見出し画像

「私の存在価値を奪ってください」とお願いしてくる人 ~自働化の行き着く将来~

みなさん、こんにちは。Naseka です。
職場では設備の保全・設計・改善を担うチームの監督者として、日々奮闘しています。

突然ですが 私は仕事柄、工場の製造現場の方々から
「私の存在価値を奪ってください」 (※ 意訳)
という、お願いを受けることが多いです。

必要がないのに労働を強いられている人(奴隷の強制労働的な)ならば
気持ちは分からなくもありませんが、
私に言ってくる彼らのほとんどは
生活のために自ら会社に雇われ 仕事をしているはず…

で、あるならば 彼らはなぜそんなお願いをしてくるのでしょうか?

今回は 仕事における「自働化」と、
それが「行き着く将来」についてがテーマです。


自働化の行き着く将来

依頼者が描いている将来像

「なんでもかんでも設備によって自働化される」
「ボタンひとつ押すだけで、最初から最後まで設備が全部やってくれる」
というのが一般的には理想なのかもしれません。
(もっと言えば、ボタンすら押す必要がないところまでかもしれません)

たしかに私も、そうなれば非常に現場は楽になると思います。
経営者の視点からも、そうなれば喜ばしいことでしょう。

ここでひとつ、「工場の仕事」を整理してみます。
私が働いている工場においては
製造課:設備を動かして、実際に製品を作っていく職場
品質保証課:製造課が作った製品の検査をする職場
生産管理課:日々の製造計画や入出荷の調整・手配をする職場
設備課:設備の保全や設計・改善などを担当する職場
(← 私も所属)
総務課:従業員の給与関係や各種届出など、事務処理を担当している職場
…といった職場・仕事があります。

だいたい「私の存在価値を奪ってください」と設備課にお願いくるのは、
上記で言うところの「製造課」の人が多いです。

では、彼らが望む「自働化」を極限まで実現どうなるでしょう。

あなたたちの仕事って?

「製造=ボタンひとつ押せばオールOK」となれば、誰でも ものづくり ができます。
アルバイトどころか、小学生だってできるでしょう。

実際には法令的な問題がありますから 小学生を働かせることはないでしょうが、「ボタンを押すだけの仕事(=製造)」を わざわざ高いコストがかかる正社員にやらせることは、まず考えにくいですね。
そこまでハイテクな設備でしたら、ただでさえ投資金額も相応にかかっているでしょうし。

つまり、この時点で「製造課の『社員』」というのは
「要らない存在」になってしまいます。

今 その製品を作っている製造課の社員は、
人員削減のために サヨウナラ となるか、
アルバイトに格下げになるか のどちらかになるでしょう。
(他の職場で通用するだけの能力があれば、配置転換で済むかもしれませんが)

悲劇はこれだけでは終わらない

…ところが残念なことに、これでも だいぶ(製造課にとって)ポジティブな観測に過ぎません。
実際には、悲劇はこれでは留まらないでしょう。

もう一度よく考えてみてください。

「製造」という仕事が、ボタンひとつで済むんですよ?

それなのに、わざわざ「製造課」なんて「ボタンを押すだけの職場」を置いておく必要なんてないと思いませんか?

品質保証課でも総務課でも、他の仕事をやりながらポチッとやるだけで製造ができるのです。
彼らは その仕事(検査なり事務処理なり)のエキスパートですので
会社も存在価値を感じるでしょうが、
「ボタンを押すエキスパート(=製造課)」に存在価値を感じてくれるのかは甚だ疑問です。
(某名人のような連射が求められるというなら話は別ですが

よほど経営的な余裕と慈悲の精神でもない限り、
そんな無駄極まりない職場・社員を置いておく会社などないでしょう。

つまり、自働化の行きつく将来というのは
「その仕事をする人(それしかできない人)が必要なくなる」
ということ。
昨今のAI議論などでよく耳にする「仕事を奪われる」というやつです。
なるほど、「人間以外に仕事を奪われる脅威」というのは、何もAIに限った話題ではないんですね。

故に 「この仕事を自働化してください」と発言する場合、
当人には「その仕事以外における存在価値」が求められる
のです。

ですから、私には
「製造課が『製造を自働化してください』と言ってくる」
のが理解できないんですね。
「(製造課がやっている)『検査作業』を自働化して」とか
「設備の『切替作業』を自働化して」なら大いに理解できるのですが。

逆に言えば、今回は よくある実例として製造課を挙げましたが、
検査しかしていない(できない)人が「検査を自働化して」と言ってきたら、
やはり「この人は自分の存在価値を奪ってほしいの?」と感じることでしょう。

ですから、将来にわたって自分の存在価値を保ち続けるためにも、
巷で話題のリスキリングなどを通じて、自己研鑽をしていかなければならないんですね。

さいごに

ちなみに職場単位で一括りにしようにも、実際には いろんな人がいます。
今回 辛辣に言ったのは、主に
「言われたとおりのことしかできない」
(或いは それすらも満足にできない)
人であり、
「常に言われたこと以上のことを考え、行動している」
人たちは該当しません。

そういう方々は たいていどんな職務に対しても向上心を持って仕事をするし、周りも存在価値をしっかり認めてくれますからね。

私もなるべく そういった人たちが多い職場で仕事をしたい感じています。
もちろん私自身も そうありたいと思うので、日々是精進です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

いつもサポートいただき ありがとうございます。サポートをいただいた分は、新たな学びの糧として 書籍代や有料記事購入に活用させていただきます。