんとしているのか。たしかに、「ごむの長靴」と「神様」の取り合わせは面白いと思うものの、それもひとつの謎であるわけです。宗教に関わったはずの石原吉郎の口から出る「神様」が、時としてユーモラスに描かれるのは、どのような理由からなのでしょうか。むしろ、深く関わったからこそ、宗教を一見軽く見るように扱うことができたのでしょうか。それはたぶん、さらに考える価値のあることなのであり、これから探ってゆきたく思います。

(73)

非礼     石原吉郎

非礼であると承知のまま
地に直立した
一本の幹だ
てらす満月が非礼であれば
それも覚悟のうえだ
その非礼にあって
満月が
幹とかわした会話は
一条の影によって
すっくと書きのこすがいい

先日読んだ詩では、木は立っていることが挨拶だといっていましたが、今度は、その立っていることは非礼だというのです。木も大変です。この詩を深く考えずに読むなら、木が立っていたり、月が照っていたりするのが礼儀にそむくことだといっているわけですから、どう考えても、「言いがかり」以外のなにものでもありません。もし街中で、こんなおじさんがいたら、驚くでしょう。

「生まれてごめんなさい」の太宰治でなくても、ここにいるだけで申し訳ないという感覚は、わたしにもあります。しかし、ここで言う「非礼」は、それとはすこし違うようです。木も、月も、「非礼」であると思いつつも、堂々と生存しています。きりっとしています。「覚悟のうえだ」とまで言っています。

その「非礼な月」が照らした「非礼な木」にできた影を、双方がかわした会話であるというのは、たしかに詩的な表現ではあります。うまいと思います。ただ、その会話を影によって書き残せといわれても、いったい何をどうしたらいいのか、途方に暮れてしまいます。

(74)

位置      石原吉郎

しずかな肩には
声だけがならぶのではない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓(たわ)み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である

好きな曲を幾度も聴いているうちに、その曲に対する感受性が摩滅してしまうことがあります。「飽きる」というのでもないのですが、好きだった頃の気持を無理やり思い出しながらでないと聞けない、そんな感じです。

同様に、この詩はあまりにも有名なので、いざ何か言おうとすると、はじめに読んだときの感覚を思い出すしかないというところがあります。

それでも、たしかにこの言葉の浮き上がり方は見事です。やはり代表作の風格を備えています。幾度かこのブログで書いているような、「レトリックが勝っている詩ではないか」などという疑いもかけられることはありません。それは、この詩が、思いのほか飾り立てた比喩が少ないことにも起因しています。「敵」はそのまま「敵」であり、「勇敢な男たち」はそのまま「勇敢な男たち」として現れます。

唯一鮮やかさを示しているのが、「無防備の空がついに撓(たわ)み/正午の弓となる位置で」のところですが、この部分もこのように「鮮やかに」書かれるべき必然性が感じられます。

撓(たわ)んだ空の下で、この作品を前にして、ただただ創作物の持つちからにひれ伏すばかりです。見事な作品です。

(75)

橋があった話    石原吉郎

こういってもいいのだ
ここに橋があった と
橋があって
そこに岸があった と
岸があって
そこに水がながれたと
いいかたはそうで
ないかもしれぬ だが
ほんとうはこうなのだ
橋はしいられたのではい
はじめにあったのだ
そのはじめに
自由にあったのだ
それが橋なのだと

これまで幾度もいってきたように、石原吉郎の詩の特徴は、いかにも「意味ありげ」に見えることです。どんな言葉も、その言葉の奥に別の意味がありそうに見えるのです。そしてそれは、作品にとっては一つの価値なのです。いったい、「意味ありげ」に見えることと、「深い意味がある」こととは、何か違いがあるのでしょうか。

この作品も、書かれていることは明快です。水が流れて岸ができ、岸ができて橋がかかった、という順序に意義を唱えているわけです。水とか、岸があったから「橋」が架かったわけではなくて、「橋」ははじめにあったのだ、と主張しているのです。

確かに、そのような図は考えてみると興味深いものがあります。何にも無い平原に、なんの目的も無い「橋」が架かっているわけです。下に川が流れているわけでもなく、両端に岸があるわけでもなく、ただ「橋」が、無造作に架かっているのです。

そんなところを通りかかったら、赤瀬川原平ならずとも、新しいトマソンとして、カメラに収めるでしょう。

あえてこの詩の意味を探るなら、「結果」の中にすでに「原因」が含まれているとでもいうことなのでしょうか。

しかし、本当はそうではなく、この詩は、単に石原吉郎の頭の中にある「トマソン」を、詩の中に描いただけのことなのでしょう。

ためしに、橋と水を変えてみたらどのようになるでしょうか。やってみましょう。

水があった話    石原吉郎の詩を変えて

こういってもいいのだ
ここに水があった と
水があって
そこに岸があった と
岸があって
そこに橋がかかったと
いいかたはそうで
ないかもしれぬ だが
ほんとうはこうなのだ
水はしいられたのではい
はじめにあったのだ
そのはじめに
自由にあったのだ
それが水なのだと

たしかに、面白くもなんともありません。こころみとしてもたいしたものではありませんが、こうした変換で簡単に面白みを失うということに、原詩がなんらかの弱みを持っているということだけは、証明されたようです。

(76)

こはぜ      石原吉郎

ひっそりと白く
両手を重ねただけなのに
殺意と見たてて
柄(つか)をひきよせたが
下(さ)げ緒をたぐる
気配をみてとって
相手はひっそりと
のみ終えた茶器へ
足袋のこはぜを
おとして立った

こんなことを言ってはなんですが、この詩はどうもやりすぎかなと思います。いいところも分かるし、何を書きたかったのかも分かるのですが、読者にこの雰囲気をそのまま受け入れろというのは、無理があるかなと思います。

茶室でしょうか。向かい合わせの男が二人坐っています。勿論正座です。茶人と、武士のようです。もちろん現代ではなく、石原吉郎のよく描く鎌倉時代か、足利時代でしょう。茶をたてているほうが両手を重ねたのを、武士が自分を殺すための動作と思ったのです。しかし、茶人が片手を懐に入れたのなら、小刀を持つとか、小銃を持つとか、殺意に結びつく動作になりますが、両手を重ねて、どんな殺意の動作と結びつくのでしょうか。まさか必殺シリーズのように、簪や指で喉を突くというのでもないと思うのですが。

