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映画「無名」と「花様年華」のひそかなつながりについて。一つの仮説、あるいは妄想

先日初めて、ウォン・カーウァイ監督の「花様年華」を映画館で見た。監督がこだわって作ったという4Kレストア版。美しい色合いとテクスチャー。マギー・チャンのため息の出るような数々のチャイナドレス姿、スクリーンいっぱいにあふれ出す鮮やかな色彩、対象をカメラのレンズからあえて外して登場人物たちの心模様を語る手並みの鮮やかさ。主演のトニー・レオンはこの作品で第53回カンヌ国際映画祭、最優秀主演男優賞を受賞。

物語は一見、時系列にそっているように見えて、そうなっていない。あの時はこうだったのか?いやどうだったのか?このシーンはいつのシーンなのか?マギーの装い、トニーのネクタイの柄行きは、シーンの前後で辻褄が合わない。一見しただけではわからないことが多いのに、主人公たちの思いは痛いほど伝わってくる。さすが傑作と言われるだけのことはある。

そんな「花様年華」の世界を初めて目にしたはずなのに、あれっと思ったカットがいくつもある。ところどころ、一瞬だけど、見覚えがある。それをどこで見たかといえば、先ごろ日本で公開された中国映画「無名」である。

中国映画「無名」(英題: Hidden Blade)
監督 程耳 Chen Er
公開年 2023年 日本公開2024年5月

香港映画「花様年華」(英題: In the Mood for Love)
監督 王家衛 ウォン・カーウァイ
オリジナル公開 2000年 /  4Kリストア版公開 2022年
*新文芸坐 ウォン・カーウァイ特集 2024/6/23 で鑑賞。

「花様年華」のどの場面に既視感を覚えたのか、記憶をざっとあげてみると

  • 格子越しに主人公の表情をとらえたカット

  • 壁に背をもたれてうつむき加減に佇むたたずトニー・レオンをとらえた引きのカット

  • トニーがくゆらす煙草の煙が天井に充満していくカット。花様年華では出版社の事務室で。無名では取調室で。

  • 突如鳴り響く電話の音で場面が切り替わるカット。花様年華は白電話。無名は黒電話。

  • 花様年華、無名、どちらにも主演しているトニー・レオンはどちらの役でも、たくさんのネクタイ柄で登場。

  • 花様年華のマギー・チャンが弁当筒を下げて夜道を歩くカット。無名でジョウ・シュンが菓子折りの風呂敷包みを下げて夜道を歩くカット。

さらに言うと、どちらの映画も、進行とともに色調が変化していく。

  • 花様年華は、画面で使われる色彩、中でも緑と赤が大変印象的。主人公の男女二人の感情の高まりと共に、画面全体が真っ赤になっていく。時々抑制の緑と白が現れ、そして最後は無彩色のアンコールワットのシーンで終わる。
    [ カラフルな世界、印象的な緑と赤 → 無彩色 ]

  • 無名は、無彩色、重厚な黒、ブルーグレーの世界。クライマックスでついに本心を明かしたイエの顔に、それまでの冷えた色合いからほんのり色味がさして顔色を取り戻す。冷たい水底から浮かび上がったようなシーン。それまで主な舞台だった上海から一転し、香港での太陽光を思わせる暖色の色調で映画は実質終わる。この香港のシーン。イエがかつての同僚ワンの実家の食堂で会話する時、背景の壁は美しい萌葱色の緑イエが食す酔っ払いえびは毒々しい赤いスープに浸かっている。そのシーンの後にイエフーと再会を果たす寺院は、い提灯と黄色の巻き線香で埋め尽くされている。
    [ 無彩色、重厚な黒 → カラフルな世界 黄、緑、赤  ]

  • 二つの映画は、色調の変化がちょうど逆になっているように見える。

どちらにもトニー・レオンが主演している以外に、この二本の映画に共通点はない。

だが、無名の香港のシーンで、もう一人の主人公イエを演じたワン・イーボーが語る内容がひっかかるのである。かつての同僚、ワンの母は、私たちは民国37年(1948年)に上海からここに越してきたけど見かけない顔ね、とイエに言う。九龍塘ジゥロンタンにいたと答えたイエ

確か「無名」の香港のシーンは1947年から始まったと思う。
なぜイエは九龍塘にいたか。

九龍塘ジゥロンタンについて、こんな資料を見つけた。

1898年、イギリスが、界限街以北の九龍半島と島(新界)を99年期限で租借し、九龍塘に居留地をつくった。
1941年、太平洋戦争が勃発、日本軍が香港を占領した。その間、九龍塘は占領軍により統括されたが、1945年、日本の敗戦によりイギリスの植民地に復帰した。九龍塘の住宅には、内戦の続く清朝中国から逃れた中国人富豪が移り住み、高級住宅街となった。

住宅生産振興財団
関西大学環境都市工学部准教授 岡 絵理子https://www.machinami.or.jp/contents/publication/pdf/machinami/machinami063_5.pdf  

