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死にたい≠死にたい

 2023年、4月14日、Twitter上に飛び降り自殺を図る女子高生二人の映像がリアルタイム配信をされネットニュース等になり、話題となりました。話題……と言っていい内容ではありませんが、その痛々しい様子が様々な影響を与えたのは事実です。
 さて、少し時間がたち今回の執筆理由ですが、今回の件を考え、見てどうすればよかったのか、ということを様々な角度から検討したいなと思ったわけです。
 ただ、いくつか話しますが、最終的結論を先に述べさせていただきます。それはタイトルにもある内容。『「死にたい」は死にたいわけではない』こともある、ということです。


①年間自殺者数

 2022年度の自殺者は21881人。前回に比べて841人増えております。これを多いとみるか、少ないとみるか……それはわかりません。もちろん、2003年度の34427人に比べれば少ないでしょう。しかし、上を見るのが正解なのでしょうか。時代が移り変わることで様々な技術的革新もあり、状況は変わってきています。ですので20年ほど前のデータと比べても仕方がないかもしれませんね。
 因みにですが、2002年は失業者がピークとなっておりそれと比例しているのでは、という話もあります。それを示すように2009年のリーマンショック時は瞬間的に増加をしていますが、その後は徐々に減少傾向にあります。
 そんな中、自殺者の増加がここ数年は訪れています。その背景にはコロナショックがあったのではと思われています。
 経済的困窮、社会的閉鎖間、その他諸々、それらが自殺行動とかかわりがある可能性は高いことでしょう。

②SNSの普及と自殺

 みなさんは、Blue Whale Challenge(青いクジラ)という言葉をご存知でしょうか? これはSNSを介して自殺を教唆、煽動した一つの社会問題です。
 管理者から50日間にわたって異なる課題(ミッション)を行うように要求され、それをSNS上に投稿、報告を求められます。最初のうちは比較的簡単なものですが、徐々に過激化し、最後には自殺を指示されるというものです。
 そして、今回執筆にあたった上記、SNS上でのリアルタイム投稿……。自殺というものが一つのコンテンツと化しているのではないのかと思えてしまうんです。さらに、人の死、というセンシティブな内容を、特に規制などもない(またはしにくい)ネット上空間で行うことで過激な内容が受けてしまうという部分もあるのではないでしょうか。
 SNSを完全に否定したいわけではございません。しかしながら、その便利さとは裏腹にこういったダークな面も持ち合わせている問い事も認識しなければならないと思うのです。

③自殺を決める瞬間と垣間見える心理

 さて、では自殺の手段とはどういったものでしょうか。ぱっと思いつく限りで首吊り、練炭、飛び降り、薬物でしょうか。海外などでは拳銃というのもあるそうです。
 さて、それらのうち練炭や首吊りは事前の準備というものが必要不可欠ですが、薬物であれば元から家にあったり、治療中などで手元にあることもありますし、飛び降りもフラッと電車に飛び込むなどができることでしょう。つまり、ずっと死にたい、が溜まっていてゆったりと行動を起こすこともあれば、瞬間的にその場の思いでフラッと自殺を選択してしまう、言い方は悪いですが魔が差した瞬間というのもあるかもしれません。
 そうでなくても、死にたいという気持ちをもって用意をしたりしても……本当にその生命が途切れる瞬間まで死にたいと思っているかは明確ではありません。
 座間9人殺人事件では自殺志願者を探し出し殺害をしました。しかし、犯人はのちに『本当に死にたいと望んでいる人は一人もいなかった』と供述したといわれています(明確な出展が見つかりませんでしたので間違いの可能性があります)。
 死にたいという思いを持つ、それは事実だと思います。そしてそれを実行しようとするその瞬間もまた事実でしょう。しかし、冷静に物事を見たとき、本当に望んでいるかどうかはわからないなと感じました。
 そもそも、上記の犯人も本当のことを言っているかどうかもわかりませんが……。