「柄(つか)をひきよせる」とか「下(さ)げ緒をたぐる」という動作を、石原吉郎は好きで仕方がなかったのだと思います。だから、この詩は間違いなくやりすぎですが、読者としては、寛容な気持ちで好きに書かせてあげるか、と思ってしまいます。

最後の「相手はひっそりと/のみ終えた茶器へ/足袋のこはぜを/おとして立った」というのはもう一つ分かりません。足袋についている「こはぜ」をひっそりとおとすなど、できようはずもなく。ということは、「こはぜ」はもともと足袋からとってあったのでしょうか。その「こはぜ」を、重ねた両手にひっそりと挟んでいたのでしょうか。

そうであっても、なくても、どちらでもいいですが。

ちなみにネットで「こはぜ」を調べたら、次のようにありました。

「衣類・装飾品のボタン」を意味する、ポルトガル語の<cofaje>が語源。足袋にこはぜがついたのは、元禄時代(1689~1703/家光の四男綱吉のころ)から。それまでは紐だった(ネットより引用)

語源がポルトガル語だというのも驚きましたが、元禄時代からのものだというのも、驚きです。つまり、足利時代にも鎌倉時代にも、「こはぜ」はなかったわけです。失礼しました。

(77)

お化けが出るとき      石原吉郎

そうすぐかんたんに
お化けが出るものか
だまって聞いていな

もう何日も
おれたちは考えたのだ
戸だなをあけるたびに
ひとつずつ夜が明けた
はしごをおろすたびに
ひとつずつ夜が明けた
トマトのほしい手には
トマトをのせ
銀貨がほしい手には
銀貨をのせ
それからおれたちは
なにをしたとおもう
やっぱり戸だなをあけたのだ
やっぱりはしごを
おろしたのだ
そうしておれたちは考えた
もうなん日も
考えた
世界がまっさおに
なるまで
おれたちもまっさおに
なっちまうまでな
おっかなかったな あのときは
ほうせん花がはじけるたびに
おれたちはふるえあがって
顔を見あわせた
すると
しずかな時がやって来て
鉄床(かなどこ)へ鳩がころげおちた
おれたちはいっせいに
たちあがった
ばんざい
蝙蝠を絞首(つる)すときが来た
まっ赤な手で日時計を
おしたおすと
壺のようなくらやみへ
なだれこんだ

なにがあったとおもう

お化けが出るのは
そのまたさきのことさ

「お化けが出る」とは、「突発的なことが起きる」という意味なのではないでしょうか。収容所の日々の中で突然起きる、日常を突き崩す出来事のことを言っているように読めます。それが希望に繋がるものでも、苛酷な日々に繋がるものでも、どちらも「お化け」にはちがいがなく、ですからこの「お化け」は、避けて通りたいという気持と、待ち望んでいる気持が、混在しているように思います。

この詩の魅力は、なんといっても細部の意外性にあります。たとえば、驚いた瞬間のことを、「鉄床(かなどこ)へ鳩がころげおちた」と言ったり、何かを決定することを、「蝙蝠を絞首(つる)すときが来た」と言ったり。どちらも普通の人には、とても考えつきません。

最後のところはやはり、収容所から出所して、帰国する願いの切実さを描いていると読めます。しかし、収容所云々は抜きにして、たんに「お化け」が出た詩として読んでも、それはそれで十分楽しめますし、そちらの方がたぶん、正しい読み方なのでしょう。

(78)

伝説     石原吉郎

きみは花のような霧が
容赦なくかさなりおちて
ついに一枚の重量となるところから
あるき出すことができる
きみは数しれぬ麦が
いっせいにしごかれて
やがてひとすじの声となるところから
あるき出すことができる
きみの右側を出て
ひだりへ移るしずかな影よ
生き死にに似た食卓をまえに
日をめぐり
愛称をつたえ
すこやかな諧謔を
銀のようにうちならすとき
あるきつつとおく
きみは伝説である

比喩というのは、このように使うのだという手本のような詩です。このように言葉は発想され、このように並べられると美しくなるのだということが分かります。

最初の4行では、「霧がかさなる」という情景を見せてくれています。だれもが、霧が重なるところを思い浮かべます。それも「一枚の重量」になるところを。「一枚の広さ」でもなく、「一枚の量」でもなく、「一枚の重量」であるところが、読ませどころなのです。

次の4行では、「麦をしごく」というそれだけで印象的な動作から、その音を思い、さらにそれを「ひとすじの声」と言い換えます。「しごく」という直線的な動きが、「ひとすじ」に結びついています。

さらに次の2行では、石原吉郎の得意な、立場の組み換えがおこなわれます。つまり、ある部屋の右の扉から出て左に移るということの「部屋」を、「自分」に置き換えます。「きみの右側を出て/ひだりへ移る」というのは、まるで右わき腹と左わき腹に扉がついているようです。そしてその形は、人のわき腹ついた「鰓(えら)」を連想させます。

こうして少しずつ解釈してゆくことは可能ですが、では、この詩が全体でなにを言っているかということになると、かなり難しくなります。「きみ」というのは石原吉郎自身であろうと思います。歩き出すのは、閉ざされた環境(収容所)からであるかもしれません。終わりにちかく、「愛称」「諧謔」「伝説」などと言う文字から推測して、そのように解釈することは、できます。

しかし、それは単に「できます」というだけです。このことは、このブログに幾度も書いていますが、この詩でも、もしかしたら詩全体で訴えていることは何もなく、ただ単に、美しい比喩を見せびらかしたかっただけなのかもしれません。

(79)

黒門町      石原吉郎

黒門町に砂塵が立つさまを
いかにもといいたげにして
ふり返ったが
舞いたった砂塵も
いかにも
といいたげにして
舞いもどった

とぼけた作品です。「いかにも」というのは「そんなものか」とか「わかっていたんだ」というような意味でしょうか。砂塵を人のようにみなし、砂塵に対してその舞いあがり方を「なんだそんなものか」と言ったところでどうなるわけのものでもなし、砂塵に対して偉ぶってみたって仕方がないと思います。

