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健康マインド(私の発火点❗)監督列伝② 石井輝男監督

1924年(大正13年)東京麹町産まれ。
東宝→新東宝→東映と移籍して、高倉健主演の「網走番外地シリーズ」を皮切りに東映のヒットメーカーになります。

当時の東映企画製作本部長(岡田茂)が東映再建のために、フリーになっていた石井輝男を呼んでエロ路線を進めます❗
始めての成人映画指定作品 1968年 「温泉あんま芸者」

1968年 温泉芸者シリーズ第一弾❗「温泉あんま芸者」

コメディータッチの明るい作品で私の好きな作品です。当時は東映では脱いでくれる女優さんが居らず新人の橘ますみを抜擢、監督自ら街中でスカウトもしたとの話です。この後で鈴木則文監督「温泉みみず芸者」「温泉スッポン芸者」・中島貞夫監督「温泉こんにゃく芸者」と続きます。

鈴木則文監督「温泉みみず芸者」で主演した池玲子の売り出しに「日本ポルノ女優第一号」と銘打ったので、この作品が日本のポルノ映画の第一号と言われたりします。

1971年製作「温泉みみず芸者」 

同じエロ映画でも、大手映画会社の場合は(ポルノ映画)で独立系映画会社の場合は(ピンク映画)と呼んだのですね。

石井輝男は翌年から
1969年 「残酷・異常・虐待物語元禄女系図」
    「異常性愛記録ハレンチ」
    「徳川いれずみ師責め地獄」
    「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」
と幅広い作品を撮り、後年の乱歩作品やつげ義春作品に繋がります。

2005年に石井輝男監督は81歳で亡くなりました。

この東映「温泉芸者シリーズ」に先立って1963年 大映で「温泉芸者」富本壮吉監督があります。

1963年「温泉芸者」叶順子主演

この大映作品は文芸作品の映画化でしたが、東映の「温泉芸者シリーズ」は大手映画会社としては思い切った方針で、1968年の夏興行で「東映まんがまつり」の後興行でしたので、私の記憶にもしっかり焼き付いています。

続く。




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