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再会 東京からは戻ってます

それから数年後。

先生との再会は
惜しくもパパのお葬式だった。

パパの地元は中国地方にあって。
パパの死を聞いた先生は
顔を出してくれた。

私は驚いた顔をして
『先生、大丈夫?』
私の顔をしっかりみながら頷いた。

先生とはその後も期間も守った。

その後いつだったかな。

お酒を飲み始めた頃。
20歳位。

私は仲良くしてる先生もいたり
同級生や先輩とも仲良くしてる人がいたのでたまに行きつけのお店のバーで集まっていた。

その時位かな。

自然となのか気付いたらいたのか
きちんと会ってだったか肝心な事は忘れたんだけど再会した時は先生は、パパを亡くした私の事ばかりを気にしてる父親みたいだった笑

私も高校卒業してから少しやさぐれていて
少し違う道へ足が向かう。

先生からの連絡やそれまで仲良くしてた友達とも疎遠にして。



感動の再会とかいい関係とかなかったけど笑

そのあと先生とはセフレみたいな関係になった事もある。
その時は周りは呆れてたけど。
離れていた時間を2人で埋めていたようなそんな時間だった。

私も先生とは同じ未来はないと割り切ってたし。
先生は冗談なのか本気なのかわからない事も言ってたけどお互い割り切ろうとしてた。

愛のないセックスをする。
そこを徹底していたあの時期は
時にそれに傷付いた事もあったけど
不器用な先生なりの優しさだったと思う。
本当に昭和なオトコだなーって今ここに書きながら思うけど。

時折、愛のないセックスが出来なくなる瞬間がある。その時、私はいつも思う。
先生、変わらないんだなぁって。
苦しめてるの私だったりするのかなぁって。
敢えて突き放したり酷い言葉で牽制したり。
先生も自分で自分をコントロールしてたのかもしれない。本当に苦しかっただろうなって。

たまにゆったりした時間が流れる時があって。
基本、話は合わないし笑
まーたパパみたいな事しか言わないけど
仕方ないかー、そんな年齢差なんだしって思えた20歳や21歳。

その時のパートナーの話をしたり
先生のお子ちゃまの今を聞いたり。
お母さんの話を聞いたり。
私の事を話したり。

先生はそうやって私の甘える時間を作る。
私があの頃も自分を保てたのは。
実は先生の存在が大きくて。
冷たくされても。時に牽制されても。
先生とはセックスするとその全ての意図がわかるように先生の優しさが伝わる。

性欲もお互いあったのかもしれない。
私が思ってるより先生はもしかしたら
私を雑にしようとしていたかもしれない。
でも私はそう感じなかった。
だからかな。
嫌いになれなかった。
先生は嫌われようとしてたかもしれないけど。

だからといってこの関係が良いわけでもないし。

身体を重ねていくと離れられなくなる。
先生はいつも私に言う。

セックスをするたびにいつも。

『責任とるから』と。

読んでくれた皆様はどう思う?

無責任な事をしてる私達が言うなよって思う人もいるだろうけど。

私はそれがとても嬉しいと思ったんだよ。

ありがとうって思った。

先生はいつも離婚しようとしていたから。
それを止めてきたのは私。

踏ん切りがつかないのは私だった。

先生を縛り付けてきたのは私。

そう気付いた時、この関係は終わらせて
二度と会わないと決めた。

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