また、砂塵が立った場所が黒門町だということに、何か意味があるのでしょうか。たしかに古風でいかめしく、権力を感じさせる名前ではあります。ならば、そのような権力に対峙した詩かというと、そうでもなさそうです。ただ単に、「黒門町」という名前の美しさに惹かれたのだと思います。

それにしても、いったん舞いたった砂塵が「いかにも」といったふうに舞いもどるなんて、これはもう、アニメーションの世界のように思えてしまいます。たぶん砂塵には、砂塵らしい目鼻が描かれていて、舞いもどるところは、逆回しのテープのようになるのでしょう。

一篇、画のようなかわいらしい情景と、「いかにも」という言葉の響き、それだけのような気もしますが、読んでいて、なぜか気分のよい作品です。

(80)

目安    石原吉郎

どこまでつきあえる
あの町かどの交番が
さしあたっての目安だが
その先もうひとつまでなら
つきあっていい
そこから先は
ひとりであるけ
立ちどまっても
あるいても
いずれはひとりなのだから

生きていて、こんなことを言ってくれる人なんてめったにいるものではありません。特に中年を過ぎた男というものは、周りの人を庇護するために生きているわけですから、家族を除けば、優しい言葉なんてかけてくれる人はめったにいないわけです。たいていの人は、自分のことばかり考えていて、それで人生めいっぱいなわけですから。自分のことでさえ持て余し、扱いきれず、崩折れてしまうものなのに、そばに来てくれて、「つきあっていい」なんてやさしく言われたら、それだけで参ってしまいます。町かどの交番までであっても、その先の交差点まででも、自分の「そば」にだれかがいてくれるというだけで、ありがたくて涙がでそうになります。と、思いつつも、こう言ってつきあってくれているほうの人の声にも、どこか寂しさのようなものが感じられます。「その先」が過ぎても、なかなか離れてゆけないのは、たぶんお互い様なのです。

こういう詩を読むたびに、石原吉郎という人物が少し見えてくるような気がします。たぶんその詩ほど、むずかしい人ではなかったのです。たぶんその詩ほど、きっぱりとものを見つめることのできる人ではなかったのです。ただただ、そばにいてくれる誰かを、もとめていたのです。

(81)

椅子     石原吉郎

無人であることを絶対の
前提とすることで
部屋ははじめてひとつの意志に
めざめることができる
椅子を引き倒し
扉を押しあけたものの
最後の気配に
耳をすませたのち きみは
椅子がみずからの意志で
ゆっくりと起き直り
無人の食卓へ向うさまを
ひっそりとおもい
えがけばいいのだ

夜、人が眠ってしまったあとに、命のないものに命が吹き込まれ、人のように活動し始める。なんだかよく童話に出てくるあらすじのようです。こういった発想で興味を引かれるのは、たいてい物が動き出すまでです。物達が実際に動き出してしまった後は、もう「物」ではなくて、「人」そのもののようになってしまうからです。それならば人をそのまま描けばいいじゃないかということになってしまいます。

たしかに、「椅子」が起き上がって食卓へ向うというのは、「絵」としては面白いし、そこがこの詩の読ませどころなのかもしれません。しかしそれは、発想としてはそれほどめずらしいものではありません。わたしも若い頃に、「椅子は立ち上がる」という似たような詩を書いたことがあります。石原吉郎の詩ほどまとまってはいませんでしたが、考え方は、それほど違うものではありませんでした。「足をはく」とか「背中をせおう」というような、詩を書くものにとっては、ありふれた発想の一つであるということができます。

そのありふれた発想を、あえてしてまで書きとどめた理由が、どうも見つけることができません。いかがでしょうか。

(82)

風     石原吉郎

風は凍るだろうか。なんど問われても私にはわからない。風のなかで凍って果てるのは私でしかないのに。風は凍るだろうか。頑是無い疑問をかさねた果てで つまりは私が凍ってしまう。風は自由に吹くだけなのに。

詩がどのように発想され、生み出されてきたかということと、出来上がった詩が何を言おうとしているかということは、おのずと違ってきます。それは時に、作者自身が目指したものとは違ったものとなって出来上がってしまいます。

例えばこの詩を読むとき、読者はどうしても「風」が意味するものは何かということを考えてしまいます。素直に読むなら、ここで言う「風」は、時代とか、宿命とかを暗示しているものと思います。時代の動きの中で、翻弄される個々の人々の姿を思い浮かべてしまいます。奇しくも8月6日は、多くの個人の命を、時代が奪い去った日でもあります。

ただ、それは結果として作品が持ちえたものであり、作者の意図とは少しずれているのではないかと、思われるのです。

石原吉郎の発想は、単に「風が凍る」ことの視覚的姿、あるいは言葉が生み出す意味だったのではないかと思います。冷たい風の中で凍る人を考えているうちに、「風」自身が凍る、という発想を持ったのだと思います。風が凍った姿を、ここでは具体的に描いてはいません。それは読者の想像にまかせられています。しかし、まちがいなく「風が凍る」という発想が読者に与える衝撃を、石原吉郎は確信しています。

出来上がった詩をもって、作者の意図と違うものができてしまうことがあると、先程書きました。しかし、それもまた誤った言い方です。作者の意図、などというものは、詩人にはもともと無かったと、思われるのです。少なくとも、この詩では。

(83)

無題     石原吉郎

無ければ それでいいだろう
そこまでで
もう無いなら

なんとも短い詩です。短い作品に対してコメントを書くというのは、このところ「新・増俳」の原稿を書いているので驚きはしません。「新・増俳」の原稿の長さは400字から600字程度ですが、この長さは、何も書くことがないときは持て余しますし、何か書くことがあるときには、短すぎます。つまり、その中間の心持で作品に向かわなければならないのです。と、そんなことばかりこのところ考えています。

こんなに短い詩なので、当然手がかりはあまりありません。こんなとき、詩の題名というのは解釈に非常に役に立つものです。(題があるかないかが、現代詩と、俳句の大きな違いでもあります。)

