2024年3月18日(月)詩は2度読む

月曜日の朝だ。病院に向かうバスの中でこれを書いている。バス停につくまでに書き上げよう。バスの窓から見える日差しは明るい。

ところで昨日は、昼に家に帰って詩の仕事に集中した。Zoomの詩の教室に送られてきた37編の詩の感想を書いていた。もうすでに一度読んで感想は書いてあるのだけど、数日経って読み直して、書き直す、ということをしていた。

それにしても、2度目に読んでやっとわかる詩、というのがある。また、なぜ1度目に読んだ時にはこんな勘違いをしていたのだろう、という詩もある。不思議だ。

いつも真剣に詩と向き合っているつもりだけど、読みから抜け落ちてしまうものがたくさんある。

Zoomや通信で詩の教室をやってよかったと思うことのひとつは、自分の読みの不完全さに気づいたことだ。

本当はすべての詩が、2度丁寧に読まれるべきものなのではないかと、つくづく思う。そうすれば、多少なりとも作者の熱い思いに近づくことができる。

むろん、3度、4度と読み返せば、さらに読みは深まってゆくのだろうけど、詩は毎日たくさん生まれてきているし、やはり限界はある。

どんな詩も少なくとも時間をおいて2度読む、そうでなければ詩がかわいそうだと、ぼくは思う。

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