前の「無名」についてのnote記事に書き留めたように、彼の婚約者だったファンの両親は清朝遺民で、清朝崩壊後に日本に逃れ、ファンを生み育てたのちに一家で中国に戻る。ファンの父は皇帝の傍にいたいと北京満州に戻り殺されてしまう。ファンの母はどうしたのだろうか。香港の九龍塘に移住して娘の供養も香港の寺で行っている、とみてもいいのではないか。

[ 2024/7/1  修正追記: 程耳チェン・アル監督の短編小説ではファンの母は夫がいなくなり、あこがれのパリに行ってしまって周囲を呆れさせていた。でも馴染めず香港に移住したかもしれないし、そうではなくイエがゆかりの人々の地で供養している、とみてもいい。]

この寺でイエはトニー・レオン演じるフーと再会を果たす。

そしてフーが通りすがりに菓子店を見つけるシーンになる。上海での馴染みの菓子屋と同じ店構えに、思わず足を止めるフー。のぞきこんだショーウィンドウには、よく知るミルフィーユ。店内には馴染みの主人の顔。

トニーは店のショーウィンドウ越しに、ほんの少し口角を上げ、なんとも言えない表情で小さな挨拶をする。ここで映画は幕切れ。真っ黒な背景に白抜きで大書された「無名」の題字が映し出される。ここが映画「無名」の実質のラストシーン。

何がいいたいかと言うと、程耳チェン・アル監督の「無名」がなぜ香港で終わるのか、という理由の一端に王家衛ウォン・カーウァイ監督の作品があるのではないか、という仮説を思いついてしまったのだ。

王家衛ウォン・カーウァイ監督は、ご自身が上海で生まれて香港に1958年?に移住しそこで育った方だという。そして、カーウァイ監督による1960年代の香港を描いた叙事詩三部作と言われているのが「欲望の翼」「花様年華」「2046」。下記の記事に詳しい。

程耳チェン・アル監督はクエンティン・タランティーノ作品が好きだそうだが、そのタランティーノはカーウァイ監督の「恋する惑星(Chongking Express)」にほれ込み大絶賛だったという。

そんなカーウァイ監督が、香港に生きた人々と変わりゆく街をとらえる一連の映画作品を作った。とすれば、程耳チェン・アル監督はその前の時代、1930年代から1940年代を描いた「無名」のラストを香港にすることで、カーウァイ作品の描く1960年代の香港に、ひっそりと、本当にひっそりと自分の作品をつなげて、中国の激動の時代とそこに生きた人々を描く一連の映像作品として置いてみたい、と願ったとは言えないだろうか?

大きな叙事詩を映画作品で描く、そんな程耳チェン・アル監督のひそかな想いを見るような気がして、どうもこの妄想は自分の脳裏から去ってくれない。

映画「無名」は、1930年代の無彩色の広州爆撃(そういえば海の色は緑だった)、孤島と呼ばれた上海の黒と赤の暗い世界から、日本の敗戦を経て、色を取り戻した1940年代後半の香港で終わる。

その後の1960年代の香港が描かれた「花様年華」は、豊かな色彩と美しい花模様や手の込んだ美しい数々の手仕事のテキスタイルに溢れている。やがて時は移ろい、硬いモノクロームの石の遺跡、アンコールワットで終わる。

一度訪れたことがあるが、アンコールワット遺跡は本当に美しい。石の材質も色合いも繊細で、ありえないほど見事な彫刻群と寺院造形は、モノクロームの色に引き立てられる。「花様年華」では、もしかしたら一部のシーンにアンコールトム遺跡の映像も使われていたかもしれない。

アンコールワットからそう遠くない場所に、もう一つ別のバンテアイスレイ遺跡がある。夕日に映える赤い石材が夢のように美しい遺跡なのだが、カーウァイ監督はそこを使わなかったのか、あるいは使えなかったのか。監督は「花様年華」のラストには色を使いたくなかったのかも、と妄想する。

アンコールワット寺院の壁の小さな穴に、「花様年華」の主人公のトニーは、自分の苦しい思いを声を出さずに吐き出していく。それを寺院の上から眺めている僧侶。それは、香港の人々の口に出せない苦しい想いの代弁のようにも見えてくる。色のない、硬直したイメージ。

「花様年華」は華やかなネクタイの数々や、ため息のでる数々の美しいチャイナドレスであふれていたというのに。光線の具合で緑や赤の色が現れるシルク仕立てや、おしゃれな縦じまの織や、大柄の花模様、本当に華やかなテキスタイルで仕立てられた服。スラム街を描いた「恋する惑星(Chongking Express)」とはまた違った香港の姿。

NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」の香港編は、最近見た二つの映画「無名」と「花様年華」の描き出す世界について、自分の視点を広げてくれた良作だった。

https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/QM2ZQVJ7PZ/

果たして仮説として筋が通ったかどうか心もとないが、このあたりでいったんこの妄想を留めておこうと思う。またカーウァイ監督の別の作品を見たり、ほかに何か資料を見つけたりしたら、引き続き考えていきたい。

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