といって、題名を見てみますと、「無題」となっており、たいして鑑賞の役に立ちません。よく、詩を書き始めの中学生が、書いた詩に題を「無題」とつけ、何か意味ありげなものに見せようとすることがありますが、石原吉郎ですから、そんなわけでもないでしょう。

詩の中では、二人の人が描かれているようです。若い方が何かを探していて、見つからず、目上の方が「もう探さなくてもいいよ、そこまで探したのだから」と言っているようです。ここで問題なのが、では、その探しているものは何かということです。この詩を読んでいる限りは、よくわかりません。

ただ、題にも「無」題とつけ、こんなに短い詩の中でも「無」という文字が二度も出てきているところを見ると、重要なのは、探している何かではなくて、「無い」ということ自体なのだということがわかります。あるいは、作者が探しているのは、「無い」ことそのものなのです。「無い」をいくら探したって、あるわけがありません。たぶん、それがわかっているから「それでいいだろう」と簡単に引き上げてしまうのです。

無いことが分かっているけれど、探さざるをえない。意味もわからずに命を与えられて、生きてゆくっていうことには、確かにそんな側面が、あります。

(84)

橋    石原吉郎

沈黙は詩へわたす
橋のながさだ
そののちしばらくの
あゆみがある
それはとどまる
ふりかえる距離が
ふたつの端を
かさねあわせた
夜目にもあやな
跳ね橋の重さなのだ

表現すること、作品をつくりあげることの困難さをうたったものと思います。いえ、石原吉郎にとっては、作品を生み出すということは、困難さからは遠いものであり、この詩は単に、こんなふうに詩ができるのだよと、世間話でもするように読者に語ったものかもしれません。

たしかに、石原吉郎の詩の核のところには、「沈黙」があります。一行が短いだけ、その行に書かれるはずだった言葉は、作者に飲み込まれています。あるいは、書かれた詩の、ひとことひとことが、書かれたそばから自分を打ち消してゆくようなところがあります。詩、そのものがあらかじめ「沈黙」を内に秘めています。あるいは、書くことによって目指されているのは、「沈黙」そのものであるようなところが、あります。(「俳句」も同様と、思われ。)

また、この詩は「人」との関係を書いたものとも読めます。「詩」という作品に向かうということは、いうまでもなく自分の中の他者と向き合うことでもあります。さらに言うなら、すべての「他者」との関係を言っているものとも、思われます。

このように、いくつかの解釈のできる作品ではありますが、終り方は唐突です。「距離」が「重さ」なのだという理屈はなんとか分かるにしても、「ふたつの端を/かさねあわせた/夜目にもあやな/跳ね橋の重さなのだ」というのは、あまりにも美しすぎて、この詩をどう解釈しようが、そんなことはどうでもいいような気になってしまうのです。そしてもしかしたら、石原吉郎にとっても、詩の解釈などどうでもよくて、書きたかったのは単に、この部分なのかもしれません。

(85)

慟哭と芋の葉      石原吉郎

みぎをむいても
ひだりをむいても
おいでおいでや
いやいやばっかり
途方にくれた
くりかえしのなかを
あおいまっさおな
慟哭のなかを
ふところ手のたましいが
引返してくる
つんぼのたましいが
引返してくる
たましいばかりが
引返してくる
ちいさな鬼の
歯ぎしりのあとを
まっさおになって
引返してくる
泣きながらはだしで
引返してくる
だれがかぞえて
道のりをこえたのだ
だれが待ち伏せて
足首を薙いだのだ
おりかさなった
足おとの果てを
悪態のかぎりを
芋の葉がひるがえる
慟哭のかぎりを
芋の葉がひるがえる

読み取るのにむずかしい詩です。勝手読みをするしかありません。はじめのところ、「途方にくれた/くりかえし」とは、つらい日常をいっていると思います。ラーゲリの労働の日々のことを暗示しているのでしょう。そういえば、今朝読んだ日経新聞の「私の履歴書」、小堀宗慶氏の文章の中にも、収容所の極限状態での苦役の日々のことが書いてありました。

詩はそのあと、「たましい」が引き返してくると、くりかえし歌われます。ここでいう「たましい」とは、まさしく「たましい」であり、その人の心の根元とでもいうものを表しています。強制され、自尊心をずたずたにされる日々の中にあっても尚、自己の尊厳を守ろうとする意思が自分の中に湧くようにして持ち上がってくるということでしょうか。

途中の、「だれがかぞえて」というのは、いったいなにを数えているのでしょうか。道のりの途中の困難の数なのか、引き返した、その数なのか。それにしても「道のりをこえる」というのは、奇妙な表現です。道を越えるのではなくて、その距離を越えるということですから。

それだけではなく、この詩は、言葉のちょっと凝った手触りがよく見える詩です。「足首を薙いだ」にしても「悪態のかぎり」にしても「ちいさな鬼の歯ぎしり」にしても、もちろんこうであらねばならないわけではないのですが、このような表現のひねりにこそ、詩人の個性が現れているわけです。

ただ、個性に頼りはじめたら、表現者というのはおしまいであり、もちろん石原吉郎は、そのへんの加減は、承知して書いています。

ともかくも、慟哭というのですから、道を、大きな声をあげて泣きながら男が歩いているわけです。それだけで石原吉郎の詩らしいと、言えます。

(86)

閾(しきい)      石原吉郎

耳のそとには
耳のかたちをした
夜があり
耳穴の奥には
耳穴にしたがう夜があり
耳の出口と耳穴の入口を
わずかに仕切る閾の上へ
水滴のようなものが
ひとつ落ちる

耳だけのこして
兵士は死んでいる

「耳のそとには/耳のかたちをした/夜があり」というのは、外の世界を説明しています。その人が認識し、了解する世界と向き合っていることを言っています。さらに、「耳穴の奥には/耳穴にしたがう夜があり」というのは、内の世界を説明しています。内面では、自分をこのようなものとして理解し、自身を保っているのだということを言っています。

つまり生きるとは、その両者の均衡の上にあやうく成り立っているのです。だから生きるとは、「水滴ひとつ落ちる」、そんな簡単なきっかけによって、容易にそのバランスが壊れてしまうものなのです。

