2024年4月19日(金) 望んでいたような詩人になれますように
昨日は用事があってほとんど詩を読めなかった。それでも夕方に、詩の通信教室の詩をひとつだけ読んで、感想を送った。
詩の仕事をしている時は、たいてい音楽を小さく流している。昔の歌を聴く。声が好きなので、このところは、谷山浩子さんの「河のほとりに」や、四角佳子さんの「春の風が吹いていたら」を繰り返し流している。
四角さんの声で「どこかで泣いている人の、心にきっと届くよう」と歌われると、そのたびにぼくは、「どこかで泣いている人」の気持ちになる。
ところで、ぼくは定年後に詩人と呼ばれることが多くなった。人によっては「プロの詩人」と言う人がいる。
プロの詩人って、聞きなれない呼称だ。でも、たしかに町の「詩の教室」をしているのだから、そう呼ばれても仕方がないのかな。町の「詩の教室」って、どこか、江戸時代に、誰にも相手にされずに「なんとか流」とかの流派をつくって、勝手に剣術道場を開いている老人を思い浮かべる。
さて、ぼくは長いあいだ詩を書いていなかったのに、また恥ずかしそうに頭をかきながら詩を書き始めた。それで思うのは、
きつい仕事をして追いつめられている勤め人も、いつか、かつてその人が望んでいたような詩人になれますように。
子育てと家事に息つく暇もない主婦も、いつか、かつてその人が望んでいたような詩人になれますように。
自分の才能に限界を感じていったん文学から逃げた人も、いつか、その人が望んでいたような詩人になれますように、
と、いうことだ。
まあ、場末の町道場の爺さんの思うことではあるけれども、余計なことを考えずに一心に詩を書いていれば、「どこかで泣いている人の、心にきっと届く」詩ができあがると、信じている。
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