2024年4月12日(金)詩からの愛され方は、きっとある。

本日は歯医者へ。口を大きく開け、歯を磨かれながら、考えごとをしていました。詩と人のことを、考えていました。

詩との付き合い方というのは、人それぞれだと思うのです。というか、どんな人も、自分に合った付き合い方を探し、選ぶことができると思うのです。

人生のある時点で、だれかの詩に出会い、いたく感動したことがあるのなら、そのような感性を持ち合わせているのなら、その人なりに、きっとうまく詩と付き合ってゆけるのです。

たとえば、投稿に落ち続けているから、もう詩をやめる、という必要はないのです。そりゃあつらくて書きたくなくなる気持ちもわかるけど、そんなに大切なことを、人からの評価だけで決めることはないのです。

たとえば、歳をとっているから、いまさら書いても仕方がないと決めつける必要はないのです。詩の適齢期なんてものは、どこにもなく、まさにその人だけが決めていいものなのです。

たとえば、毎日忙しくて、大変な思いをして生きているから、詩を書いてゆく時間なんてないし、周りの理解もないから、詩をもうやめようと、決断なんかしなくてもいいのです。そんな状態はずっとは続かないだろうし、いつか書ける時のために、詩の断片をためていればいいのです。

詩を読み、感じ入る能力を持っている人なら、その人に似合った、その人なりの詩の愛し方、詩からの愛され方が、きっとあるはずなのです。

人のやり方や、世間の見方はどうあろうとも、自分が惹かれるものを自分のやり方で抱きしめて生きてゆく。単純なことを、忘れずにいたいのです。


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