外がなだれ込んできても、内面が折れてしまっても、精神の生命は途切れてしまいます。

ここでいう「耳」とは、かろうじてこの世に精神の水面を保っている自分を言い、「兵士」とは、すべての人を言っています。生き延びることに精一杯であった「耳」が、死した後に、身を横たえてほっと休んでいるのです。

(87)

木のあいさつ      石原吉郎

ある日 木があいさつした
といっても
おじぎしたのでは
ありません
ある日 木が立っていた
というのが
木のあいさつです
そして 木がついに
いっぽんの木であるとき
木はあいさつ
そのものです
ですから 木が
とっくに死んで
枯れてしまっても
木は
あいさつしている
ことになるのです

内容の平明さと、視覚的な印象のせいでしょうが、時折わたしは、この詩を思い出します。いいえ、詩を思い出すのではなくて、木の姿を思い出すのです。立ったまま、これが木のあいさつだといっている様子が、頭の中に思い浮かぶのです。だからどうだというのではありませんが、そんなときには、ちょっと笑って、たしかにそうだなあと思って、再び別のことに思いを移してゆきます。

おそらく、木を見つめていて、挨拶ということを思って、その二つを結びつけてこの詩はうまれ出たのでしょう。こんなことなら、すべてのことは何とでも言えそうな気もしますが、それはそうでもなくて、やはりそこには説得力と、見た目の鮮やかさが詩には必要なのです。

では、わたしたち人間はどうやって「あいさつ」するかといいますと、言うまでもなく、おじぎをします。しかし、その「あいさつ」と、この詩の中の木の「あいさつ」は、どこか別のもののようです。おそらく、ここで木がしている「あいさつ」は、日常の、知り合いに向かってのものではなく、もっと根源的な、この世全体に向かっての「あいさつ」なのではないかと、思われます。であるならば、わたしたちの、この世にうまれ出たことの「あいさつ」は、日々の、呼吸一つ一つのことなのではないかと思うのです。「生きています、よろしくお願いします」と、呼吸をするたびに、生命のおじぎをしていることになるのだと、思うのです。

(88)

牢      石原吉郎

牢はかぞえて
三つあった
はじめの牢には
錠があった
つぎの牢には
人があった
さいごの牢は
人も錠も
あげくの果ては
格子もなく
風と空が
自由に吹きぬけた

なんということもない詩ですが、読み終わったときの印象には、さわやかなものがあります。もちろんさいごに、「格子もなく/風と空が/自由に吹きぬけた」と言っているからです。

この詩では、変に凝ることはやめて、あくまでも素直に、「風と空」を、「牢」や「錠」の対極においています。

一つ目の牢は、世界の創生を言い、二番目の牢は、人類の発生を言っているのかもしれません。

しかし、そんなに大げさに考えるまでもないのでしょう。描かれたままを、視覚的に捕らえるだけで、十分なのだと思います。

まず草原に、ぽつんと牢が置かれています。風は吹き、空は高いのに、何のためなのか、何を区切るためのものなのか、その牢には大きくて丈夫な錠前がぶら下がっています。

その隣にも、ぽつんと牢が置かれています。さらに風は吹き、空は高いのに、何のためなのか、何をしようとしているのか、その牢の中には、人が膝を抱えて坐っています。

牢のあるべき意味を完成するために、一つ目の牢は、二つ目の牢に、かぶせられます。

しかし、二重に重ねられた牢は、その意味を放棄し、錠前も、人も、突如として消え去ります。

あとに残るのは、空と、風と、なすすべのない、牢だけです。

(89)

霰      石原吉郎

まちがいのような
道のりの果てで
霰はひとに会った
ひとに会ったと
霰は言った
(ひとに会うには
道のりが要る)
会わなければ もう
霰ではなかったろう
霰は不意にやさしくなり
寄りそってしずかな
柱となった
忘れて行くだけの
道のりの果てで
霰は ひとに
道のりをゆずったが
おのれのうしろ姿が
見えない悲しみに
背なかばかりの
そのひとを
泣きながら打ちつづけた

この詩を石原吉郎は、しずかに泣きながら書いたのではないのかと思われるのです。そしてある種の読者は、その悲しみを受け取るようにして、泣きながら読むしかすべをしりません。

「霰」がわたしに優しく寄ってきてくれているのだと思えば、素直に「霰」に凭れて、いっときの安堵のあたたかさに、目をつぶってしまうのです。

擬人化も、ここまで徹底すると突き抜けてしまいます。「人」を擬していることを、「霰」も「読者」も、忘れてしまいます。

この詩では、「人」として見なされているのは「霰」だけではありません。「道のり」や「うしろ姿」、あるいは「悲しみ」までもが、目鼻を持ち、私のまわりに立って、見守ってくれているようにも、感じてしまうのです。

最後のところ、「霰」がうしろ姿をもたず、「私」が背中ばかり、というくだりは、どうも「霰」と「私」がかつては一人の人間で、それを縦に引き裂いたものとも、受け取れます。

そうであるならば、「霰」が「私」にやさしいというのは、当たり前かもしれません。

しかし、そんなことはどうでもいいのです。だれかが来てくれるのなら、今夜そばにいてくれるのなら、生きてゆけるのです。それがむかしの自分の一部であろうと、ほかのひとで、あろうと。

(90)

レストランの片隅で     石原吉郎

つらい食事もしたし
うっとりと食事も終えた
おなじ片隅で
ひっそりと今日も
食事をとる
生き死にのその
証しのような
もう生きなくても
すむような

食事の記憶というのは、たしかにいくつも残っています。石原吉郎が言うとおり、「つらい食事」もあったし、「うっとり」する食事もありました。いやでも、食物を咀嚼し、ノドを通過させなければ、悲しいかなわたしたちは身を保持してゆくことができないのです。「身を保持してゆかなければならない」ということ自体が、悲しみに裏打ちされているわけですから、その手段ともいうべき「食事」が、わたしたちの気持にじかに触れないわけがありません。

それゆえ「生き死にのその/証しのような」という表現は素直で、そのまま受け取ることができるのです。

しかし、それに続く「もう生きなくても/すむような」というのは、解釈の分かれる表現です。

一見それは、命を終えるための食物をとる、言い換えるなら毒をあおるという意味にも取れます。

しかしここでは、そのような意味ではなく、「生き死にのあかし」としての「食事」が、そのまま、「もう生きなくても/すむような」食事をも含んでいるのだと、解釈したいのです。

