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いつでもサヨナラできる

癌が見つかった時、誰でも死を意識してしまいます。

もちろん現実では、癌になったからといって、必ず死ぬわけではなくて、治療して長生きされる方もいらっしゃいます。

ただ、癌になると、死が遠いところにあって意識してなかったのに、目の前に嫌でもチラついてしまいます。

産まれた瞬間に誰でもが死に向かって進んでいきます。
誰でもがいつかは死ぬのです。

逆に自分だけが死ねないで生き続けるのも苦痛でしょう。

若い時は、当たり前のように、明日がやってくるし来年もその次の未来もやってくるだろうと思ってます。

ところが年齢もありますが、60歳を過ぎて癌にもなると自分の終わりを意識せざるを得ません。

正直なところ、私は怖がりなので痛いとか苦しいとかは経験したくないなあと思ってます。

ただ不思議な事に、この世界とお別れするのに未練はないですし、優先順位がシンプルに治療に専念することなので、余計なことは考えなくなりました。

腹をたてたり、怒ったり、感情的になるのも生きてる証なのでそういう感情も愛おしく感じます。

ただ生きるというか、自分の力ではなく生かされてるんだという事実。

口から美味しい食事ができて、排泄はストーマですが、会話も出来て出歩く事も可能です。

自分が後何年生きられるかわかりませんが、寿命は産まれる前から決まってるといいます。

長生きが必ずしも良いわけではなくて、それぞれの課題をこなす長さなので、それは様々です。

死に方も様々で、病気なのか事故なのか、何らかのカルマを背負って殺されてしまうのか。

とにかく途中で自ら、生きるのをやめてしまわないで、どんな事があっても生き抜く事が大事です。

何かを成し遂げなくても、偉くならなくても、尊敬されなくてもです。

過去、家族といた時の買い物は、いつも自分が好きな物に意識はなくて、子供が好きな物ばかり買ってました。

どのお母さんもそうかもしれませんが、今はやっと自分の好きな物を買い、好きな所に出かけ、自由な時間を楽しめています。

正直、4歳の孫の成長をどこまで見守れるのかは一番気にになるところです。

子供たちは、私をもう必要としないでしょう。

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