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【エッセイ】物語の予感。私が育った街についてのおぼえがき。

私を育てた街へ。

迷路のような街で


子どもの頃から、何かと空想をするのが好きだった。テレビに映しだされる異国の風景も、絵本に描かれる架空の世界も、すべて自分のものだった。目の前にある現実の世界より、頭の中にある空想の世界こそ、私にとってのリアルだった。

そんな内向的で夢見がち、とにかく引っ込み思案の私は、県内有数のとある住宅街で育った。県の中心部のベッドタウンとして発展したこの街は、かつては豊かな自然に囲まれたのどかな場所であったというが、私が生まれた時jはそこら中に画一的な新興住宅や巨大なマンションが立ち並ぶちょっとした都会であった。

とにかく、外で遊べる場所も少なかったせいか、友達と遊ぶとなれば家でゲームをするか、たまに公園で鬼ごっこやかくれんぼをする程度のものだった。要は典型的な現代っ子として育ったわけである。元来の内向性もこの環境によって押し上げられたと言える。


小さな冒険


意外かもしれないが、どこを見ても家だらけのまるで迷路のようなこの街は、私の空想癖を刺激してくれるに充分だった。

定められた通学路と違った道を歩けば、どこか自分の知らない世界が待っている。きっとテレビ画面にあるような、本の世界にあるような、異国の風景が待っている。本気でそう信じていたからだ。

しかし、そのまま家に帰れなくったらどうしよう。本やテレビで見たような悪い大人に捕まってしまったらどうしよう。物語の予感を漂わせる知らない道を見つめては空想を巡らせる。でも一歩踏みせない。当時の私はそんな臆病な自分を情けなく思いつつ、定められた道を歩いて帰っていた。

とは言うものの、学校帰りに一度だけ、知らない道を歩いたことがある。その時だけは泣け無しの勇気を振り絞ったのだろう。ただ、当時の私はそんな勇気を出したことをすぐに後悔することとなる。

帰り道が分からなくなってしまった。要は迷子になってしまったのである。

右を見ても左を見ても知らない風景。あぁ、やってしまった。これでは一生家には帰れない。泣きべそをかきながら、迷路のような住宅街を歩き回った。

そこからどうやって家に帰ったのかは覚えていない。近くの大人に道を案内してもらったか、自力で帰り道を見つけるかしたのだろう。もうこんな目にあうのはこりごりだと、泣け無しの勇気さえくじかれた当時の私であった。


外の世界


月日が流れ、16歳のとき、私はとあることをきっかけに写真を撮り始めた。たまたま家に一眼レフカメラがあったこと。たまたま学校に写真部があったこと。たまたま写真部が部員募集をしていたこと。偶然に偶然が重なった。気がつけば私は写真部の一員となっていた。

自分の中にある空想のイメージを一瞬で形にしてくれる写真に、私は夢中になった。何の取り柄も特徴もない、いつもボーッとした少年だった私の変貌ぶりに、周りの大人は驚いた。コンテストに出品した写真はことごとく何かしらの賞を貰った。その度に全校生徒の前で表彰されたものだから、学校では「写真屋さん」と渾名された。

飼っていた犬、彼女、道端で見つけた花、ふと見上げた空など、いろんなものを被写体にした。写真部の顧問の先生から写真の技術の手ほどきをしてもらい、車に乗って色んな場所にも連れて行ってもらった。写真は内気で引っ込み思案な私を外の世界へと連れ出してくれた。


写真漬けの毎日を送っていたある日、私はふと、カメラを持って私の住む街をひたすらに歩いてみようと思った。それまで学校の行き帰りや、彼女とのデート、先生との遠足の時だけ写真を撮っていた私である。

どこを見ても家だらけの、のっぺりとしたこの街を撮って何がおもしろいんだろう。そう思ったものの、物は試しだ。朝早く、カメラを持って家を出た。

するとどうだろう、迷路のような住宅街をカメラを持って歩くことのなんとおもしろいことか!

この道を右に曲がったらどんな風景が待っているだろう。
この家の佇まいが面白い。
家が建つ前の更地の開放感がこんなに気持ちいいなんて。
身近にこんな素敵な風景があったのか。 

元来の空想癖とカメラを持つことで覚えた冒険心が合間って、私はとにかく興奮しぱなっしだった。子どもの頃に憧れた迷路の探検を、10数年越しに実現したわけである。しかもそこで出会った風景を自分だけのものとして収めることができるのだから、おもしろくないわけがない。

それ以来、住んでいる街はもちろんのこと、旅先で訪れた小さな街を、カメラを持って歩くことは私の楽しみの一つとなった。色んな街を歩いて、色んな写真を撮った。そこで出会った風景は今でも私の宝物である。


私を育てた街は今も


あれから14年。私は今でも写真を撮っている。

いっぱしの社会人、いっぱしの父親である現在は、学生の時のように自由に写真を撮れる時間は少なくなったものの、それでも時間を見つけては日常で出会った風景や、生後10ヶ月になる息子、たまに会う甥子の成長を写真に収めている。

まだ言葉を上手く話せない息子に、私は時折心の中でこう語りかける。

「心の底から、好きだと言えるものを見つけなさい。それが、君の自信になるから」と。 

私の好きなものは、頭の中での空想と、頭の中のイメージを実現してくれる写真である。また、その好きだという思いを「心の底からの自信」に育ててくれたのは、私が育ったこの街のおかげである。 

この街には今も、新しい家が建ち続けている。

そこからどんな人が育ち、どのように社会に羽ばたいていくのか、それを見届けてみるのも一つの楽しみであろう。




半径数kmの風景

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