「食事」とは、生き延びる手段でもあり、生きることの終焉へ向かう過程でもあると、解釈できないでしょうか。何千回、何万回の食事の後には、間違いなくわたしたちは、「もう生きなくても」すむようになるわけです。

食事にかぎらず、あらゆる行動が、「もう生きなくても/すむ」ことに、包まれているのだと、そう思えるのです。

(91)

真鍮の柱      石原吉郎

あの夕焼けをくずしておとせ
あつい豆腐をくずすように
つきくずしておとせ
かがやく真鍮の柱がのこるまで
要求であるものが
怒りにかわるとき
どのような保証も
怒りに与えるな
すでに怒りであったものを
かぼそい煙突におきかえるな
すなわちそのように
生きたものを
夕焼けの朱へ立たせておけ
かがやく真鍮の
柱がのこるまで

これは謎解きのような詩です。ひとつひとつ、見てゆきましょう。

「要求であるものが/怒りにかわるとき」とは、これまでおとなしく頼んでいたのに、聞き入れられないので、もう我慢ができないということです。

「どのような保証も/怒りに与えるな」は、相手にうまく丸め込まれずに、きちんと言ったことを実行してくれるまでは、怒りを持続しておけということです。

「真鍮の柱」は、人として生きていくうえで、失ってはならない尊厳をあらわしています。

「夕焼け」は、心の奥に首をもたげる、自分の弱さを言っています。

と、言葉の意味をひとつひとつ考えてきましたが、読み終わってやはり印象として残るのは、書き出しの「あの夕焼けをくずしておとせ」のところでしょうか。

「夕焼けをつきくずす」とは、竹槍でも持って空にむかって、突いているようです。竹槍の先が、ほんとうに夕焼けに突き刺さったら、それはまたそれで、面白い図であるとは、思うのですが。

(92)

納得     石原吉郎

わかったな それが
納得したということだ
旗のようなもので
あるかもしれぬ
おしつめた息のようなもので
あるかもしれぬ
旗のようなものであるとき
商人は風と
峻別されるだろう
おしつめた
息のようなものであるときは
ききとりうるかぎりの
小さな声を待てばいいのだ
あるいは樽のようなもので
あるかもしれぬ
根拠のようなもので
あるかもしれぬ
目をふいに下に向け
かたくなな顎を
ゆっくりと落とす
死が前にいても
馬車が前にいても
納得したと それは
いうことだ
革くさい理由をどさりと投げ
老人は嗚咽し
少年は放尿する
うずくまるにせよ
立ち去るにせよ
ひげだらけの弁明は
そこで終るのだ

石原さん、

前半に風と旗という言葉が出てくるからでしょうか、この詩は読んでいて、ずっと微風が吹いてくるような感じがするのです。ことばの流れも滑らかで、比喩のとっぴさがそれほどに目立つことなく、詩の深みを増す効果を示しているようです。

石原さん、

この詩の要旨だけを抜き出すと、次のようになるのですね。

わかったな それが
納得したということだ
目をふいに下に向け
かたくなな顎を
ゆっくりと落とす
弁明は
そこで終るのだ

「ある要求」をいやおうなく納得させられてしまい、それに対して何も抗弁できない理不尽さを述べているのだと思います。「ある要求」とは、いうまでもなく収容所への収監を言っています。

しかし石原さん、この詩で印象的なのは、詩の言わんとしていることではなく、そのような意味を支えるとっぴな比喩の数々なのです。「旗」「息」「樽」「根拠」と、次々と自分をなぞらえてゆく「物」の姿の見事さは、これはもう説明を越えた、詩だけが到達できる領域なのだと思います。

でも石原さん、
「納得」させられたのは、
「旗」や「息」を模した石原さんではなく、
ほんとうはこの詩の読者なのです。
こういった比喩はどうだと、
目の前に突きつけられて……。

(93)

おわかれに    石原吉郎

雨が降るぞと
いうことだろうが
その手の甲の
もって行きかたは
軍鶏(しゃも)が羽ばたくほどの
寸づまりの殺気のなかを
今生(こんじょう)のへだたりとなって
甲斐性もなく遠ざかる
門にも懲役にも
さかさになって
わらって行く
さようならの
さの字と よの字
旗ざおかぎりの
八幡大菩薩
そこにいろ
いいからそこにいろ
そこにそうしていろ
そこにそうして
ひげをはやしていろ

石原さん、

この詩は、収容所を去る日のことを描いているのでしょうか。雨が降るから気をつけろと天を指さしているのは、収容所の所員ということになりますね。長く閉じ込められていた場所から出て行くときに、その閉じ込めていた側の人間から、外に出たら今日は雨になるから気をつけろなどという瑣末な注意を、どんな思いで聞けばよいというのでしょうか。その間の抜けた物言いと、受け取る側の切羽詰った意識のへだたりを、この詩はよく描いていると思います。

「殺気」とか「今生」とか「大菩薩」とか、これでもかというほどの深い言葉が並びますが、それらはそれほどの効果をもたらしているとは思えません。むしろ、このように深い心境を描く時には、「雨か降るぞ」や「さようならのさの字」のような、軽く言い放たれた言葉の方が、行為の切実さを表し、あざやかな印象をもたらします。なんとも表現とは、不思議なものです。

石原さん、
石原さんの重い体験と、それに耐えるだけの悲しくなるほどの明るい性格、ということを、これまで幾度も書いてきたように、今日の詩にも感じました。

石原さん、
そうでなければ生き抜いてゆくことなどできないわけだし。

できない
わけだし。

(94)

膝      石原吉郎

確然と膝があるところで
それはきわまり
その膝をめぐって
さらにきわまった
膝をめぐってきわまった位置から
もはや追いかえす
ことはできぬ
条理を積みかさねて白昼を
待つまでもない
およそ覚悟のようなものへ
踏みこんで行く
一途な膝を正面にして
呼吸(いき)をのむように
夜は明けて行くのだ

