2024/08/12(月)決して思いあがることなんてない

ぼくが勤めていた会社は外資だったので、お盆休み、というものがありませんでした。それでも、勤め人の頃、お盆がすごく楽しみだったのは、その期間、電車がすいていたことです。珍しく座れてしまい、車両の中の空間に見とれていました。

それで、今はもう、人生のお盆休みです。のんびりと揺られて、終着駅に静かに降りられればと思うのです。

ところで、ぼくは時々、「これからの予定」とか、なんだか偉そうに、外での仕事の予定をSNSに書いています。

どうしてこんなに外で詩の話をするようになったのだろうと、あらためて考えるのです。

定年後に、詩の教室を始めたのは、もちろん自分がやりたかったからですが、今、教室を開くと、来てくれる人がけっこういるのは、つきつめれば、数年前に『現代詩文庫』(思潮社)が出たからなのだと思います。

それで、なぜ『現代詩文庫』を出してもらえたかというと、ぼくの詩を丁寧に読んでくれた編集者に巡り会えたからなのです。

そうでなければ、ぼくは今、『隣町珈琲』で詩の話をさせてもらう、なんてことはなかっただろうと思います。時々、講演の依頼がくるなんてことは、なかっただろうと思います。

ぼくは詩を書くことが好きだし、詩の話をするのが好きですが、こうして楽しく詩をやっていけているのは、多くは、編集者のおかげなのです。

そのことを、日々、思い返しつつも、教室に送られてきている詩をありがたく読んでいるのです。

これまでの自分のしてきたことを考えれば、決して思い上がりなんてできないし、目が覚めれば、その都度、ただただありがたいと、感謝の中で、老年を詩と暮らしているのです。

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