2024年1月28日(日)かつて「ポルト・パロール」という本屋さんがあった 

日曜日の朝だ。昨日も詩とは関係のない作業をしていた。とはいえ、詩とは関係のない作業から学ぶこともあり、それは詩を読み、書くことからは得られないものであり、巡り巡って、詩の栄養にもなることがある。だから、「詩とは関係のない」ことなんて、何もないのだろう。

ところで、かつて、ぼくが若い頃に頻繁に訪れた本屋さんがあった。池袋の「ポエム・パロール」と渋谷の「ポルト・パロール」だ。

両方とも、詩の本を専門に置いている本屋さんだった。特に、ぼくは渋谷にある会社に勤めていたので、昼休みに頻繁に「ポルト・パロール」に行っていた。バスに乗って渋谷駅南口に着き、早歩きで西武B館(だったか)の地下にひっそりとあるその場所に、いったい何度行っただろう。

たどり着いて、しばらく店内を見て、慌てて会社に帰ってくれば、もうランチの時間もない。でも、そんなことはぜんぜん気にならなかった。ものを食べることも忘れて、詩に魅入られていた。

いつだってあの場所に自分を置きたかった。店内には、詩集と詩誌ばかりだった。立っているだけで、それだけで至福の時間だった。

本棚と本棚の狭い通路で、詩集の背表紙を見つめていると、背中合わせには、別の人が向こう側の本棚の詩集を見上げている。背中が触れるほどだった。

ちょっと先には、店主らしき人が、小さな椅子に座って、集中して詩集を読んでいる。

店内の、この人も、あの人も、ぼくと同じ人だと思った。幸せに、詩の病いの人なんだと思った。どの人も、なんともいとおしくなった。

「ポルト・パロール」では、同人誌も置いてくれて、毎日ぼくが通ったのは、ぼくらの詩誌「グッドバイ」が、売れていないかと確認するためでもあった。

前の日に一冊でも売れていると、その日が輝いた。昼休みが終わって会社にもどり、機嫌よく仕事ができた。あの売れた一冊は、どんな人が手にとってくれて、今はその人のカバンの中にあるのだろうか、あるいはその人の手に開かれているのだろうか、と想像しているだけでとても幸せだった。

詩を読み、書くことを思う時、あの瞬間の喜びに、詩から与えられた無上の幸せに、ひたすら感謝したい。

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