石原さん、

この詩は深夜に興奮した頭でなされた、決意のことを書いているのですね。
その決意が深夜の興奮した頭でなされたものであるなら、そのまま行動を起こすのはたしかに危険です。
本来ならいきなり行動を起こすのはやめて、昼になるまで待って、冷静な頭でその決意が正しいかどうかを判断しなおすべきであるのでしょう。
しかしこの詩では「白昼を/待つまでもない」と言い放って、覚悟を決めてやってしまえといっています。

わざわざこのような詩を書いたということは、
石原さん、
なにか特別な体験があり
それで失敗したことがあるのではないのでしょうか。
事を急いだために
よい方向へ物事が運んでいかなかったのではないのでしょうか。

むろん、それがどのような決意であったのかはわかりません。
ただ、これだけの決意に伸ばされた「膝」は、
さぞその瞬間に、
大きな音を立てたことでしょう。

(95)

花であること   石原吉郎

花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は的確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ

石原さん、
ここで言う「花」とは、まさに石原さん自身のことを言っていると理解してよいのでしょうか。「おしかぶさる重み」として現れる世界に対峙するためには、自分は「花」のようであらねばならぬと、そういうことなのでしょうか。それでは石原さん、「人」が「花」のようであるとはどのようなことなのでしょうか。華やかで、きらびやかで、それでいて触れれば落ちるはかなさを持ち合わせ、とそんなところなのでしょうか。しかしこの花は、触れても落ちてはならぬといっています。内実は優しく、慈愛に満ちたものであっても、その優しさを守るために、輪郭は鋼鉄のようであれといっています。

しかし石原さん、これではなんとも単純な内容の詩になってしまいますね。

確かにその表現の仕方には、石原さん独特の工夫が見られます。「ひとつの花でしか/ありえぬ日々をこえて/花でしかついにありえぬために」と、言っているそばからその描写を飲み込んでゆくような、渦を巻いた論理展開には、それこそ目が回るような感覚を覚えます。

また、「花へおしかぶさる重みを/花のかたちのまま/おしかえす」というところなど、「花のかたちのまま」がよく効いていて、花のきれいな二の腕が上へ伸ばされているところが、目に見えるようです。

それでも石原さん、この詩はやはり、言っている内容が単純すぎると思えます。

その単純が、一見見事に花開いて見えるところが、石原さんの罪深いところなのではないのでしょうか。

(96)

帰郷    石原吉郎

その町は訓練して
やさしくさせなければいけない
おれが還る町だから
一個の蜜柑をにぎれない
手のひらの巨きさが
その町の巨きさだから
その町の巨きさを
巨きさというには
なおたりない小ささだから
その町は訓練して
踵をそろえさせなければ
いけない
そのさいごの踵のそのひだりへ
はじめての踵を
そろえるのだから

石原さん、こういう雰囲気の詩が、僕は好きです。「町」という言葉が、遠い空間を連想させてくれます。結局は「踵(かかと)」という、肉体の部位へ視線は戻ってしまいますが、それでも「町」の広がりは、頭の中に残っています。

「帰郷」というのだから、ロシアの収容所から日本へ帰ってきたときの事を書いているのでしょう。巻頭の「その町は訓練して/やさしくさせなければいけない」とわざわざ書いているところを見ると、石原さんにとって故郷は、必ずしも優しく迎いいれてくれなかったようです。それは風景のことを言っているのであり、人々のことをも言っています。そんな感情を、「やさしくさせなければいけない」と、ひそかな使役と、遠慮がちな命令で言う、その言い方が、いかにも石原さんらしくて好きです。

次に詩は、町の大きさのことを言っています。「一個の蜜柑をにぎれない」と、美しく形容されたこの町が、大都会ではなく、どちらかといえば小さな町、お互いがお互いを知り尽くしている息のつまるような関係をもった場所であることが説明されています。それだけに帰郷は、息苦しかったのでしょう。

そんな場所へ、石原さんはそっと入り込もうとしています。それまでの空気を揺らすこともなく、静かに入り込もうとしています。

町の人々の隣へ行って、その人たちの踵のとなりに、静かに自分の「踵(かかと)」を揃えるなんて、石原さん、気持ちはよく分かるのだけれども、これはなんとも、悲しい遠慮の仕方に思えます。

そうか、と思います。一日とは、その日の遠慮の総量なのかもしれません。

(97)

方向    石原吉郎

方向があるということは新しい風景のなかに即座に旧い風景を見いだすということだ 新しい位置に即座に古い位置が復活するということだ ゆえに方向をもつということは かつて定められた方向に いまもなお定められていることであり 彷徨のただなかにあって つねに方向を規定されていることであり 混迷のただなかにあって およそ逸脱を拒まれていることであり 確とした出発点がないのもかかわらず 方向のみが厳として存在することであり 道は制約されているにもかかわらず 目標はついに与えられぬことであり 道を示すものと 示されるものがついに姿を消し 方向のみがそのあとにのこることである

それは あてどもなく確実であり ついに終りに到らぬことであり つきぬけるものをついにもたぬことであり つきぬけることもなくすでに通過することであり 背後はなくて 側面があり 側面はなくて 前方があり くりかえすことなく おなじ過程をたどりつづけることであり 無人の円環を完璧に閉じることによって さいごの問いを圏外へゆだねることである

石原さん、
こうして石原さんの詩を読んでいるのは、石原さんのことを知ろうと思ってのことではありません。わたしにとって詩を読むとは、その詩人の最もすぐれた部分に触れることであります。そうであるならば、こうしてほぼ一年もかけて、次から次へ石原さんの詩を読む必要はないのです。わたしが試みているのは、あくまでも、わたしにとっての「詩」とはなにかということを、確認したかったからなのです。そのためには、ひとりの詩人のすべての作品にじかに触れることが最もよい方法であると思ったのです。その一人の詩人とは、もっとも敬愛すべき詩人であるべきであり、理解のしやすい詩人である必要があったのです。ですから、必ずしも代表作でないものをここへ取り上げて、ああだこうだと言われることは、石原さんにとってはさぞ迷惑なことであろうとは思います。どうか勘弁してください。

