2023年12月18日(月)読むべき本は読んできた本

月曜日の朝だ。今年も残り少なくなってきた。昨日は留守番をしていた。寒いので点ちゃんと部屋の中でおとなしくしていた。

それでも、今回の「Zoomによる詩の教室」に来た詩の感想を、作者にメールで送る作業だけはした。32名だった。

考えてみれば、今年もたくさんの詩を読み、感想を書いて送った。「通信教室」と「Zoom教室」と「横浜教室」と「詩を大事にする会」と、あわせて、どうだろう、700編くらいの詩の感想を書いた。

今年知った素敵な詩人も、だからたくさんいる。それぞれがそれぞれの思いをそれぞれの言葉で詩に託している。その思いに分け入り、読み通すことが好きだ。その夢をともに見るのが好きだ。

言い訳になってしまうけど、その日の詩を読み、感想を書いてしまうと、もうあまり本を読みたいと思わなくなってしまう。

だから、昔は、「歳をとったら時間もあるだろうし、好きな本を思う存分読めるだろう」と思っていたけど、歳をとってみたものの、結局のところ、相変わらずあまり本は読めていない。

もう、それでもいいのかなと思っている。この先、生きる時間はそれほど長くはないし、「あの本は読んでおかなければ恥ずかしい」とか「あの本は読めば将来役に立つだろう」なんて思う必要はなくなった。読むべき本は、これまで読んできた本だと考えるようにしている。

昔、次から次に出版される本や雑誌に、追われるようにして生きていた人を、ぼくは知っている。

ぼくはそれほど勤勉ではないし、好きな時に好きな本しか読んでこなかった。もちろん後悔が全くないというわけではないけれども、もういい。好きな詩を読んで暮らそう。

それでもたまに読む本はあって、昨日ソファーに寝転がりながら読んでいた本の一節に、思わず身を起こしてしまった。

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)に、次のような文章があった。

「まず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。」

なるほど。詩を読む時もしかり、詩を書く時もしかり、人を愛する時もしかり。

自分が本当に感じたことから始める。

本はあまり読んでこなかったけど、それだけは、少しは実践できてきたのかな。さて、今日も通信教室の詩を読もう。

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