④認知のゆがみ

 では死にたいという感情はどうして生まれてしまうのか……。それは認知のゆがみによるものもあると考えられます。
 例えば、仕事で些細なミスをして、自分はこの仕事を向いていないんだと思うこと。例えば、恋人に裏切られ人は信用できないと疑心暗鬼となること……。
 冷静に考えればたった一つの事象ですべてをはかれるわけではありません。事実とは異なるはずなのにあたかもそうだと思い込んでしまう間違い、というのが健常に生きている瞬間でも起こりえます。
 その認知のゆがみが最大限に達したとき、それが自殺しかないと勘違いをさせるのかもしれません。
 そしてそれは他社から見ればそんなことないと思うことでしょう。しかし、人、というのはとても簡単に間違いを間違いと認識できなくなってしまうのです。
 学習性無力感、という心理学の用語があります。極度のストレス下に置かれた状態が続き、その状態から逃れることが難しい状況が続くと逃げる努力を行わなくなります。これは、例えば、モラルハラスメント、いじめなど、逃げがたい状況に陥ることで、本当に逃げることが出来なくなると錯覚をすることで起こりえます。それが自殺と深いかかわりがあるのでは、という話です。
 本当はもっといい方法、簡単な方法が客観的に見ればあるのにそれを行わず極端な方法に走るのは、この誰もが陥る状況によっておこるものと思われます。
 なので、ここで私が言いたいのは一つ。『なぜ、そんな道を選ぶのか?』と疑問に思うかもしれません。しかし、正しくは『もうこの選択をするしかないと錯覚をさせられる状況だった』わけです。
 もっとわかりやすくすると、錯視ってありますよね? まっすぐな線なのに曲がっているように見えるみたいなやつです。それを見ている人に、曲がっているわけね―ジャンと馬鹿にするようなもの。いや、そう脳が認識しているんだ! と反論したくなりますよね。自殺に関してもそれが言えるのではないでしょうか。

⑤死にたい≠死にたい

 ここで、本題に戻ります。死にたい気持ち……それを抱えるのは本当でしょう。しかし、それを真に突き詰めていったら、本当は死にたいわけではないと気が付くこともあるのではないのか、ということです。脳のバグ、精神力の低下、判断力の低下、ホルモンの関係。いくつか原因は考えられます。
 しかし、それを本人が理解していくことは難しいです。だからこそ、求められるのはそれを否定せずに治療に前向きに付き合っていただく存在です。
どれだけ辛くても冷静に物事を判断して、適切な関係を気付いてもらえる存在、それが重要だと思うんです。もちろん、甘やかせ、というつもりはありません。厳しい意見を述べるのも正解でしょう。しかし……どうかその問題を抱える人が、本当はちょっとした錯覚に陥っているから正しく補助をしてあげてもらいたいんです。先に錯視の例でいうのであれば、曲がってみる線に物差しを当ててあげる、そんなちょっとした手助けをしてあげてもらいたいんです。
 『曲がってみえる!』『いや、曲がっていない、勘違いだ!』『でも曲がって見えるんだ!』なんてやり取りに何の意味がありますでしょうか。それなら曲がってみえると主張するその人にそっと物差しを渡して見せて、これでどうかと気づかせてあげる、その方がお互いにストレスは少ないでしょう。
 ただ、一つだけ気を付けてもらいたいのは課題は分離をしていただきたいといこと。日本人の特徴でもあるとおもうのですが、特に優しすぎる人は問題解決を支えようとして、その問題を肩代わりしてしまうことがあります。
 しかし、その人の抱える課題はその人が解決するべきです。そうでないと、幾重にも課題を抱えすぎてしまう可能性があります。そうなったとき、次に苦しむのは支えようとしたあなたであり、そしてあなたに負荷を抱えさせてしまったと問題を元々抱えていた人にもさらにダメージがつながります。
 ですので、課題の分離というのは徹底してあげるのがあなたにも、そしてその人にも重要です。

⑥まとめ

 先にあげましたSNSの問題。さらにはこのコロナ禍によって行動に制限がかかり日光に浴びる時間が減少してしまい幸せホルモン(セロトニン)の減少、人とのかかわりの希薄化……自殺を決意してしまうその瞬間というはたくさんあります。
 さらには、ネットという匿名空間で人の誹謗中傷を好む人も存在します。そうすると人間不信にもなるかもしれません。さらにはメンタルの医者に通ってもそのお医者様が合うかどうか、そもそも優れた医者かどうかもわかりませんよね。さらにはそういった病院は現在では予約待ちが数か月なんてことも……。自殺を決意してしまうその思いは決して不可解なものではないと私は思っています。
 だからこそ、もしも自殺をしたいという思いがよぎったとき、このキーワードを思い出してもらいたいんです。『死にたい≠死にたい』と。
 死にたいという思いは真実だけど、本当に死にたいわけではないのではないかと一瞬ためらってもらいたいんです。
 その一瞬のためらいがあれば、計画的なものはともかく、瞬間的なものに関しては我慢が出来るのはと淡い期待を持ちたいです。
 また、自殺は絶対ダメ、というような話をしていますが『安楽死』の是非に関しては例外的に見ていただければと思います。こちらはいくつかの条件などを元に行われることです。かなり複雑な要素がありますので分けていただければと思います。
 最後に一つ、たとえ話で終えたいと思います。
 将棋などの感想戦。そのときに思いついた妙手もあることでしょう。あぁしていればよかったのかとその瞬間に気づかなかったのに、冷静に見れば出てきたり相手の視点に立つことで思いついたり……。しかし、当事者は気づかない。未来、過去を振り返れば、もしかしたらあなたのその悩みを解決できる単純な方法があるのではないのかと、期待を持ってみるのもいいかもしれませんね。


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