ところで石原さん、今日取り上げた作品の、全体の意味は何でしょうか。何を言おうとしているのでしょうか。

はじめのところで見えるのは、「矢印」の逆向きの視線です。「矢の先」ではなく、その元のほうへ向かうという視線です。つまり、「方向」があるということの意味は、「行き先」があるということではなくて、「行く元」があるのだといっているのです。

「ゆえに」と証明事項のように続けられた次の箇所では、「方向」というものの自由のなさが述べられ、さらに、「行き先」も「行く元」も消えさり、「方向」だけが宙に浮いたようにして存在するのだと、言っています。

このへんはどう考えても。「ゆえに」というほどの論理性はなく、発想のままに「方向」で遊んでいると考えてよいでしょう。

「方向」だけが宙に浮いたようにして存在するのだというところでは、「ベクトル」という言葉を思い浮かべます。「ベクトル」といえば、昔、大学の先生だったかが、タクシーの運転手と喧嘩になって、「おまえにはベクトルがわからんだろう」といったというニュースを覚えています。今思い出しても、なんとも悲しい罵倒です。

行(ぎょう)をあけたところで、「あてどもなく確実」という言葉が出てきますが、これは石原さん独特の、妙な表現です。「あてどもなく不確実」ならまだ理解しやすいのですが、まあ、それほど意味のある箇所ではないのかもしれません。

最終連では、「つきぬけることもなく」、「終りに到らず」「背後もなく」「側面もなく」と否定をさんざん繰り返して、堂々巡りののちに、さいごには「圏外」へ責任を任せてしまいます。

石原さん、もしかしたらこの詩は、石原さんにとっての詩作の意味するところを書いているのではないのでしょうか。そういう思いで読んでみると、かなりあてはまってきて、理解できるのです。

詩とは、 おなじ過程をたどりつづけることであり
詩とは、 さいごの問いを圏外へゆだねることである

石原さん、どうでしょう。

(98)

月が沈む     石原吉郎

花と迷妄の果てに浮く月は
きみの論理で
沈むのではない
たとえ迷妄の片側にせよ
月がはるかに
傾くのは
月の
きみへの釈明ではない
月は明快に上昇を拒む
いわれなき註解となって
きみは
そこへ佇(た)つな

石原さん、

この詩はつまりは、「世界の事象はわれわれの力の及ばないところで、否応なく動いていってしまうのだ」ということをいっているのでしょうか。

ここに出てくる「論理」、「釈明」、「注解」という三つの語はそれぞれを入れ替えたとしてもそれなりの意味を持ち得ます。詩にとっての意味など所詮そんなところのものだと言っているようです。

それにしてもこれら三つの抽象語は、いかにも詩の初心者が使いそうな言葉です。さすがに石原さんの使い方は、それなりの力を持っているようですが、それでも多少の安易さを、この語の選び方に感じてしまいます。もしかしたらこういった語を使いたがる性向そのものが、石原さんの中に、詩の初心者と同様にあるのかもしれません。そしてまさしくその、「安易な言葉の選択」と「高度な言葉遣いのテクニック」というアンバランスが、石原さんの作品の特徴にもなっているように感じられます。

「花の果てに浮く月」というならば、それはそれで美しく、分かりやすい描写です。そこへ「迷妄」という、それこそ読者を「迷わす」ような語彙を挿入することに、どのような意味があるのでしょうか。たしかに、その「迷妄」を「論理」と対比して置いていることはわかるのですが、その置き方が、どうもきれい過ぎて信用ならないという気がするのです。つまり、あるところで、「論理」を「迷妄」の中に放り投げて、責任を放棄しているようなのです。

その放棄した詩を、きれいに纏め上げる手つきだけが見えているような気がするのですが、どうでしょう、石原さん。

それはそれでたしかに詩の成り立ちとして、ありうるとは思うのですが。

(99)

断念     石原吉郎

この日 馬は
蹄鉄を終る
あるいは蹄鉄が馬を。
馬がさらに馬であり
蹄鉄が
もはや蹄鉄であるために
瞬間を断念において
手なづけるために
馬は脚をあげる
蹄鉄は砂上にのこる

石原さん、

言葉が通常の使われ方と違うところを読んでもらいたくて、この詩は書かれたのでしょうか。というよりも、通常の使われ方と違う使い方をしたときに、気持ちがすっとして、作品が石原さんに立ち上がってくるということなのでしょうか。

いきなりの、「馬は蹄鉄を終る」という言い方自体が、すでに足を踏み外しています。この踏み外しは、たしかに石原さんにとってのポエジーなのでしょうが、それが読者にとってもそのようであるという確信を、なぜもてたのでしょうか。

私個人としては、石原さんの詩の信奉者であり、いわば「石原節」とでも名付けたいような言葉の言い回しを、掛け値なしに好むものであります。

たとえば、「馬がさらに馬であり」の「さらに」のところや、「蹄鉄がもはや蹄鉄であるために」の「もはや」のところなど、まさしく石原吉郎独特の小節がきいているように思います。

けれど、そうでもない、まっさらな読者にとっては、この詩はどのようにうけとめられるのでしょか。それが心配なのです。

詩の意味はおそらく、「補完しあっているものがそれぞれに分かれるときに、その各々の個性の色がさらに濃くなる」ということなのでしょうか。

しかしこの詩は、そのような内容を「なぜ詩にしなければならないか」というところが、決定的に欠落しているようにも思えるのです。

たしかに、馬を出してきた後に、「もはや蹄鉄であるために/瞬間を断念において/手なづけるために」と言い、「手なづける」という語を、馬からの連想として用いているところなど、さすがであるとは思うのです。

また、「瞬間を手なづける」なんて、いかにも意味が深そうで、石原さんの手並みにうっとりしてしまうのです。

けれど、とわたしは思うのです。やはり考えはもとにもどってしまうのです。

この詩にかぎらず、石原さんの詩は、間違いなく書かれるべき内容を持った詩のように見えるけれども、そこにこそ、石原さんの弱みが、あるのではないのかと。

「なぜ詩にしなければならないか」という検証は、すべての詩になされるべきものであるとは、わたしは思いません。しかし、「意味」を重く背負って登場した石原さんにとっては、そうされても仕方がないものがあるのだと、思えるのです。

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