拍手でいっぱいになってしまった ー 桑原薫さんのこと

「拍手でいっぱいになってしまった」

 老齢になって会社をやめて、横浜のビルの一室で「詩の教室」を始めました。月に一度のペースで、参加者は十数人の小さな教室でした。この話は、会を初めてすぐの頃、たぶん二回目の時のことだったと思います。参加を申し込んでくれた人の中に、僕と同じような年齢(60代後半)の男性がひとりいました。そうか、あの年齢になっても詩に取り組もうとしているんだなと、感心していたんです。それで、この教室で僕は、初めの30分ほどは、毎回これまで僕が読んできた「胸を打たれた詩」を何篇か紹介していたんです。

 ある天気のよい日に、次回の教室での話の用意をするために、ぼくは永田町にある国会図書館へ行っていろんな人の詩を画面で検索していたんです。石原吉郎にしようか、大岡信にしようかと迷いながら読んでいて、そういえば国会図書館の検索って、昔の詩の雑誌も見ることができるんだなと思って、自分が若い頃に投稿をしていた「現代詩手帖」とか「詩学」の、だいぶ昔の号の投稿欄を拾い読みしていたんです。そうかこんな詩を書いていたんだなとか思って読んでいました。

 で、ふと自分の詩が載っている雑誌の同じページの別の人の詩に目が行ったんです。作者は桑原薫とあります。そうだった、こんな名前の人があの頃投稿していたなと思い出して、この人の詩をあの当時、若い頃のぼくは同じ投稿欄で読んで、感激もし、あこがれてもいたなと思い出していたんです。毎月素敵な詩を投稿していた人でした。名前を見ながらすごく懐しい気持ちになっていたんです。こういう詩でした。



ぶらんこ    桑原 薫

しゅっと ゆれて
また しゅっと わたし
わたしをみるひとに
わたしの のびやかなからだを
みせてあげよう

ぐうっと ゆれて わたしは
ゆれるものの上で 首をそらす
ミニスカートから のびるだけ あしを
のばそう
だれのものでもない わたしだけの
からだを 思い切りゆらそう

ゆれもどる時には アヒルのような足つき
それとも
投げだしたかかとで
地面を いじめてやろうかしら

わたし
夕焼けの ぶらんこのりは

砂の涙をながした わたし
いつかもあったわ
ひらひらのスカートの わたしの
少女の胸で
しゅっ しゅっと
夕日を おしあげ
まあるく 地面は ゆれていた

ああ
どこかで わたしをみる人に
わたしは 呼ぼう
しゅっしゅっと ゆれるとき
わたしは 叫ぶ口のかたちをするの

目をつぶって ゆれ方の
放りだされた からだの感じ
ひんやりとした感覚を ゆれ返り
ゆれ返りして わたしの
そりかえった 首すじに
叫びは氷結するかしら

しゅっと ゆれて
また しゅっと
木陰に わたしをうかがいみる人に
わたしは 捧げる
だれのものでもない わたしの
のびやかな からだすべて を



 詩の教室で、僕はこの詩を読み終わってから、「どうです、いい詩でしょう」と、顔をあげてみんなを見たんです。そうしたら左の方に座っていたその六十代の男の人が、なぜか手を挙げているんです。

「Nさん、なんですか」

と僕は尋ねて、そうしたらNさんがこう答えたんです。

「実は、その詩の作者は私なんです。今は名前を変えて詩を書いていますけど、それは昔、若かった頃の私が書いた詩なんです」

 僕はびっくりして声が出ませんでした。なんという偶然かと思いました。というのも、Nさんは長年詩を書いていて、詩集もすでに何冊も出していて、詩の教室なんて今さら行く必要もなく、興味もなかったらしいんです。でも、たまたま僕のフェイスブックを見て、なぜかふとこの人の教室に行ってみようかな、松下という人の話を聴いてみようかなと思ったというんです。

 さらに、僕がその日に詩を紹介するために世の中にあまたある詩の中から、その日その詩を選んで、僕がその教室で紹介しようと思ったのも偶然だったのです。

 僕はビックリしました。それでぼくは自然と立ち上がってしまい、Nさんの席まで近寄り、しっかりと握手していたんです。作品は半世紀も前に読んでいたのに、初めてお会いしましたね、こんなに美しい詩を残してくれてありがとう、という握手でした。わざわざ教室に参加してくれて会ってくれてありがとう、という握手でした。そうしたら参加者の内のだれかが拍手をして、結局、教室は拍手でいっぱいになってしまったんです。

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